自分が忘れないために生まれてきた言葉たち。

フィガロが選ぶ、今月の5冊[2016.07.15~]

『翻訳できない世界のことば』


 言葉が存在することで、切り捨てられていくものはある。「愛」という言葉がこの世界にもしも存在しなかったら、私はこの感情を「愛」と思っただろうか。言葉があることで、自分だけの曖昧な感情が、どこにでもある、定義し尽くされた1つの感情に均一化される。なにかに名前をつけること、言葉を与えることは、本当はもっと慎重にすべきことだったのだ。すべての感情は自分だけのもので、その曖昧さ、言葉にできなさを見失うことは、自分自身を見失うこと。けれど一方で、言葉がすくいとるものも、きっと、どこかにあるのだろう。そんなことをこの絵本を開いて思う。
 月の光が湖面に反射して、光の道ができあがる。その光の道を「mångata」と呼ぶ言語がある。その言葉があるだけで、私たちは夜に湖に向かう日が来なくても、永遠に光が道を作ることを忘れない。
 私たちは簡単に忘れてしまう生き物だ。だから写真を撮るし、日記帳が発売される。こんなにも心を打つ瞬間が、すぐに過去になることを、ほとんど諦めてしまっている。もしかしたら、ほとんどの瞬間はいつか必ず忘れてしまうからこそ、私たちは心を震わすのかもしれなかった。そして、カメラがなかった頃、書きのこすペンも紙もなかった頃、私たちは言葉を作った。その瞬間に名前をつけるという、そんな行為で、過去を永遠にしようとしていた。
 翻訳することのできない言葉は、どこか、「共有の道具」になることを避けてきた言葉であるように思う。実際、この言葉は言語の壁を越えて、行き渡ることはなかった。だれかに伝えるためではなく、自分が忘れないために生まれてきた言葉なのかもしれないと、思うのは少しロマンチックすぎるかな。それでも、絵本を開く間、簡単に消え去ってしまいそうな儚さを指先で感じていたのは間違いではなかった。


文/最果タヒ(詩人・小説家)

1986年生まれ。第44回現代詩手帖賞、第13回中原中也賞、第33回現代詩花椿賞を受賞。代表作に『死んでしまう系のぼくらに』など。近著に『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(ともにリトル・モア刊)。

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