Le cercle Chanel

作家・金原ひとみが語る、シャネルとリッツ・パリ。

Le cercle Chanel

1921年、マドモアゼル・シャネルはカンボン通り31番にクチュールメゾンを置いた。その目と鼻の先にあるリッツ・パリは、彼女が住居として最期まで暮らした場所。マドモアゼルのちょうど100年後、同じ獅子座に生まれた金原ひとみが、マドモアゼルの面影を求めてリッツ・パリを訪ねた。

シャネルとリッツ

取材・文/金原ひとみ

「彼女は仕事をしていたというよりも、怒りの女神に取り憑かれていたというべきだ」

 シャネルの元で働いていた従業員の言葉だ。インタビューを元にシャネルの評伝を書いた作家ポール・モランは、彼女を「皆殺しの天使」と呼んだ。彼女は生涯、どんなに成功しようと、その怒りから解放されることはなかった。

170524_chanel_ritz_01.jpg1937年、リッツ・パリのヴァンドーム広場を見下ろす3階のスイートにて。漆塗りのコロマンデル屏風が、カンボン通りのアパルトマンと同様、彼女の部屋を飾っていた。
Photo François Kollar © Ministère de la Culture - Médiathèque du Patrimoine, Dist. RMN
 © CHANEL

 時に、人は望むと望まざるとも拘らず、時代に創造を強要される。若い頃シャネルは歌手を目指していたが、彼女の怒りと時代の希求の一致した点は歌ではなくファッションであり、その肥大した箇所に彼女の握った針が穴を開けてからはとめどなく、その手からデザインが溢れ出した。もともと仕立屋やお針子という仕事に何の思い入れも持っていなかった彼女は結局、死の前日まで働き続け、ファッションをひとつのカルチャーに仕立て上げたのだ。

170524_chanel_ritz_02.jpg1937年、リッツ・パリの自宅スイートにて。化粧台の上には、名付け親でもあり、かわいがっていた甥の娘の写真が飾られている。
Photo François Kollar © Ministère de la Culture - Médiathèque du Patrimoine, Dist. RMN
 © CHANEL

 シャネルはリッツ・パリに住んでいた。二十年以上もリッツに住み、息を引き取ったのもリッツの一室だった。母親を亡くしてから孤児院で育ち、仲のよかった姉と妹を若くして亡くし、結婚もせず子供も持たなかった彼女にとって、カンボン通りのアトリエから僅か数十メートルの場所にある、終の住処となったリッツとはどんな存在だったのだろう。

170524_chanel_ritz_03.jpg1937年、リッツ・パリの自宅スイートにて。
Photo François Kollar © Ministère de la Culture - Médiathèque du Patrimoine, Dist. RMN
 © CHANEL

>>シャネルの生き方に重なる、ホテルの風景。

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シャネルの生き方に重なる、ホテルの風景。

 ホテルに暮らす人々の群像劇を描いた、映画『グランド・ホテル』は、シャネルがリッツに居を構えた数年後に公開されている。『グランド・ホテル』の登場人物たちが女優、詐欺師、余命いくばくもない世捨て人、といった面々であることからも、ホテル暮らしをする人々には地に足をつけていない根無し草というイメージがある。当時上流階級でそうした生活スタイルが流行ったのは、家父長制や血縁など、既に形骸化し始めていたコミュニティからの脱却という意味があったからかもしれない。あらゆる国から文化人、商人が集い、しがらみもなく、次々に隣人が入れ替わっていく世界。それはその両の手の作り出すものだけでのし上がった彼女のアイデンティティを、根底から強化したのではないだろうか。

170524_chanel_ritz_04.jpg1957年。戦後、クチュールメゾンを再開し、リッツに戻ったマドモゼルは、カンボン通り側にあるシンプルな2部屋に居を構えた。戦前に滞在したヴァンドーム広場に臨む部屋より、ぐっと親密な雰囲気。
© Mark Shaw / mptvimages.com
 © CHANEL

170524_chanel_ritz_05.jpg1965年.カンボン通り側のスイートにて。1971年に息を引き取るまで滞在した部屋。
© Shahrokh Hatami
 © CHANEL

「私は、最近盛んに言われ出して、幸福と名づけられているあの日常的な毒薬など必要とせずに幸福であろうと決意したのよ」
 そう既成の幸福を否定するシャネルのスタンスは、既成の服を、既成のファッションを否定し、あらゆる装飾を剥ぎ取った彼女が必然的に行き着いた境地だったと言える。ホテル暮らしというのは、装飾を嫌うシャネルが自らの生を採寸しデザインし、極限まで無駄を削ぎおとした生活スタイルだったのかもしれない。常に古きものが破壊され新しいものが提示され続けていくファッションの世界は、次々に新しい人々が来ては消えていくホテルの光景と重なり合う。シャネルは己のその人生を、安定や平穏などから切り離されたリッツという表舞台で、最後まで溢れんばかりの怒りとともに、完璧にウォーキングし終えたのだ。

170524_chanel_ritz_06.jpg昨年6月、全面改装を経てリニューアルオープンしたリッツ・パリ。188平方メートル、3部屋からなるココ・スイートは2階に。マドモアゼルが戦前に滞在した3階のルイ―トのすぐ下の階にある窓からは、前世紀に彼女が眺めたのと変わらぬ、ヴァンドーム広場の風景が望める。 © Vincent Leroux

170524_chanel_ritz_07.jpgマドモアゼルが好んだベージュと黒、白、ミラーを基調に、クリスタルのランプやゴッサンス製の麦の穂、獅子のオブジェやコロマンデルの屏風やなど、マドモアゼルのシンボルが置かれた部屋で、彼女の暮らしに思いをはせる。 © Vincent Leroux

金原ひとみ Hitomi Kanehara

1983年、東京都生まれ。2003年『蛇にピアス』(集英社刊)ですばる文学賞、芥川賞を受賞し、映画化もされ話題となる。12年『マザーズ』(新潮社刊)でドゥマゴ文学賞を受賞。17年1月、最新刊『クラウドガール』(朝日新聞出版刊)を刊行。現在はパリ在住。

coordination : MASAE TAKATA (Paris Office)

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