ワクチン接種が淡々と進む、イギリスで。
3月の終わりに私宛にブルーの封筒が届いた。イギリスの国営保健機関ナショナル・ヘルス・サービス(NHS)からだった。ブルーはNHSの色でもある。
中の手紙にはまず「covid-19のワクチン接種の予約をしてください」との文字。その下にはネットを通しての予約方法、電話で予約する人のための番号や、何故ワクチンを受ける必要があるかが簡潔な英語と大きくて読みやすいフォントで書かれていた。
さらにもう一枚、同封されていた紙が。そこには英語以外の16カ国語で接種の予約を促す言葉とともに、詳細を各国語で書いたリーフレットをダウンロードできるサイトの案内が記されていた。イギリスに住むのは英語を解する人だけではないからだ。
受け取ったブルーの封筒のNHSからの手紙。スペイン語、ヒンズー語、ポーランド語など、裏と表に16ヶ国語による簡単な説明を記した手紙も同封されていた。日本語はなかったけれども。また住所を持たないホームレスの人々は、区などから提供されている宿泊施設を通して年齢にかかわらず優先して接種が受けられるようになっていると聞く。
実はこの手紙を受け取る前日に、接種対象の年齢だった私はすでにサイトにアクセスして予約を済ませていた。
美しい大聖堂が接種会場となっていてパイプオルガンの演奏がBGMだったり、有名なハリウッドスターが案内のボランティアしていたりするニュースで見ていたので、私もそういうだったらいいのになぁと淡い期待を抱いていたけれども、我が家から最もアクセスしやすいのは近隣の町の薬局だった。
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予約した日に行ってみると、店の隅にある小さなコンサルテーションルーム一室がその場所だった。中に入ると医師がひとり。簡単な問診をしながら答えをコンピュータに打ち込んで接種、その後の私の座った椅子周辺の消毒までをひとりでこなしていた。
扉の奥が小さな接種会場だった。床に貼られた青い矢印が、ワクチン接種はこちらと示している。
接種するのは医師ひとりでも、受付や案内のスタッフは合計3人。それだけの労働力をかけてひとり5分程度のスロットで回していっても、この小さな場所で1日に接種できるのは100人前後だろう。そんな場を作ってでも、いまイギリスは毎日1人でも多くの接種をするのに必死なのだと痛感した。
薬局は一般の購買客にもオープンしていたので、入り口はこのようにしてワクチン接種者と分離。エントランスでは案内の人がにこやかに出迎えてくれた。受付もタブレットを使用して、てきぱきと対応。イギリスでは珍しく(?)すべてがとてもスムーズだった。
4月半ば現在で1度目のワクチン接種率はイギリスに住む成人の50%近くまで到達している。友人や知り合いもかなり多くが終えている。
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私が受けたのはアストラゼネカとオックスフォード大学が共同開発したワクチンだった。イギリスはアストラゼネカに1億回分を注文し、国内3カ所でも生産されていることもあり、現在使われているのはほとんどがこれだ。数日後、接種ののち脳内の血栓で命を落とした人がいると正式に発表されて、今後は30歳以下には別のワクチンが使用されることとなっている。
でもこの報道を受けて、すでに接種を終えた人が怒ったり動揺したり、今後の予約がキャンセルであふれたなどという話を聞かず。ワクチンの副作用で家族を亡くした薬剤師でもある女性の「それでも私は人々に接種を呼びかけたい」との発言が報道され、人々はそれを静かに受け止めていた印象だ。
昨年、イギリスは感染者数と死亡者数で世界ワーストの一国となった。家族や友人を失ったという話もしばしば耳にした。深い悲しみのなかで、この状況をとりあえず乗り切るのにはワクチンしかいまはないという切羽詰まった思いが人々に共通してあるのだと思う。
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イギリスの医薬品・医療製品規制庁はアストラゼネカのワクチンが血栓の原因となる根拠はないとしつつも、なんらかの関係を示す兆候があるとしている。BBCの報道によると、3月までのデータでは血栓による死の確率は100万の1、つまり100万人に1人。いっぽうで感染で命を落とす確率は23歳以上ならば100万人に23人、55歳以上ならば800人とされている。そのデータを頭に入れつつ感染、後遺症、そして死の怖さと、ワクチンを受けるメリット&デメリットを天秤にかけて、その結果生き延びる可能性の高いほうを判断して人々は接種を決心しているのだと思う。ひとりひとりが考えて選び、決断している。
ワクチン接種済みを証明するカード。今後はこれが「ワクチンパスポート」に変わっていき、レストランやコンサート会場などの出先で提示が求められるようになるかもしれないとも言われている。しかしそれは接種をしない選択をした人への差別につながるのではないかという声も上がっている。
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リスクを負ってもパンデミックを乗り越えるという意志。「こうしたいから」と決意したのは自分自身、たとえ隣人とは違う意見であっても揺るがないという強さ。厳しい時代の真っ只中で、こんなに強く淡々と過ごしていくイギリスの人々を私は初めて見た気がしている。この国はこれまでの歴史上にあった危機を、こうして乗り越えてきたのかもしれない。
ワクチンと並行して、検査数もいまだに増やし続けている。まだまだ終結は見えてきていないけれども、その中で私もシーンごとに自分で決断を下しながら進んでいくしかないと思っている。
ワクチン接種だけでなく、この1年驚異的な働きをしてくれているNHSには心から最大の感謝を送りたい。その気持ちを少しでも示したくてトランスパレント紙で虹色(7色じゃなくて8色だけれども笑)のデコレーションを作って窓に貼った。本当に本当にありがとうNHS。
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