反逆のプリンセス、モナコ公妃シャルレーヌの謎。

Culture 2021.11.22

南アフリカから帰国したアルベール2世公の妻は、モナコ国外の療養施設に入院している。それは、彼女がモナコから離れていた9カ月についてのうわさを再燃させ、王冠の下で決して居心地がいいように見えない公妃自身の幸せについても疑問を投げかけている。

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1999年9月1日、ヨハネスブルグでポーズをとるモナコ公妃シャルレーヌ(当時は水泳のチャンピオン)。photo : Getty Images

「モナコ公国のシャルレーヌ妃殿下は、5月に耳鼻咽喉科領域の深刻な感染症にかかり、いくつかの複雑な手術を受けなければなりませんでした」。6月25日、報道機関に向けた公式声明で、モナコ公国はこう説明した。そうして7月2日のアルベール2世公との結婚10周年の記念日にシャルレーヌ公妃が不在になることを正当化した。

それ以来、事態は悪化の一途をたどっている。シャルレーヌ公妃は幾度にもわたる手術(詳細はあまり明らかにされていない)を受け、ダーバンの自邸で体調を崩し、クワズールーナタール州のネットケア・アルベリト病院に救急搬送されたこともある。

8月末に訪ねて来たアルベール2世と子どもたち(ジャック公子とガブリエラ公女)との写真や、ズールー族の君主ミスズールー王との写真の中のシャルレーヌ公妃は疲れ切って痩せ細り、表情が曇っている。この裏側で荒唐無稽なうわさがささやかれた。「Voici」誌によると、シャルレーヌ公妃は夫との間に深刻な緊張関係を抱えているという。とある“関係者”は「みんな、彼女が戻ってこないのではないかと思い始めている」と語っている。また、「デイリー・メール」は、13世紀にモナコのレーニエ1世に誘拐されたフランドル地方の若い女性が、その子孫に「幸せな結婚ができない」という呪文をかけて復讐したという「グリマルディの呪い」についていち早く記事にした。さらに7月末、フランスのジャーナリスト、ステファン・ベルヌは「パリ・マッチ」に「シャルレーヌとアルベールは破局寸前?」という見出しの大きな署名記事を寄せた。

 

 

その後は? 9カ月ぶりにシャルレーヌ公妃が戻ってきた。11月8日、モナコ公宮はシャルレーヌ公妃がジャック公子とガブリエラ公女、そしてアルベール2世公と一緒に写っている3枚の写真を公開した。シャルレーヌ公妃の顔色がかなり悪いとはいえ、このニュースは多くの人を安心させた。しかしその10日後、状況は一変した。アルベール2世公は、11月17、18日、「モナコ・マタンと」アメリカの雑誌「ピープル」のインタビューに応じ、シャルレーヌ公妃が専門施設に入院し“治療”を受けていることを明かした。アルベール2世公によると、この決定は、シャルレーヌ公妃との同意の上でなされたという。「私はシャルレーヌを、彼女の弟たちと義理の妹と一緒に座らせた。彼女はすでに決心していましたが、私たちは、彼女に、その決心を自分で伝えてほしかったのです。入院し、療養して、医療スタッフに囲まれて治療を受けることが最善の選択だと、彼女はすでに知っていました」

また「守秘義務のため、モナコ以外の場所でなければならなかった」とも語っている。さらに、ピープル誌に向けては次のように述べた。「助けが必要だということに、彼女自身気づいていた。治療を必要としている人に、そのことを無理矢理理解させることはできず、自身でそれを受け入れるしかないのです」

これらの発言は、シャルレーヌ公妃の精神状態に疑問を頂かせるもので、警戒すべき兆候はすでに公妃としての彼女の生活の中にあったことを思い起こさせる。

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呪われた結婚

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2011年7月2日、アルベール2世公との結婚式で涙を流すシャルレーヌ公妃。photo : Abaca

王室の専門家らの懸念を理解するためには、南アフリカの水泳チャンピオンだったシャルレーヌ・ウィットストックとモナコの王位継承者であるアルベール2世の結婚の始まりまでさかのぼらなければならない。

祖国ではスターアスリートであるシャルレーヌ公妃は、同国のメディアでは、「頭脳派のブロンド」と呼ばれていた。一方、20歳年上のアルベール2世公は長すぎる独身生活を送っていた。

2011年6月末、待ちに待ったモナコ公宮での結婚式の前夜、「L'Express」のウェブサイトが、33歳のシャルレーヌ公妃は飛行機で南アフリカに帰国しようとしたと報じた。そして、公室メンバーの要請により、ニース空港で警察に引き留められたとも。アルベール2世公の弁護士であるティエリー・ラコストは、この疑惑に対して即座に反論し、「メディアの妄言だ」と語ったが、このことで、逃避しようとした居心地の悪いプリンセスというイメージが残り、定着してしまった。

「多くの人がお見合い結婚の印象を持っていたのは事実です」と、君主制を専門とする歴史家で、『グリマルディ家とモナコの最も美しい時間』(ラ・ボワット・ドゥ・パンドール社刊)の著者であるフィリップ・デロルムは振り返る。大々的に報じられた結婚式の日、疑い深い人は、シャルレーヌ公妃が小さなサントドゥヴォート礼拝堂にブーケを置いた後、涙を流した瞬間を思い出すだろう。

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グレース・ケリーの影

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結婚式の数週間前、amfARのガラに登場したアルベール2世公とシャルレーヌ・ウィットストック。(2011年5月19日) photo : Abaca

それ以来、泣いたり警察が介入したりすることはなくなったが、シャルレーヌ公妃は憂鬱で心ここにあらずといった表情を浮かべることが多い。「シャルレーヌ公妃が、できる限り、公室のしきたりに縛られない生活を送っていることを知らない人はいない。レーニエ公がグレース・ケリーに贈ったプロヴァンス地方の隠れ家ロック・アジェルや、友人が貸してくれたコルシカ島の家に滞在したり、トルコで休暇を過ごしたりしている。彼女がモナコに滞在するときは、宮殿ではなく、モナコのチョコレート工場の上のヴィジタシヨン広場にある、かつてステファニー王女が住んでいたアパートを利用している」とステファン・ベルヌは「パリ・マッチ」に書いている。

孤立した生活を送ることは、かつてチャンピオンだったシャルレーヌ公妃が自分自身であり続けるための方法であり、恭しく差し出されたグレース・ケリーの役割を拒否するための方法だ。グレース・ケリー同様、ゲルマン人の血を引くシャルレーヌ公妃は、彼女のように、背が高くて彫りが深く、ブロンドで透き通るような白い肌の持ち主だ。「アルベールは母親によく似た妻を選び、一方のシャルレーヌ公妃は “グレース・ケリー”という役柄に違和感を感じたに違いない」とフィリップ・デロームは説明する。「カール・マルクスが言ったように、歴史は繰り返します。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」

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反逆のプリンセス

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モナコ公宮でのクリスマスイベントに、パンクな髪型で登場したシャルレーヌ公妃。 (2020年12月16日) photo : Abaca

シャルレーヌ公妃はきっと、きっと笑う気も起きなかっただろう。彼女は自分に期待されている役割を果たそうと、スポーツマンの姿をプリンセスの外見に変えようと努力した。しかし、その形はすぐに崩れてしまった。

2020年のツール・ド・フランスではネオンイエローのレザージャケット、同年のクリスマスにはベレー帽と黒のレザーグローブを着用、さらにロング、ショート、プラチナブロンド、パッツン前髪などのヘアスタイルに挑戦するなど、彼女のルックは、より冒険的でロックに変化した。彼女の最新の髪型は、アメリカの先住民族のモホークにインスパイアされた、片方はボウルカット、もう片方はぼうず頭の“ハーフホーク”で、これまでのプリンセスのヘアスタイルの中では最も大胆なものだった。

 

 

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メラニア・トランプ元大統領夫人のように、モナコのシャルレーヌ公妃は、アルベール2世公との最新の2ショットで見せた迷彩柄のセットアップや、ズールー族の戦士姿など、自分自身を精一杯表現している。

しかし、いつまで? シャルレーヌ公妃は何を言いたいのか? シャルレーヌ・ウィットストックは何を約束されて、この好きでもない役を引き受けたのだろうか? 彼女は一体何を望んでいるのか? あるいは、何を望んでいないのか・・・・・・。それが、モナコ、そして周囲の人々の疑問だ。

*2021年8月31日に掲載した記事に追記、再編集しています。

text:Marion Galy-Ramounot (madame.lefigaro.fr)

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