ラリー・クラーク×太田莉菜のスペシャル対談

ラリー・クラークが語る、キッズと写真と過去といま。

特集

写真集『Tulsa』(1971年)、映画『KIDS / キッズ』(1995年)、『BULLY』(2001年)などユースカルチャーに焦点を当て、刺激的な作品を世に送り出してきた写真家/映画監督のラリー・クラーク。今年73歳となる彼が、長年の友人であるスケーターやファンに対して感謝の気持ちを込めたプロジェクト『TOKYO 100』を、9月23日より開催する。オリジナル写真を1枚15,000円で展示販売するというこの企画について、来日したラリー・クラークと、彼の写真を敬愛する女優・太田莉菜が特別に対談。

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太田莉菜(以下、R):初めまして。今回オリジナル写真を1枚15,000円で販売するというプロジェクトは、どのようにして決めたのですか?

ラリー・クラーク(以下、L):以前パリで映画を撮影中に、脊柱に酷い関節炎を起こしてしまって、ほぼ崩壊状態になってしまったんです。上を向けなくて、地面を見つめる姿勢しか取れなくて。それでNYにいる主治医に電話したら、すぐに帰ってこい!と言われました。仕方なく撮影を中断し、10,000ドルも払ってファーストクラスに乗って帰国したその足で病院に行ったら、すぐに手術です、と。7時間にも及ぶ大手術でした。元妻や子供たち、弁護士を呼んで遺言書まで作ったほど深刻なものでした。その時、自分のスタジオを見返してみると、たくさんの段ボールが散乱していて、中には30,000枚以上の4×6のプリントがぎっしり詰まっていた。僕がカラーで写真を撮り始めたのは1980年代でしたが、それは美学的な理由からではなく、それまではモノクロで撮っていて暗室がもう嫌になったから。15、16歳からずっと暗室で作業していたので、もうケミカルはたくさん、と思ったんです。でもカラーで撮れば、フィルム1本で36枚撮れて、キャナルストリート角のドラッグストアに持って行けば1時間後に4×6のプリントが36枚出来上がる。しかも13.65ドルで。

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R:そんなに大変な手術をされていたとは知りませんでした。もう大丈夫ですか?

L:今は歩き回れるぐらい快復しています。ドクターに毎日1マイル歩いた方がいいって指示されているぐらいにね。だから東京でも歩く予定です。それで、ふと思ったんです。「僕が死んだら、この20,000にも30,000枚にも及ぶプリントはどうなるんだろう? 子どもたちも途方に暮れてしまうだろうな」って。僕の個展には、スケーターやストリートのキッズたちがNYのどのアーティストよりも多く来てくれます。もちろん、映画『KIDS / キッズ』や写真集を見て来てくれる子たちもいる。でも、彼らには1枚10,000〜15,000ドルする僕の写真を買う余裕がない。だから、キッズたちがお土産感覚で買えるように、オリジナルの写真を1枚100ドルで売ろうと決めたんです。だって、僕の写真には彼らがいっぱい写っていますからね。そこで『KIDS / キッズ』でTelly役を演じたレオ・フィッツパトリックに相談して、キュレーションをお願いしたんです。

R:東京の前に、他の都市でも開催されたのですか?

L:ええ。最初はNY、次にLA、そしてパリ、ロンドン、最後に東京です。NYでやった時は、とにかく広告を出さない、ということをレオと徹底しました。コレクターが来て、買い占めてしまうのを避けたかったんです。50年後に何倍もの金額で転売するような人たちには、上限10枚と決めて。僕が本当に来て欲しかったスケートキッズは、仲間内の口コミでたくさん来てくれて、1枚100ドルで買ってくれました。14、15歳のキッズにとって100ドルは大金。それをかき集めて僕の写真を買ってくれた。そのことはとても光栄なことだし、嬉しかったです。

R:素敵ですね。

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トップ¥102,600/コシェ、ピアス ¥28,080/パメラ・ラブ(ともにA.Y.A) タートルネック¥4,320/プチバトー(プチバトー・カスタマーセンター) ジーンズ/本人私物

R:ところで、ラリーさんはなぜストリートにいるキッズに惹かれるのでしょうか?

L:それにはまず、僕が子供だった1950年代の話をしなくてはなりません。50年代のアメリカはアイゼンハワーが大統領で、とても保守的だったんです。子供たちはアルコールを飲まない、ドラッグもやらない、アル中の母親も父親もいない、児童虐待もない。そんなものはアメリカには存在しないと思われていた。でも実際は存在していたんです。ただ、表に出ていなかった。当時、『LIFE』誌に載るような素晴らしい写真家もいました。でも彼らは手を引っ込めて、目を逸らすことしかできなかった。僕は、なんで自分の周りで起きていることすべてを見せちゃ駄目なんだろう?と考えていました。だったら自分でこの“秘密の世界”を写真に収めてみよう、そう思ったのが写真を始めたきっかけです。本当は作家になりたかったけど、母親が赤ん坊を撮影する仕事をしていたから、嫌々ながら15歳の時から写真ビジネスにいたし、カメラという道具もあったからです。それにその頃にはアンフェタミン中毒になっていて、自分も秘密の生活を送っていたんです。それで1968年、18歳の時に故郷のオクラホマを出ました。NYに1年いた後、徴兵され、1966年にはベトナム戦争へも送られました。ベトナムから戻り地元タルサ(オクラホマ州)に帰ると、刑務所から出た友人たちは以前と同じ光景を繰り返している。彼らや僕の秘密の世界を写真に収めたのが、1971年に発表した最初の写真集『Tulsa』です。この本はキッズだった自分たちで始まり、次世代のキッズで終わるんです。自分の子供時代が酷かったから、つねにネクストジェネレーションに興味があるんです。

R:なるほど。現在は誰もが簡単に写真を撮れる時代です。若い世代がいまラリーさんのオリジナル写真を持つ意味についてどう思われますか?

L:映画『KIDS / キッズ』を撮る3、4年前の話ですが、スケーターを撮るには、自分がスケートを上手くならないといけないと思い、47歳でスケートを習ったんです。肩を骨折したけど、スケートしながら撮影できるまでに上達した。スケーターたちは、他のキッズと同じように僕を扱ってくれ、何が流行ってるかなどを教えてくれるようになりました。今回レオが東京にプリントを15,000枚ぐらい送ってくれたんだけど、ギャラリーに見に来てくれたお客さんがアートと気軽に触れ、プリントに指紋をつけたり、わざとじゃなく折り曲げちゃったり、よだれをこぼしちゃったり……何でもいいんだけど、そんな展覧会って聞いたことないでしょう? すごく良いと思う。今回は、みんなのための展覧会だと思っています。オリジナルの写真が、若い人にも手の届く15,000円で買えるんだもの。

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L:日本には10回来ているから、スケーターはもちろん、年齢問わずたくさんの友人がいます。東京はNYとパリに並んで大好きな街。だから東京で展示が出来て純粋に嬉しいし、今日は対談してくれてありがとう。

R:こちらこそありがとうございます! 期間中に伺いますね。

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『LARRY CLARK 「TOKYO100」』
開催期間:2016年9月23日(金)〜9月30日(金)12時~19時
場所:ギャラリーターゲット
渋谷区神宮前2-32-10
 
▼太田莉菜さんの最新情報
ライブシネマ『怪獣の教え』がZEPPブルーシアター六本木で9月25日(日)まで公演中!
●問い合わせ先:
A.Y.A. Tel.03-3770-1737
プチバトー・カスタマーセンター 0120-190-770(フリーダイヤル)

photos: AKIHIRO SUGIYAMA, stylisme: AYA TANIZAKI, coiffure et maquillage: KAZUNORI MIYASAKA(mod’s hair), texte: MIKA KOYANAGI

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