フランス人記者が明かす、チャールズ皇太子の素顔。

Culture 2021.04.26

メーガン・マークルとハリー王子が、英国王室はもとより英国中を揺るがすなか、『イギリス国王チャールズ』がラルシペル出版より刊行された。息子たちに比べると謎の多い皇太子の素顔を描く。著者のミシェル・フォールにインタビュー。

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チャールズ皇太子の60歳の誕生日を記念した公式ポートレート。(2008年11月13日)photo:Getty Images

若い頃は醜いアヒルの子と評された。30代には悪い夫と言われた。現在72歳のチャールズ皇太子は、いまや、国王への準備も万端だ。「いわば控えの間で出番を待つ男。ただ扉はまだ開いていない」。伝記の裏表紙にはそう記されている。著者はフランス通信社や『レキスプレス』紙で活躍し、一時期『リベラシオン』紙の海外部門チーフも務めた、フランス人取材記者ミシェル・フォール。

ダイアナやカミラとの恋愛がタブロイド紙を賑わせ、ハリー王子とウィリアム王子、ふたりの息子との絆を物語る逸話が英国民に感動を与えてきた。最近はタブロイド紙の一面は息子たちに譲り、自らは母であるエリザベス女王に代わって多くの公務を粛々と遂行している。チャールズ3世(皇太子が即位した場合に採用される予定の王名)が誕生したら、一体どんな国王になるのか気になるところだ。

——チャールズは生まれながらの皇太子。一国の君主として重い責任を負い、激務に追われる女王の長男として生まれました。どのような子ども時代だったのでしょう?

彼自身、とても不幸な子ども時代だったと語っています。母親と会う機会があるにはあっても、めったに会えなかったことでつらい思いをしたのでしょう。母親が女王になってからは、チャールズ皇太子と2歳年下のアン王女と過ごす時間は、毎晩15分だけ。それも女王が旅行中でない時に限ります。かなり少ない。家族全員が集まる、稀な機会といえば、王家の写真撮影…。

エリザベスは、基本的にチャールズの面倒はあまりみなかった。そもそも女王とフィリップ王配の間には、子どもの世話はフィリップ王配が担当するという合意がありました。フィリップはとても権威的な父親でしたが、同時にとても愛されていました。チャールズにとっては複雑だったでしょう。父親は絶対に従わなければならない存在であり、同時にお手本とすべき理想の男性だったわけですから。

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内向的な少年

——2017年にメイフェアで催された親しい友人たちとの晩餐会で、フィリップ王配が漏らした言葉が著書に引用されていますね。フィリップは女王にまだ10年は生きてもらいたい、「チャールズにあまり時間を残して王室を台無しにされてしまわないように」と発言した、と。フィリップはチャールズに落胆しているのでしょうか?

ふたりとも頑固なのだと思います。フィリップは確かに長い間、息子にいらだちを感じていました。チャールズはある程度の年齢になるまで、閉じこもりぎみで内向的な子どもでした。宮廷の女性たちに可愛がられ、運動はあまり好まなかった。それに対して父親はスポーツ万能です。とはいえ少しずつチャールズは生来の内気さを克服し、ポロも上達し、立派なスポーツマンになりました。スキーもとても上手です。

その後、調和や自然、建築など、宮廷が通常関与しない分野において深い造詣を持つチャールズのことを、フィリップはインテリすぎると思うようになった。かなり長い間、つまりチャールズがカミラと結婚する頃(編集部注:2005年)まで、チャールズは英国王室内で危険な存在と見なされていたところがあります。一族の安寧を託せるほど「頼もしい」人とは思われていなかった。

——チャールズは一家の中のインテリだと見られている。哲学者のような面もあります。自然の力は何よりも強いと考えるホリスティック思想にも共感されています…。

チャールズは、デカルト的な合理主義や理性を敬遠する傾向があります。直感やある種のサインに注意を向けることによってものごとを理解する、という考えを好んでいる。調和という概念に非常に興味を持っており、自然や古い建築や宗教にはそれがあると考えています...。ときが経つにつれ、神秘的な世界を夢想する反デカルト主義の知識人という地位を確立しました。突飛な妄想と見なされることも多いですが、こうした思想はチャールズの魅力の源でもあり、同時にやや変わった人と言われるゆえんでもあります。

一方で、前衛的な面もあります。たとえば、かなり前から環境保護活動や気候変動との闘いに取り組んでいますし、建築の調和や都市計画への啓発、ホメオパシーを推奨する活動も積極的に行っています。

——チャールズは引っ込み思案で社交が苦手な人とよく言われます。若い頃はどんな恋愛をされたのでしょう?

最初の恋愛相手は上流階級の令嬢たち。もちろん未婚で、皇太子の交際相手としてふさわしい女性たちです。チャールズもかなり魅力的な若者でした。ポロ競技場で撮影された写真では、愛車のアストン・マーチンの幌を開けてさっそうと乗りつけて...。いろいろな女性と付き合ったようですが、自分の立場にふさわしい相手を見つけることが常に念頭にありました。チャールズが慕う叔父の「ディッキー」こと、ルイス・マウントバッテンは、妻となる女性は、英国国教徒で、処女、貴族、スキャンダルと無縁な人でなければならないと繰り返し説いていました...。ある日、学生時代からの知己で、一時期プラトニックな交際をしていたチリ人の女友達の仲介で出会ったのが、カミラです。

——しかし彼女にはもう相手がいた...

当時、彼女はアンドリュー・パーカー=ボウルズと交際していました。彼は「Debs’ Delight」(編集部注:デビュタントたちの喜び)と呼ばれていた人です。世渡り上手で、理想的な娘婿候補。エレガントで、女性に対してとても紳士的ですが、相当な浮気者でもあった。

カミラとチャールズが出会った時、ふたりは自然に惹かれ合いましたが、宮廷はチャールズがすでに他の人と交際した経験のある女性と結婚することに反対しました。カミラは確かに貴族の家柄ですが、領地はややひなびた土地柄で、宮廷との関係もそれほど近くなかった。

そこでダイアナと引き合わされたわけです。当時の彼女はとても可愛らしい、内気な女性でした。ダイアナの家族は王室とも懇意でした。チャールズにしても最も適切な選択だと考えたに違いありません。かつて王宮で行われていたように、妻は一族の血を絶やさないために必要なのであって、愛人との恋愛を妨げるものは何もないと判断したのです。しかし1980年代にそんなふうに考える人はもうほとんどいなかった...。

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悪い夫、良き父

——チャールズとダイアナ夫妻について語っている章では、皇太子に対して比較的寛大な見方をしていますね。チャールズは妻を支えるために努力し、彼女の幸せを望んだと…。

落ち度は双方にあると思うのです。ダイアナ同様、この件ではチャールズも犠牲者です。たしかに宮廷で居心地の悪い思いをしている若い妻の苦悩を気遣うほど、彼は愛情を抱いていませんでした。しかし愛が足りないと言ってチャールズを責めることはできないでしょう。感情は意志でコントロールできるものではありません。チャールズは自分の義務を果たす努力をしたと思います。よき父であり、よき夫であろうと努力しました。必ずしも上手くいったわけではありませんが...。

結局のところチャールズは「ウェールズ家の戦争」と呼ばれた離婚騒動で、うまく立ち回ることはできませんでした。彼のほうが分は悪かった。ダイアナはイギリス国民に絶大な人気があり、彼女の死は国民にとってまさにトラウマになりました。チャールズは栄光とオーラに包まれた妻に比べてつねに印象が薄かった。彼はこうした局面を乗り切る術を知らなかった、あるいはそのつもりもなかったのかもしれません。

——チャールズとふたりの息子、ウィリアムとハリーとの関係にも触れています。現在、父子の仲はどうなのでしょうか?

チャールズはダイアナの死後、ふたりの息子を懸命に気遣いました。父親として悲しむ子どもたちを見守ったのです。とくにハリーは当時まだ13歳で、ウィリアムよりも多感でしたから、悲しみも大きかった。

その後、子どもたちは成長しました。ウィリアムは将来君主の座に就く立場にありますから、国王となるための特別な教育を受ける必要があり、ハリーにとっては、王室の核である、王位継承者たちからなるミニサークル(編集部注:エリザベス2世、チャールズ皇太子、ウィリアム王子)から締め出されたという思いがあったでしょう。

エリザベスの妹のマーガレットのように、ハリーはいかにも末っ子。大叔母と同じく、彼も自由奔放なタイプでした。思春期には反抗的な面が出て、同時に欲求不満も抱えていました。その後、軍隊での経験やメーガンとの出会いによって、ずいぶん落ち着きました。父子関係がこじれたことは一度もなかったと思います。少なくともサセックス公爵家がカナダに移住するまでは。今の状況はまた話が別です。

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リッチでマニアック

——生活費はどうなっているのですか?

「ダッチー」と呼ばれる一種の投資ファンドが基本的な収入源。コーンウォール公領の資産、つまり農地、建設用地を含む5万ヘクタールの土地と不動産を運用しているわけです。ファンドは10億ポンド近い資産を管理しており、ここから年間約2000万ポンドの収入があります。

ですがこの金額には謎の部分もあります。というのもファンドはフランスの会計院にあたるイギリスの機関に資産額を報告する義務がないからです。また、チャールズは公に規定されていない税金を「自発的に」収めているとされていますが、これも定かではありません。

——チャールズは小さなこだわりがたくさんある人のようですね…

英国王室のほかのメンバーも同じですが、チャールズは皆が自分にペコペコし、「サー」と呼ばれるのを当然のことと考えています。ベッドでも「サー」と呼ばれるという逸話もあります。

実際に、マニアックな気質を貫く財力は充分ありますし、衛生に関することなど、いくつかの点ではやや偏執的でもあります。旅行に出るときはいつも秘書と専属医を連れ、小型のたんすと便座、オートペディックベッドを携行するという習慣も、やや常軌を逸しています。

こだわりの多い人で、それが許容される環境がある。つまりチャールズが半熟卵を所望し、卵が望み通りの茹で加減でなかったら、もう一度やり直す。そういうことです。念のために料理人たちは毎朝半ダースの卵を用意していますが。それは彼自身の性格というより、システムがそうさせるのだと思います。言うなればマニアックな気質を発揮できる立場を満喫しているだけで、とがめ立てするほどのことではないと思うのです。

Michel Faure著「Charles, roi d’Angleterre」l’Archipel出版刊

texte : Marion Galy-Ramounot (madame.lefigaro.fr)

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