なぜそんなに不快なの? 人前で授乳の母親に平手打ち。

Culture 2021.06.06

先ごろ、ボルドーの街中で赤ちゃんに授乳したママがひっぱたかれた。母親になった女性たちの身体が、矛盾する意見の板挟みになっている……その現状を浮き彫りにする事件だ。

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人前で母乳を与える姿が、どうしてそんなに不快なの? photo:Getty Images

小包を受け取るために列に並んでいたマイリスが、生後6カ月になる息子のニノに授乳したせいでひっぱたかれた。ボルドーで起きたこの事件は大きな反響を呼び、SNS上に怒りや同情の声が続々と寄せられた。「その女性は私に何度も、“恥ずかしくないの? 信号が赤になれば車も止まるし、子どもたちも見ているのよ”と繰り返しました。彼女は大声を上げて、私をののしり……」とマイリスは語る。

「子どもに食事を与えるときは、あらかじめ計画を立てておくもの。それは自分の家ですべきこと。こんなふうに人前ですることではない。とんでもないわ」。そう叱責した後で、女性はマイリスの顔に思いきり平手打ちを見舞った。列に並ぶ人たちはみな我関せず。それどころか、マイリスの言葉によると「はるかに年上の」女性一名が拍手までしたという。

ただの意地悪という論議以上に、お腹を空かせた子どもに授乳したい若い母親と、この行為を破廉恥だと断じるふたりの女性の間のこのすれ違いをどう説明すればいいのだろう? 赤ちゃんの食事の「計画を立てる」ことと、「はるかに年上の女性」という2点が重要なポイントだ。この出来事が語るのは、授乳をめぐって若い母親に提示される定説が、世代によって矛盾することが多いという事実。授乳についての考え方が時代によって変化し、世代が違うと理解し合えないという問題を生んでいる。

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授乳は子どもが欲しがる時。たとえ公衆の面前でも。

「30年前には人前で子どもに授乳する女性はひとりもいなかった。昔はよかった!」。マイリスに降りかかった不幸な出来事を報じるメディアの記事をフェイスブックで取り上げたエディットは、苛立ちのコメントを投稿している。やはりフェイスブックで、若いママたちの私的なグループに所属するマリーは次のように証言する。

「今年の夏、オーヴェルニュで過ごすバカンスが心配になってきた。夫の叔父や叔母たちも集まる予定。4年前も同じ状況で、私たちは生後1カ月になる長男を連れていた。義母のいとこの男性から優しい口調で、どうか他の場所でやってくれと言われた。大人たちだけのディナーの席で、赤ちゃんがお腹を空かせていたから、テーブルの端でこそっと授乳していたのに」。そして、こう意見した叔父は、実は妻にせっつかれて代わりに彼女に言いに来たのだという。
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母乳で育てたいと思っていたけれど……。母親世代の心の傷?

フェイスブックやインスタグラムでは、こうして授乳する若いママたちの間で相互サポートのネットワークができつつある。必要な限りの期間、母乳だけで育児をすることを選択した女性たちだ。子どもが欲しがる時に、ゆえにしばしば人前で授乳する。それは便宜上の問題からだ。育児看護婦のナデージュ(36歳)もそんな母親のひとり。彼女は、産婦人科で赤ちゃんに母乳を与えようとした時に、自分の母親が見せた戸惑いについて、インスタグラムにこう綴っている。

「母は見ないようにして病室を出て行った。私が自分の娘にお乳をあげる姿を見たくないからと。哺乳瓶だったら問題なかった。でも、おっぱいはだめ。乳房は栄養を与える器官というより、性的な器官と見なされている」。しかし、ナデージュはいま、母親を恨んではいない。

後になって、自分の母が「母乳で育てたいと思っていたけれど、当時は人工乳のほうがいいという風潮だった」ことに気付いたのだ。「私が母乳をあげる姿を見て、そのときの傷が蘇ってしまったのだと思う」。彼女の母親のケースのように、自分の娘が母になり、子育てをめぐって自分と違う選択をするのを見て、傷つく女性は多い。
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現在、世界保健機関(WHO)は「少なくとも生後6カ月までは」母乳を与えるよう推奨している。授乳は決まった時間ではなく、乳児が「欲しがる時に」与え、また適切な食事を補いながら母乳育児を少なくとも2歳まで継続するのがいいとされている。WHOのお墨付きを得たことで、若い女性たちの中から、自らの身体にまつわる選択を自身の手に取り戻そうと、自分と子どもに干渉する人工的な要素を否定する動きも出てきている。しかし、基本的人権のひとつである行動の自由の下、赤ちゃんが欲しがる時に母乳を与えることは、同時に人前で授乳すること、つまり「見てはいけない」乳房を前にした人々の困惑とぶつかってしまう。

多かれ少なかれフェミニズムの立場を取るこうした女性たちからすれば、女性の乳房に性的な機能しか認めないという考え方そのものを改めてほしいということだ。「私自身は授乳する時に隠したくはありません」とナデージュは断言する。「人前で授乳すると問題になる。海岸でトップレスの女性がいても誰も騒がないのに。哺乳瓶は隠さないのに、なぜ母乳を与える女性の乳房は隠さなければならないの?」
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いま推奨されている授乳方法とはまったく違った! アンチ vs 肯定派。

フランスでは、母乳育児は19世紀から1930年代まで一般的に行われていたが、その割合は1940~70年代に急激に低下した。母乳育児が少数派に転じるのは1970年代に入ってから、とフェミニストで哲学者のカミーユ・フロワドゥヴォ=メトリは著書『乳房。自由を求めて』(1)の中で説明している。第二波フェミニズムの思想的基盤となった、女性の身体と健康をテーマとした書籍『Our Bodies, Ourselves』でも、母乳育児はとりわけ「私たちの身体を肯定する行為」とみなされている。

ポスト68年世代の女性たちが、母乳反対の立場を取り、母乳育児を女性の身体の奴隷化と捉えるのもまた、フェミニズムの考えからだった。母乳育児やアタッチメントペアレンティング(親子のふれあいを重視する育児)を推奨するNGO団体ラ・レーチェ・リーグ・フランスの世話役で、母乳育児に関する著作を多数発表しているクロード・ディディエジャン=ジュヴォは次のように説明する。

「80年代は、出産や母乳育児が女性を奴隷にすると考えていた一部のフェミニズム運動の影響で、出産後に母乳育児を選択する女性たちがいまほどいませんでした。また60~70年代の女性たちは授乳を決まった間隔で、つまり3時間ごとにするよう指導されていました。いまでもまだそのやり方を勧める人はいます。赤ちゃんが欲しがる時に与える、という現在推奨されている授乳方法とはまったく違ったのです。」

こうした傾向に変化が見られるようになったのは、90年代の終わりから2000年代初頭にかけて。「95年頃まで母乳育児の割合は45%でした。現在は70%に近い」とディディエジャン=ジュヴォは言う。母乳育児率は2000年に50%を超えた。これは01年に発表された第1回国民栄養健康プログラムで、母乳が肥満予防に有益であるとして推奨されたことと軌を一にしている。90年代には、WHOとユニセフの主導で、やはり母乳育児を奨励する目的で「赤ちゃんにやさしい病院」認定制度がスタートした。2000年代に入るとインターネットの普及に伴って、母乳育児に関する情報が一般化した。
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マリーのフェイスブックのアカウントには、同じく母乳育児をする女性たちから多くのコメントが寄せられた。彼女たちも自分の母親や叔母、義母から不快な言葉を掛けられた体験について語っている。そして今度は、人前で胸を出すことの是非ではなく、授乳のタイミングが争点になっていた。「1日に何回おっぱいをあげるの?赤ちゃんが欲しがるたびに?まるで奴隷ね……叔母にある日そう言われた」とアリックスは書き込む。

フロワドゥヴォ=メトリも著書『乳房。自由を求めて』の中で、2000年代に顕著になった粉ミルクより母乳という傾向について、エコロジー意識の高まりと経済危機という文脈から説明している。実際に多くの母親が、エコロジカルではないと思われている粉ミルクを避けるためだけでなく、節約になるという理由でも母乳育児を望んでいる。
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つねに批判に晒される母親たち。

ディディエジャン=ジュヴォは、人前で胸を露わにすることに関する批判は「常に存在してきた。しかも批判を向けるのは街で出会う他人より、身近な人々のことが多い」と言う。フィガロ紙に寄せられた複数の証言によると、こうした指摘をするのが同世代の母親たちのこともある。『夢の産褥期』(2)の著者である助産師のアナ・ロワは、最近遭遇した次のような出来事を語っている。

「ある女性がパリの公園で母乳を与えていたのですが、同世代の母親グループが激しい口調で彼女を非難し始めたのです。“見苦しい”と言って。見かねて仲裁に入りました。私に言わせれば、弁解なんて必要ない。お腹を空かせた子どもがいる、ただそれだけのこと。女性の乳房に性的な機能しか認めないなんてバカげています。だいたい子どもを母乳で育てているからといって、家にじっとしていなければならないわけではありません!」

乳房には性的機能と栄養を与える機能というふたつあるがゆえに、可視性が問題になるのだと哲学者のフロワドゥヴォ=メトリは言う。「トップレス、胸元の大きく開いた服、授乳、文脈はそれぞれ違いますが、いずれにせよ女性の乳房に対する世間の反応からわかるのは、乳房は女性自身に属すものではないということ。乳房は男性に対する誘惑の道具、あるいは赤ちゃんに栄養を与えるための道具と考えられているのです。現在は、私たち自身の身体の所有権を取り戻すことを主張するフェミニズムの時代なのに」。

女性の乳房に向けられる視線とそれが提起する問題は、乳房を恥ずかしいものと見るかどうかより、むしろ私的領域をどう捉えるかに関連しているとフロワドゥヴォ=メトリは分析する。「母乳を与える母親を平手打ちした女性は、家父長性が基盤を成す社会通念を体現しています。そこでは、女性は社会のために子どもを作る。しかし女性はその役割を家族という私的領域のなかで果たすべきというわけです。現在起きている動きが示していることは、私的領域に関わる問題はすべて社会的で政治的であるということです。女性の身体とは典型的な盗用の舞台ですから」

助産師のアナ・ロワは、現在の傾向が続けば、母乳育児を選択しない母親たちがいま以上に罪悪感を抱えることにつながると指摘する。最終的にどのような選択をしようと、母親たちは常に批判に晒されているように見える、とロワは嘆く。フロワドゥヴォ=メトリも同じようにこう分析している。「妊娠したり子どもを産んだりすると、あっという間に、すべてが批判の対象になる。まるで彼女の子どもが公有財産でもあるかのように!」

  1. Camille Froidevaux-Metterie著「Seins. En quête d’une libération」Anamosa出版刊
  2. Anna Roy著「La vie rêve du poste-partum」Larousse刊

text: Bénédicte Lutaud(madame.lefigaro.fr)

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