連載【石井ゆかりの伝言コラム】第11回「栗」&「さんま」
石井ゆかりの伝言コラム
第11回「栗」&「さんま」
数年前、初夏に小樽を旅したことがありました。
よく晴れた日、海辺をひとり歩いていると、足元にイガ栗が落ちていました。
小樽は美しい運河や街並みで有名な街ですが、山と海がとても近くまで迫っています。山のものが海辺にあるのが決して不思議ではないのです。
ゆえに私は「なぜ栗がこんなところに?」とは、思いませんでした。
きっと、カラスかなにかが運んできて、ちょっと落としてしまったのかもしれません。
私はイガ栗をそっとよけて、そのまま散歩を続けました。
その夕方、少し早めにひとりでレストランに入り、創作寿司と地ビールを楽しんでいると、ふと、あの栗のことが胸に蘇りました。
あれは
あれはもしかして
栗ではなく
「ウニ」だったのでは……!!
たぶん、ウニでした。
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毎年秋になると、目黒では「さんま祭り」が開かれます。
さんまを塩焼きにしてみんなで大々的に食べるのです。
しかし目黒には、海はありません。なぜ目黒でさんまなのか。
このお祭りは皆さんご存じのとおり、落語の「目黒のさんま」というネタに由来する、言わば「ノリツッコミ」のお祭りです。
江戸時代、目黒の原っぱに野駆けに来た殿様が、お腹が空いたので町人に昼食を所望したところ、さんまの塩焼きを出されました。
お城ではさんまの塩焼きのような野趣あふれる、大雑把な食べものはなかなか出してもらえません。手間暇かけて調理され、毒味を重ねて冷たくなったお膳しか食べたことのない殿様は、焼きたてほかほかじゅわじゅわのさんまを大変お喜びになり、その後も「ああ、また目黒でさんまが食べたい」と思うようになったのです。この落語の名言「さんまは目黒に限る」を受けて、目黒の商店街が開催するようになったのが「目黒さんま祭り」です。
目黒は特にさんまの名所でもなんでもなく、お祭りでも岩手県宮古市のさんまを焼いているのです。ただ、殿様にとってはさんまの塩焼きとの一期一会(?)が、他ならぬ目黒で起こった、ということなのです。
私たちの生活はことほど左様に、誤解と思い込みに満ちています。
関係ないものに因果関係を見出し、リクツのつかないことにリクツをつけ、結びつけ、心の中で一体化させ、私たちは日々、自分だけのイマジネーションでできた世界を生きているようなものです。そこではウニも栗になり、目黒はさんまの名所となるのです。
もし、私たちがこの「なんでもその辺にあるものを勝手に結びつけてしまう能力」を持っていなかったら、果たして、占いは生まれたでしょうか。たぶん、私たちの「なんでも関連づけるクセ」がなければ、占いは、この世に存在しなかったかもしれません。
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illustration : SHOGO SEKINE