連載【石井ゆかりの伝言コラム】第14回「おせち料理」&「お雑煮」
石井ゆかりの伝言コラム
第14回「おせち料理」&「お雑煮」
あけましておめでとうございます!
本年もよろしくお願いいたします。
お正月といえばおせち料理、お雑煮ですね。子どもの頃は甘いものに心惹かれるもので、黒豆がいちばんの好物でしたが、今ではいろいろなものをおいしいと感じるようになってきました。
私は子どもの頃からいろんなところを転々としてきたのですが、幼い頃は主に関東・東北におりました。ゆえに、おせち料理はしょっぱいものが多かったですし、お雑煮も醤油味のおすましで、鶏肉などたくさんの具が入っておりました。味の濃い、塩辛い物が好きなのは、京都在住となってからも変わらずです。
京都に初めて来たのは大学生の頃でしたが、京都のお雑煮を目にした時はびっくりしました。白味噌のおだしに丸餅、具はにんじんと大根と海老芋で、にんじんの色もオレンジ色ではなく、朱色なのです。スーパーでそのにんじんを買い求める人が、お店の人に「あの、赤いにんじんある?」と聞いていたのですが、確かに「赤いにんじん」です。
近年このお雑煮を自分で作ることになりまして、地元の方にレシピを教わったところ「白味噌で、お味噌汁を作るだけや」と言われました。だしも取らないのだそうです。
勇気を出して購入した白味噌のパッケージには、横っ腹に「お雑煮を作る時は、味噌を多めに入れて下さい」と書かれています。
怖る怖る、まず水で根菜を煮て、次に白味噌を溶いたのですが、入れても入れても漠然とした味にしかなりません。自分なりに「多め」に入れたつもりでも、薄いのです。
「この感覚は既視感がある」と思ったのは、子どもの頃に遊び半分でやった、クッキー作りでした。本を見て、分量をはかりながら作ったのですが、使う砂糖の量のものすごさにドン引きしたものです。普段食べているクッキーにあんな量の砂糖が入っているなんて、想像もつきませんでした。
もしかしたら、ああいう感覚なのかもしれない。そう考えた私は、思い切ってお玉いっぱいに何度か投入し、やっとはっきりした味になりました。しかし、モノスゴイ量を使うものです。料理における、私の「味噌」の概念を、完全に覆すような量でした。
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季節により、土地によって、食べものがいろいろ変わるのは、おもしろいものです。年末のいとこ煮、クリスマスのシュトーレンや大晦日の年越し蕎麦など、冬は「この時期にはこれを必ず食べる」というものが多いように思われます。
それらの習慣が生まれた時代には、作物の収穫時期や人々の食生活など、何かしら合理的な理由があったはずですが、現代ではそうした「合理的理由」は消え去っています。それでも私たちは、なぜか「季節の食べもの・儀式的食事」にこだわって、それを楽しみ続けています。
「時間と空間」は、星占いのベースにある考え方だと私は思っているのですが、人間は暦のほかにも、さまざまな方法で時間を区切り、色づけ、変化させていきます。時期の食べものもまた、私たちの生きる目に見えない時間を、目に見える形で区切り、形づくる手段なのでしょう。
私たちは実は、あらゆる方法を使ってこの「時間と空間」に触れようとし続けている生き物なのだ、という気がしてならないのです。
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illustration : SHOGO SEKINE