ファッション、カルチャーともに輝ける1970年代のニューヨークは、ティファニーの著名デザイナーエルサ・ペレッティが活躍した時代でもある。 時を経てなお愛される彼女のデザインのルーツを探しに、 70年代のニューヨークへ、いざタイムトラベル。
TIFFANY&Co. × FIGARO 2015

フィレンツェのブルジョワ家庭に生まれ、ローマで育ったエルサ・ペレッティ。超保守的な家に息苦しさを感じた彼女は1961年にバルセロナへと向かい、サルバドール・ダリと出会う。背の高さとはっきりとした顔だちを買われ、彼のモデルとなったことがきっかけでバルセロナのアートシーンの仲間入りをした彼女は、次第に彫刻という表現形態に惹かれていく。エルサはその後、日本や香港への旅を経て、68年にニューヨークに移住。親友ロイ・ホルストンのブランドでモデル兼ジュエリーデザイナーとして活動を始める。美しさと聡明さ、デザイナーとしての類稀なる才能に恵まれた彼女は、瞬く間に時代を代表するファッション・アイコンに。ジョルジオ・ディ・サンタンジェロやスティーブン・バロウズのモデルも務めている。また75年にヘルムート・ニュートンによって撮影された、摩天楼を背景にしたバニーガール姿のエルサは、当時のNYの象徴といっても過言ではない。
有機的で官能的でありつつミニマルで洗練されたフォルムを持つ、時代を超えて魅力を放ち続けるエルサ・ペレッティのジュエリー。そのデザインのルーツには、幼い頃からの自然への興味、バルセロナで覚えた彫刻作品を創り上げる喜び、そして日本や香港をはじめ世界中を旅する中で出会った伝統工芸など、さまざまな経験や要素が混在している。エルサのジュエリーデザインが世に知られるようになったのは、ファッションデザイナーのジョルジオ・ディ・サンタンジェロが自身のショーで彼女のジュエリーを使ったこと、そして68年にウィメンズラインの旗艦店をオープンさせたホルストンとのコラボレーションがきっかけ。気鋭のファッションデザイナーやアンディ・ウォーホールなどとの交流も彼女の表現欲を大いに刺激した。そんな彼女は74年6月、ティファニーの専属デザイナーに。以来40年以上にわたり、そのジュエリーは世界中の女性たちを魅了し続けている。
肌身離さず、日常的にダイヤモンドを身に着けたい――そんな女性たちの想いを叶えるのが「ダイヤモンド バイ ザ ヤード」だ。チェーンに沿ってセッティングされたダイヤモンドは首元や手首で流れるように揺らめき、身に着ける人をいきいきと引き立ててくれる。1970年に発売され、今では大英博物館のパーマネントコレクションにもなっている「ボーン カフ」は、幼い頃からローマ寺院の内部に飾られた人骨に魅せられ、その形態をスケッチし続けていたというエルサならではの彫刻的なデザインが秀逸。手首のカーブにフィットするように考えられているため、右手用と左手用があるのもユニークだ。緩やかに肌に馴染む「メッシュ」のシリーズは、エルサが75年にホルストンから発表したゴールドのブラとスカーフから発展したもの。インスパイア源はインドのジャイプールで見た、美しいハンドメイドのメッシュアクセサリー。エルサはさまざまな協力者を得て機械で編み上げる技術を開発、後にティファニーを代表するジュエリーシリーズのひとつにまで発展させた。
エルサ・ペレッティのジュエリーにはセレブリティも魅了される。かつては同郷イタリアを代表する大女優ソフィア・ローレンや友人のライザ・ミネリ、キャンディス・バーゲンらが「ボーン カフ」を愛用。近年ではアンジェリーナ・ジョリーやナオミ・ワッツの手首で輝く姿が印象に残る。「ダイヤモンド バイ ザ ヤード」を愛用しているのはアン・ハサウェイ。キャサリン妃が婚約発表の時につけていたのも、ダイアナ妃の形見の婚約指輪とマッチするように選ばれたエルサのネックレスとピアスだった。エミリー・ディシャネルやシェリル・クロウ、それにキャシー・ベイツなどは「メッシュ」を。同じジュエリーが年代を超えて愛されるのも、エルサならでは。
LGBTコミュニティから生まれたディスコの波は70年代のニューヨークを席巻、「The Gallery」「Read Street」などのクラブは毎晩着飾ったパーティー・ピープルで溢れ返った。1977年には伝説のクラブ、「Studio 54」がオープン。アンディ・ウォーホル、イヴ・サン=ローランやホルストンのドレスに身を包んだビアンカ・ジャガーなどのセレブをも魅了した。もちろんエルサもその一人。当時の雰囲気は同年公開の映画『サタデー・ナイト・フィーバー』などで感じて。
チェルシー・ホテルは1884年にマンハッタンのチェルシー地区で開業した老舗ホテル。アーサー・C・クラークが『2001年宇宙の旅』を書いたのも、パティ・スミスがロバート・メイプルソープと共同生活を送ったのもここだ。アンディ・ウォーホルの雑誌『Interview』のカメラマンも務めていたアーティスト、アントン・ペリッチが1974年に撮影したフィルム作品『Night at Chelsea Hotel』には友人のエルサも登場。噂話に花を咲かせている。
NYを象徴する映画作家といえば、何といってもマーティン・スコセッシとウッディ・アレンだ。生粋のNYっ子、ロバート・デ・ニーロを起用したスコセッシの『ミーン・ストリート』(73年)や『タクシー・ドライバー』(76年)ではストリートの雰囲気が味わえるし、ニューヨーカーのファッションやライフスタイルを堪能したいならアレンの『アニー・ホール』(1977年)や『マンハッタン』(79年)がいい。ウィットの効いた台詞も楽しい!
1970年代のニューヨークのストリートといえば、地下鉄の車体や建物の壁を覆ったグラフィティの数々を思い浮かべる人も多いはず。落書きから始まったこのエアゾール・アートは次第に表現の幅を広げていく。70年代後半、SAMO名義で文学的・哲学的なグラフィティを残して注目を集めた人物が、あのジャン=ミシェル・バスキア。彼が現代美術の世界でブレイクするきっかけを作ったのが、同じくグラフィティの手法に影響を受けたキース・へリング。
1969年にNYのゲイ・バーで起きた「ストーンウォールの反乱」などをきっかけにLGBT差別撤廃運動が進んだ70年代のニューヨーク。LGBTによるパーティー・シーンは隆盛を極め、メインストリームのショウビズ界にも影響を与えるようになる。「Studio 54」の常連だったアンディ・ウォーホルのミューズ、グレイス・ジョーンズやライザ・ミネリ、ゲイ向けバスハウス「Continental Baths」で歌っていたベット・ミドラーなどは、当時の彼らのアイコン的存在に。
“スタイルはシンプルであれ” アントニオ・ガウディやの建築やアジアのクラフツマンシップに影響を受けたエルサが、デザインの際に信条としていた言葉だ。ティファニーの著名デザイナーである彼女の作品の数々は、この100年間でもっとも革新的で、美しく、重要なものとされている。エルサはひとつの概念を絶対的な本質そのものへと削ぎ落とす天才的な能力を備え、彼女が創出するその滑らかなラインは、オープン・ハート、ボーン・カフ、ダイアモンド・バイ・ザ・ヤードに息づいている。エルサ・ペレッティから生まれる独創的な美しさは、永遠にモダンであり続ける。
デコルテを繊細に彩る「ダイヤモンド バイ ザ ヤード」。エルサ・ペレッティ自身も胸元が深く開いたブラウスも重ねづけていたように、このジュエリーは日常着に粋なエッセンスをひと匙プラスしてくれるのが魅力。ダイヤモンドを気軽に楽しんで欲しいという彼女の想いが生んだベストセラー。
ローマの寺院の中にある納骨堂で見た人骨の美しさに、幼いころから魅せられていたペレッティ。骨格が持つシェイプをそのまま表現した「ボーン カフ」のデザインは、ジュエリーという枠を超え人間工学的な要素を美学へと昇華した圧倒的な存在感を放つ。ストイックな着こなしに知的で華やかなアクセントを添えて。
シルバーをメッシュ状に編み込んだしなやかなジュエリー「メッシュ」。ファブリックのようになめらかなその素材感は、1970年代にペッティが発表したゴールドのメッシュブラから発展したもの。さらり首にかけたり二重に巻いたりと、着こなし次第で自在に変わるタイネックレスの表情を楽しみたい。
