エッセイ
優しい光
吉本ばなな
今でも家族ぐるみでとても親しい、高校生のときからの男性の友人のお父さんが真珠関係の会社を経営していた。一度会社を見学させてもらったことがある。
粒をより分ける、糸を通す、働く人たちのその優しい手つき。
すばらしいパーティの会場(谷崎潤一郎賞を受賞したとき、私も本を開いたデザインのすばらしいパールのリングをいただきました)や、愛する人とのお別れを彩るあの虹色に光る白い粒は、その人たちの手にも似合っていた。
たくさんの優しい手に導かれて真珠が存在する、そのことの美しさを思う。
その友だちの初めてのひとり暮らしの引っ越しを、私ともうひとりの女友だちと彼のお母さんとで手伝ったことがある。
全く色っぽい話ではなく、単に私と女友だちがすぐに呼び集められるくらい近所だったからだ。引っ越し屋さんかと思うくらい事務的に、私たちは異性である友だちの荷物を片づけた。
彼が、「最初に何もない冷蔵庫にエビアンを入れてみたかったんだ!」と言いながら実行していて、わかるよ、その憧れがひとり暮らしっていうものだよね、と思った。
彼のお母さんはわざわざ伊勢のホテルから高級なスープを取り寄せて、お手伝いのお礼だと私たちにくださった。ありがたかったし、みんなで過ごしたその時間もすごく楽しかった。
友だちのがらんとした部屋には、音に反応するペアのぬいぐるみがあった。ひとり暮らしの淋しさを紛らわせてくれるから、と彼は言ったが、いくらなんでもふたつあったらうるさいんじゃない?と私と友だちが笑っていたら、突然お母さんがなにもない部屋の真ん中にそのぬいぐるみを並べて、パンパンと手を叩きはじめた。
するとぬいぐるみが手を振り回して反応する。
「おもしろ〜い、ほんとうに動くのね!」と言って、お母さんは今度は大声を出しはじめた。
「お〜い!」「ほうほう!」
するとその声に合わせてぬいぐるみが動いた。
お母さんは少女のようにかわいい笑顔でいつまでもその遊びをし、部屋の真ん中でぬいぐるみがふたつ、楽しそうに踊っていた。
今はもうこの世にいないそのお母さんはよく真珠を身につけていたし、ご主人が愛する真珠を生涯いっしょに愛していた。
私はその友だちのことを、彼もまたあのご夫婦の大切な真珠なんだな、と思った。
もしかしたらどんな子どもたちもそうなのかもしれない。
母なる貝が大切に育んで世界に生まれる。どこまでも遠くに、いろんな優しい人の手によって羽ばたいていく。柔らかい表面にたくさんの思い出をそっと描いて。
photography | Ayumu Yoshida(objects) |
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styling | Mayu Yauchi(objects) |