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艶やかな真珠

小説

エイジング

金原ひとみ

Mikimoto Omnibus of Pearls

怯えを隠すための硬い笑顔で差し出された箱に、なに?と言いながらホッとする。今日ここで落ち合った時からどこかぎこちなく、彼には何か言うべきことがあるのか、あるいはやましいことでもあるのかと、私も怯えていたのだ。

怖々開けた箱の中にはイヤリングが入っていて、反射的に小さな歓声をあげる。三つ連なったダイヤの下で、小ぶりな真珠が揺れる形のイヤリングだった。自分に真珠なんて似合うだろうかと不安に思いながらも、これまで私が指定した以外のジュエリーを彼がプレゼントしてくれたことはなかったため、その勇気が微笑ましくて、彼にともイヤリングにともつかない可愛い、が零れる。良かった、と彼は心底ホッとしたように言った。

「青柳の握りです」

プレゼントが成功したタイミングを見計らったように個室の障子が開き、女性の職人さんが言いながら私と彼の寿司下駄に握りを置いた。白とオレンジの綺麗なグラデーションの貝はまだ動いていて、私はおおと唸る。指でつついていると職人さんは笑って、動かしましょうか?と握りを取り上げた。予想以上に強く二本指をペシンと叩きつけた彼女に驚きつつ、衝撃で尻尾のような細い部分をぴんと上に伸ばし、オブジェのような形で硬直した青柳に目を奪われる。残酷な高揚を抱きながら口に入れると、コリコリと歯応えがあって淡白な味かと思いきや噛むほどコクが染み出していく。口の中の青柳も、箱の中のパールも、貝の中でその身を膨らませたのだと思うと、ダイヤなどの石に対しては膨らませたことのなかった、その物自体が経てきた時間に想像が膨らんだ。

イヤリング(18KWG×アコヤ真珠×ダイヤモンド)¥290,400/ミキモト(ミキモト カスタマーズ・サービスセンター)

五年前、私は大学生の彼とビスタカーに乗って鳥羽駅に降り立った。遠距離だったせいもあって、彼の住んでいた京都で落ち合うと私たちはいつも夕飯を食べながら延々話し、深夜遅くまでセックスをして寝て、翌日は昼過ぎに起きると楽しいことを求めて大阪、奈良、名古屋などに日帰りや一泊で小旅行をするのが定番になっていたのだ。

鳥羽駅は海に近く、私たちは旅館のバスが来るまでと、海沿いの散歩道を歩きその少し寒々しいような景色にぼうっと見惚れた。雨が振り出しそうな天気のせいかもしれないけれど、鳥羽の海は厳しげな表情をしていて、これまで見てきたどの海とも全然違う印象を受けた。

「鳥羽って、真珠の産地なのかな」

駅で降りてから何度か真珠という文字を目にしていて、私は訝った。あ、本当だ真珠の養殖で有名なんだって、と彼はスマホを見つめながら言う。

「じゃあさ真珠漬けってなに? さっき看板があって気になったんだけど」

「えっとね、えーと、へえ、真珠貝、別名アコヤ貝っていう貝があって、その貝柱を酒粕で寝かして作られる高級珍味、だって。あ、アコヤ貝は真珠養殖に使われる貝で、天然でも中に真珠ができることがあるんだって」

疑問があるとすぐにググる彼はいつもこうして疑問を解消してくれる。ふうん、と大きな声で頷くと、真珠好き? 彼は素朴な質問をした。

「ダイヤ好き?とか、プラチナ好き?って聞く?」

「いや、真珠ってちょっと独特な宝石じゃない。つける人はつけるけど、つけない人は絶対つけないみたいな」

「あー、私はつけないな。憧れはあるけど、なんとなく手を出さないままこの年になっちゃって、機を逸した感じもする」

「そっか。確かにちょっと難度高い感じがするよね」

すでに必要な単位をほとんど取り、就職が決まった彼はどこか鷹揚で、でも時折就職への懸念を漏らしていた。こうして平日に思いつきで小旅行に赴くような生活が残り少ないことをお互い心の奥底で悲しんでいて、でも彼は就職と同時に東京にやってくることが決まっていたから遠距離の終焉が近づいていることに安堵もあって、でもこれから私たちは、私たちの生活は、あるいは私たちの人生はどうなっていくのだろうという漠然とした先の見えなさへの不安から目を逸らそうと、二人とも平静を取り繕っていた気もする。

「難度高いのに、どうして真珠にしたの?」

うん? 青柳を食べ終え、ザーサイの紫蘇漬けで口直しをしていた彼は顔を上げた。

「難度?」

「忘れてる?」

え、なに? なんのこと? と食い下がる彼に、三重の鳥羽ってところに旅行いったよね?とヒントを出すけれど彼はまだ分からない様子で、とうとう鳥羽は真珠の産地だと話すと、確かにそんなこと調べた気がする、と記憶を探っているのか顔を歪めながら言った。でも色々覚えてるよ、俺が止めるの聞かずに夜食のためにって駅で大量の練り物買ったこと、水族館で見たマナティ、二日目に行った伊勢神宮、あ、夫婦岩のところに有名なお笑い芸人いたよね、そうそう、トリニティーズの長谷部、あと食べ歩きでマンボウの串焼き食べた、と彼は記憶力を披露して、浜焼き食べたよね、あの時やっぱり牡蠣苦手だって言うから、私めっちゃ大きい牡蠣二個も食べることになったんだよ、と私は鳥羽駅近くの浜焼き屋を思い浮かべながら続けて、五回目の付き合い始めた記念日の夜は更けていった。

金原ひとみ

Hitomi Kanehara

1983年生まれ。2003年『蛇にピアス』で第27回すばる文学賞を受賞。04年には同作で第130回芥川龍之介賞、12年『マザーズ』で第22回Bunkamuraドゥマゴ文学賞、20年『アタラクシア』で第5回渡辺淳一文学賞、21年『アンソーシャル ディスタンス』で第57回谷崎潤一郎賞を受賞。23年10月に『ハジケテマザレ』を刊行予定。

問い合わせ先

ミキモト カスタマーズ・サービスセンター
0120-868-254 (フリーダイヤル)

www.mikimoto.com

photography Ayumu Yoshida(objects)
styling Mayu Yauchi(objects)