映画『ミルピエ〜パリ・オペラ座に挑んだ男』を見る前に。
パリとバレエとオペラ座と。
12月に日本でも公開される映画『ミルピエ〜パリ・オペラ座に挑んだ男』。タイトルに謳われているのは、今年7月末にオペラ座バレエ団の芸術監督のポストを短期間で去ったバンジャマン・ミルピエのことである。アーティスト活動に専念したい、というのが辞任の理由だ。
2014年秋に芸術監督に就任した彼が組み立てたプログラムの初シーズン“2015~16”の開幕公演の作品中、『Clear, Loud, Bright, Forward』(後略CLBF)は、コレオグラファーとしてのミルピエによる創作。この映画は、新しい芸術監督に就任した彼の姿と、その彼によるエネルギッシュな創作過程を追ったドキュメンタリーである。昨年12月23日にテレビCanal plus局にて放映され、それに約30分の映像がプラスされて、今年9月にフランスでは劇場公開された。
この映画、ミルピエに興味がなくても面白く観ることができる。というのも、日頃限られた人しか立ち会うことのできない創作の工程を、ヴァーチャルに追えるからだ。若いダンサーたち、彼らが参加したバレエ創作についての貴重なドキュメンタリーとしても、大きな価値があるのだ。
2015年9月14日のオープニング・ガラを含めて、16名の若いダンサーによって全14回踊られたCLBF。創作中のリハーサル・スタジオの光景では、怪我やその他の事情で最終的に舞台に立つことなく終わったダンサーの顔も見える。CLBFはソリストが一人も配役されていず、コール・ド・バレエの中からダンサーが選ばれている。これは彼が芸術監督になる以前のオペラ座ではありえなかったことだ。観客がオペラ座の舞台上で見たダンサー16名とは、女性がレオノール・ボラック、エレオノール・ゲリノー、マリオン・バルボー、レティティア・ガロニ、ロレーヌ・レヴィ、オーバンヌ・フィルベール、イダ・ヴィキンコスキー、ロクサーヌ・ストジャノヴの8名。男性がアクセル・イボ、フロリモン・ロリユゥ、ジェルマン・ルーヴェ、アリスター・マダン、ユーゴ・マルシャン、マルク・モロー、イヴォン・ドゥモル、ジェレミー・ルー・ケールの8名だ(この公演後の昇級コンクールの結果、この中からレオノールとユーゴの2名はソリストであるプルミエ・ダンサーに上がった)。1985年以降の生まれのダンサーたち、といっていいだろう。
ミルピエの若さの挑戦は、ダンサーに留まらず。音楽を任されたのはニューヨークをベースに活動するニコ・マーリー(1981年生まれ)、オーケストラの指揮者はマキシム・パスカル(1985年生まれ)、コスチューム・デザインはイリス・ヴァン・ヘルぺン(1984年生まれ)……などと、各分野での新しい世代をひとつの作品に集合させている。ちなみに、この映画の原題は『Relève』。次世代に引き継がれること、若い世代に取って代わられることの意味で、これは史上最年少のオペラ座芸術監督ミルピエだけでなく、この『CLBF』の創作に関わるすべての人について言えるといっていいだろう。
クラシック作品だとコール・ド・バレエのダンサーたちは大勢で群れのように踊ることが多いが、この作品はダンサーが16名しかいず、しかも各人がソリスト的に踊れるように創作されている。これはオペラ座の舞台でソリストとして踊ることを夢見て日々鍛錬している彼らにとって、喜び以上の何ものでもない。オペラ座に新風を吹き込もうと意欲的な芸術監督であるコレオグラファーとスタジオでひとつの作品の創作に密接に関わり、ダンサーたちにとってエキサイティングな経験となった。
さて『Relève』がテレビ放映された後、その中でのバンジャマン・ミルピエの発言がいささかマスコミを賑わせた時期がある。というのも、コール・ド・バレエについて彼はその仕事を「壁紙」にたとえたからだ。彼らの中にソリストの力があるダンサーを見出していたにしても、オペラ座バレエ団の芸術監督という立場の人間の発言として相応しいかどうか……数名のダンサーから成る自身のカンパニーL.Aダンス・プロジェクトを率いることと、フランスで300年の歴史を持ち、154名が在籍する国立のオペラ座バレエ団を監督することの違いを理解できていたのか……。
アーティスト活動に専念するために彼が芸術監督の職を辞すという会見が行われたのは、このちょっとした騒動から約1カ月少々後の2月4日だった。映画の中で、バレエ作品について考えているときの彼の生き生きとした表情、業務ミーティングでの瞳の輝きのなさを見ると、彼のこの辞任は驚きには値しないことがわかるのではないだろうか。
彼は去ったが、若いダンサーたちに素晴らしい思い出を残した『CLBF』。この映画の日本での封切りに際し、参加ダンサー4名にこの作品に参加したことについて、オペラ座のコール・ド・バレエの意義についてのコメントをもらったので紹介しよう。
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まずはフロリモン・ロリユゥ。彼は今年の9月からボストン・バレエ団でソリストとして活躍している。『CLBF』ではプレゲネプロの後、怪我でゲネプロを降板したが、翌翌日の初日には舞台復帰をし、全14回の公演を全うした。
「作品の創作にはさまざまな方法があります。バンジャマンは、これだ! というように自分の振付けを僕たちに強制する事はしませんでした。ステップのひとつずつを、ぼくたちダンサーに合わせて創っていました。自分のインスピレーションと、そして目の前にいるダンサーたちに応じて作品をクリエートするのです。だから、明快なアイデアをもってリハーサル・スタジオに来た彼が、まったく別のものを作り上げてスタジオから出てゆく、ということも時にはありました。みんなで一緒にインスピレーションについて話し合うこともありましたよ。バンジャマンのパ・ド・ドゥへのアプローチ方法は信じられないものがありました。それは振り付け自体もそうだけど、とりわけダンサーたちにそれを伝える方法が素晴らしいのです。女性ダンサーとのパ・ド・ドゥでパートナーとしてどうあるべきか、多くを学びました。この創作の経験で最も印象に残っているのは、グループのエスプリですね。ダンサーたち、バンジャマンとその創作チーム、とてつもなく素晴らしい曲を作ってくれたニコ・マーリー、さらにリハーサルによく参加していた指揮者のマキシム・パスカル……皆の間に、とても美しいエネルギーが漲っていました。これはグループの作品ではあるけれど、誰もがソリストと感じられるような振付けでした」
自身もコレオグラファーとしてバレエ作品を作るイヴォン・ドゥモルは、次のように語る。
「この作品はバンジャマン・ミルピエが初めてプログラムを作ったシーズンの開幕作品。それゆえに特別な興奮がありました。創作の過程では、とてもよい雰囲気がありました。というのも、ダンサーは少人数だったし、その全員が似たり寄ったりの年齢だったからです。バンジャマンは日々すごい情熱をこめて仕事をしていました。彼は自分が選んだダンサーたちの価値を引き出すことにとても配慮していて、このことが創作の過程で僕の心に一番残っています。彼はダンサーの各人に、自分のダンサーとしての経験を伝承しようとしていましたね。特にパ・ド・ドゥのテクニックについて。照明と舞台装置……これについても彼はとても意識していました。コレオグラファーとしてオペラ座のために過去に創作をしているけれど、これは芸術監督となって初めの創作。それだけに、大きな印象を残す作品を作り上げようとしているという意欲が感じられました」
コール・ド・バレエのダンサーばかりを集め、各ダンサーに見せ所を与えたミルピエ。イヴォンもマリオン・バルボーとふたりで踊るパートがかなりあった。それはダンサーとしての喜びではあるが、彼はコール・ド・バレエについてはこう見ている。
「オペラ座バレエ団は154名から成り、世界でも大きなカンパニーのうちのひとつです。 上演するどの作品においても、ソリストの卓越だけでは成立しないと思います。コール・ド・バレエのダンサーたちは、ソリストのための舞台背景の一部ではありません。優れたコール・ド・バレエがいて、初めてオペラ座の魔法が生まれるのだと、僕は思っています」
レティティア・ガロニ。彼女の持つどこか動物的動きはコレオグラファーたちには刺激的なのだろう。さまざまなコレオグラファーの創作に参加しているダンサーだ。
「この創作に参加できたことは、素晴らしいことでした。リハーサル・スタジオはとても良い雰囲気に包まれていました。私たち各人のパーソナリティ、各人の動き方にあわせてクリエイトするという バンジャマン・ミルピエの創作の過程は、とても興味深いものでしたよ。意欲とエネルギーが彼から溢れ出ていて、ダンサーたちもやる気をすごくかき立てられました。私はこの作品のおかげで、バンジャマン・ミルピエという振り付け家との出会いがあり、これは素晴らしい経験となりました。彼と仕事をするのは、本当に快適です。彼がダンスに持つヴィジョンによって、私はダンスへの新しいアプローチをこの作品で見出したんです。オペラ座のコール・ド・バレエ。これは大切です。コール・ド・バレエなしに、オペラ座のバレエはありえません。オペラ座バレエ団というのは、何よりもまずこのコール・ド・バレエによって有名なのですから。コール・ド・バレエはいわばオペラ座の柱のような役割を果たしているといえます」
最後に、この夏の来日でファンを増やしたジェルマン・ルーヴェに登場してもらおう。
「これは大変実り多い経験でした。仕事という面でもそうだし、人間的にもです。彼はとても繊細な感性の持ち主で、とてもダイナミック。これは作品を踊るダンサーにはとても快適なことです。そして、この作品のためにバンジャマンが選んだダンサーのグループは、仲良しばかり。だから、気が合って、互いの間に理解があって、とても良い雰囲気が仕事場に流れていました。テクニックについていえば、これは音楽との関係がとても重要な作品でしたね。ルーシー・カーター(照明)、ニコ・マーリー(音楽)、ユナイテッド・ヴィジュアル・アーチスト(舞台装置)、イリス・ヴァン・ヘルペン(衣装)といった、この上なく素晴らしいアーティストたちと一緒に仕事をする機会にも恵まれました。こうした出会いが、このプロジェクトをより豊かに、そしてエキサイティングなものにしたと言えます」
「コール・ド・バレエというのはオペラ座ではとても重要な存在です。フランス派という、ひとつの同じスタイルで統一された複数のダンサーが一緒に踊ることによって生み出される力強さ。その高いクオリティと統一性は、世界では他に類をみないものです。ソリストたちは技術的にも芸術的にも優れたダンサーだけど、彼らの価値をより引き立てているのはコール・ド・バレエの存在です。今こうしてコール・ド・バレエで踊れるチャンスを体験することで、いつか僕が主役を踊れるときがきたら、コール・ド・バレエがもたらしてくれることの大きさを測れるでしょうね」
Mariko Omura
madame FIGARO japon パリ支局長
東京の出版社で女性誌の編集に携わった後、1990年に渡仏する。フリーエディターとして活動し、2006年より現職。主な著書は「とっておきパリ左岸ガイド」(玉村豊男氏と共著/中央公論社)、「パリ・オペラ座バレエ物語」(CCCメディアハウス)。