「我々はすぐに彼女を忘れる」ダイアナ妃の弟が明かす、チャールズ国王の冷酷な一言。

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新著『Swan Song: Diana, my sister』のプロモーションでパリを訪れた、ダイアナ妃の弟チャールズ・スペンサー伯爵がフランスの「マダム・フィガロ」誌の取材に応じ、元義兄の国王チャールズ3世について、率直な意見を語ってくれた。

photography: aflo

いまやイギリス国王となった元義兄に対してチャールズ・スペンサー伯爵は容赦ない。新著『Swan Song: Diana, my sister』の中で、ダイアナ元妃の弟は明らかに、長年の恨みを晴らそうとしている。元妃の葬儀の準備をめぐって電話でやり取りした際、国王が「ご安心を、我々はすぐに彼女のことを忘れますから」と冷ややかに言い放ったことを弟は今でも恨んでいる。チャールズ・スペンサーによれば、チャールズ皇太子(当時)はダイアナ妃が亡くなり、ようやく長年の恋人であるカミラ・パーカー・ボウルズと結婚できるようになると「有頂天」ですらあったという。

「パリに到着した時、チャールズ3世は打ちひしがれてなどいませんでした」と、ダイアナ妃の弟は、著書のプロモーションでパリを訪れた2026年10月15日の取材で語った。「姉2人もいて、その様子を見ています。ただ、ほかの人たちからは、彼が当時感情的に大きく動揺していて、何らかの形でこの悲劇の責任を問われるのではないかと感じていたと聞いています」。ウィリアム皇太子とヘンリー王子の叔父は実のところ、チャールズ3 世がよそよそしい態度だったことにさほど驚かなかった。取材では「彼がひどく怒りっぽいことはよく知られています。それは事実です」と言い、その裏付けとして、「バッキンガム宮殿の常連の紳士」であったロス大佐とのやりとりに言及した。

怒りの発作と乱暴な言葉遣い

チャールズ・スペンサーはダイアナ妃の葬式で君主制という組織の冷淡さを批判した弔辞を読んだ。ロス大佐はその後何年も経ってから、当時は賛同できなかったが、「その後、あなたが正しかったと気づいた」と言ってきたそうだ。「彼はまた、チャールズ皇太子(当時)のもとで働いていたけれど、皇太子の怒りの発作や言葉遣いが嫌で職を辞したことを語ってくれました。彼曰く、『軍隊で軍曹たちが悪態をつくのは聞いたことがあるが、皇太子にあんなふうに罵詈雑言を浴びせられるのは、もう耐えられなかった』とのことでした」と、チャールズ・スペンサー氏は語った。

著書の中でダイアナ妃の弟は、チャールズ3世を残酷で無神経な人物として描いている。このイメージは、ダイアナ妃との悲惨な結婚生活のせいで、現君主に長い間つきまとってきたが、ふたりが結婚する前、スペンサー伯爵は彼に対して否定的な先入観を持っていたわけではなく、むしろその逆だった。「ダイアナ妃と私はとても伝統を重んじる家庭で育ち、王室の人々を優れた存在とみなしていたことはお伝えしておいた方がいいでしょう。2026年の今では滑稽に思えるかもしれませんが」と取材で語っていた。「1960年代から70年代にかけて、私たちは王室の領地のひとつ(サンドリンガム領のなかのパークハウス)のなかに住んでいました。日曜日に教会へ行くと王室の人々は専用席に座り、誰もが敬意をもって彼らに接していました」。1970年代末に初めてチャールズ3世に会った時、チャールズ・スペンサーは彼を「(姉の)恋人や婚約者、夫というより、そうしたプリズムを通して」見ていたと断言する。当時のチャールズ3世の称号、プリンス・オブ・ウェールズがまず頭に浮かぶ状態だったのだ。「とても年上だと感じました。実際に私よりずっと年上でしたし」と、彼は笑いながら付け加える。義兄との関係は、その後、ダイアナ妃が夫との関係に悩み、苦しみが深まるにつれて、急速に悪化していった。

From madameFIGARO.fr

※この記事は、フランスの新聞社「Le Figaro」グループが発行する「madame.lefigaro.fr」で掲載されたものの翻訳版です。データや研究結果はすべてオリジナル記事によるものです。

  • text: Solene Delinger (madame.lefigaro.fr)