attitude クリエイターの言葉
ドキュメンタリーの巨匠が撮る、若き看護師たちの奮闘。
インタビュー
いま、誰かのために働く若者とは? 緊急搬送から生まれた巨匠の新作。ニコラ・フィリベール|映画監督
フレデリック・ワイズマンと並ぶ世界的なドキュメンタリー監督ニコラ・フィリベール。『パリ・ルーヴル美術館の秘密』(1990年)や『ぼくの好きな先生』(2002年)などのヒットで日本でもなじみの深い巨匠が、11年ぶりに新作『人生、ただいま修行中』を携えて来日した。パリ郊外の看護学校の150日間を追った作品は、医療の現場の真実を伝える真摯なドキュメンタリーだ。
看護という過酷な仕事にオマージュを捧げたい。
「数年前、塞栓症(そくせんしょう)で緊急入院し、命の危険にさらされたんだ。その後回復して、看護の世界にオマージュを捧げたいと思った。看護師は、医療ヒエラルキーにおいて医師と比べると軽視され、報酬も高くない。ハードで正確さも要求され、責任も伴う。そして何より、患者が最も近くで接するのが看護師だ。患者は『余命はどれくらいですか?』と、医師ではなく、そっと看護師に聞くものだ」
理論の授業、実習、そして病院での研修など、カメラは生徒たちに寄り添い、その成長を見守る。過酷な労働条件を承知で、この道を選んだ若者の努力や悩みを目の当たりにすると胸に熱いものがこみ上げてくる。
「無関心で個人主義な若者像はメディアが創り上げたもので、事実とは思わない。実際にこの映画に登場する若者と出会い、そう確信したよ」
生徒たちだけではなく、彼らを導く先生たちの姿勢も感動的だ。
「私が最も心を動かされたのは、第三章で登場する研修で実際の患者と接した生徒たちと先生との面談の様子だ。18、19歳ほどの若者が死期が迫る重篤な患者と向かい合わなければならないのは、暴力的ともいえる。そういう自分の中に溜め込んだ悩みや葛藤を教師に打ち明けることで、前に進むことができるんだ」
ときには涙を流しながら、心情を吐露する学生たち。だが、そうしたデリケートな場面にカメラを持って踏み込むという芸当を、なぜ監督はいとも簡単にやってのけるのか。
「とても恐いよ。デリケートな場面に入っていいものか、いつも自問している。精神科のクリニックを題材にした『すべての些細な事柄』(96年)が顕著な例だ。撮影することで彼らを傷つけることになるのではという危惧や、覗き趣味的になってはいないかという不安を、患者に見透かされ、逆に励まされた。それで迷いを払拭できたんだ。すべては、人と人との信頼関係から生まれている」
心の中の最も純粋な部分を鷲掴みにする。フィリベールの作品には、そうした不思議な力が備わっている。
1951年、フランス・ナンシー生まれ。アラン・タネールらの助監督を経て、78年に『指揮者の声』でドキュメンタリー監督デビュー。『ぼくの好きな先生』(2002年)は、ヨーロッパ映画賞のドキュメンタリーやルイ・デリュック賞も受賞。
パリ郊外の看護学校、年齢も性別も異なる看護師の卵である学生たちの学びの過程を追うドキュメンタリー。採血や抜糸などの技術から、重篤な患者に向き合うための精神的な心構えまで、一歩一歩成長していく若者を通して、看護の現場の厳しい現状に光を当て、誰かのために学ぶことの尊さと難しさを描く。『人生、ただいま修行中』は、新宿武蔵野館ほか全国にて公開中。
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*「フィガロジャポン」2020年1月号より抜粋
interview et texte : ATSUKO TATSUTA