原作者・恩田陸と石川慶監督に聞く、『蜜蜂と遠雷』の魅力。
Music Sketch
天才たちが集う国際ピアノコンクールを舞台とした恩田陸の群像小説『蜜蜂と遠雷』が映画化され、話題を集めている。小説は第156回直木賞と2017年の本屋大賞を史上初めてダブル受賞したほど評価も人気も高く、文庫化された際は上下巻になったほどの長編だ。映画化に向けて考慮した点、また映画化された作品について、映画監督の石川慶、原作者の恩田陸の両氏に話を聞いた。
ストーリーの中心となるコンテスタントの4人。写真左から高島明石(松坂桃李)、栄伝亜夜(松岡茉優)、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)、風間塵(鈴鹿央士)。オリジナル楽曲「春と修羅」は藤倉大が作曲した。
■「小説全部は無理でも、要素は抽出してちりばめるようにした」(石川)
――先に映画雑誌の取材でキャスト4人に取材したこともあり、試写を2回拝見しました。メインとなる4人と配役がぴったりで、しかも実際の演奏者もそれぞれの役の背景に近いピアニストの方を選んでいらして、徹底されています。まず、恩田さんは石川監督にこの小説を任せようと思った信頼感はどこにあったのでしょう?
恩田:(映画版の製作・配給を手がけた)東宝の方から『愚行録』を見せていただいて、素晴らしかったからですね。ものすごくリアルだったので、このリアルさはすごいなと思ったんです。セリフも自然だったし。また、抑えた色調と、ちょっと青みがかった色合いも素晴らしくて。今回(『蜜蜂と遠雷』)も撮影も同じ方ですけど。
――馬のシーンの、あの青みがかった感じが撮影監督ピオトル・ニエミイスキの特徴なのでしょうか?
石川:はい、そうです。
――石川監督は映画化にあたり、どこをメインに据えようと思ったのですか?
石川:最初に恩田先生から「二部作にしないでください」、「映画としてちゃんと作ってください」とおっしゃっていただいてうれしかったんですけど、そうすると小説全部は無理なので、絶対外せない部分から拾っていこうとしました。2次予選の「春と修羅」、それとやっぱり本選は聴かないと、と思い、本当は3次予選を少し残していたんですけど、尺に入れようとすると、やっぱり残らない。じゃあ、割り切って2次予選と本選でなんとか形にならないか、というところで進めていった感じです。
――小説には印象的なシーンもセリフも多いので、選ぶのが大変だったのでは?
石川:そうですね、3次予選とか(映画では)落としているところでも、要素は抽出してちりばめるようにはしたので、まぁ、やれる限り吸い取れたかなという気はしているんですけど。
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■「明石のストーリーやキャラクターに感情移入して」(石川)
――栄伝亜夜(松岡茉優)の親友の奏を外したのは、すごい決断だったと思いました。
石川:最初はずっといたんですけど、テクニカルな話でいうと、特に(尺を)短くすると高島明石(松坂桃李)が若干分離されている感じがして、どうにかならないかなと思っていたんです。その時に、奏の役割を明石が担えるんじゃないかというアイデアが出てきて、それで置き換えたというか、(彼に)割り振った部分があったんですよ。
恩田:なるほど。
石川:ただ、そうすることで、亜夜があんまりしゃべらなくなっちゃって。
恩田:少なかったですね、台詞。
――そうですね、目でしゃべってましたね。
石川:そこが松岡さんにかかったプレッシャーというか、負担が大きくなったとは思うんですけど。でも彼女は見事にそれをお芝居で表してくれたなと思っています。
左から、石川慶監督と恩田陸。
――「生活者としての音楽を奏でたい」とする明石のシーンが多いことで、逆に映画のストーリーが引き締まった気がしました。監督ご自身も明石に思い入れがあったのでしょうか?
石川:僕だけじゃなくて読者の方も多いと思うんですけど、天才の人の方が少ないじゃないですか。だから、努力の人が天才の領域に行けるのかどうかという……。そもそも天才って生まれつきなのかどうかという、ずっと思ってきたような疑問が、明石のストーリーやキャラクターに凝縮されていて、否が応でも感情移入してしまいました。
――どのあたりですか?
石川:本当はもっと奥さんとの満智子(臼田あさ美)シーンをいっぱい入れてみたかったなぁというのがあって。「学生時代にすごくモテた明石くんと結婚できてよかったね、満智子ちゃん」と言われていたのに、いまになったら、「音楽家と結婚するって大変だよね」みたいなことを友達に言われるとか。僕は満智子にも実は感情移入はしていて、そこのところが最終稿の結構手前ぐらいまで、どうしても削れませんと、残していた部分ではあったんですけど。
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■「どの人物にも自分がちょっとずつ入っている」(恩田)
――恩田さんは4人のバランスはどのように考えながら書いていたのですか?
恩田:最初に風間塵(鈴鹿央士)が出てきて、後の人は関係性で出てきた登場人物です。塵が出てきて、亜夜が出てきて、マサル(森崎ウィン)が出てきて、どうしても天才って書くとある種モンスター的になってしまうところがあるので、何かこう共感できる人をもうひとり誰か欲しいと、明石を思いついて。書いている時には、どの人物にも自分がちょっとずつ入っているんですが、明石のところで、天才に対する屈折した優越感みたいなものを書きたいと思ったんです。
――そうだったんですね。
恩田:一足飛びに行けちゃう人って、逆におもしろくないんじゃないか、って思うこともあるわけですよね。できちゃうから、できない気持ちもわからないだろうし、天才には少しずつ努力して達成するという喜びが逆にないという、そのことに対する優越感みたいなものが普通の人にはあるんじゃないかと思って、そういうのを書きたいというのもありました。
左から、天才少女とかつて騒がれ今回のコンクールに再起をかけた栄伝亜夜(松岡茉優)と、サラリーマンながら年齢制限ゆえ今回が最後と決めて出場した高島明石(松坂桃李)。
――それぞれの役にちょっとずつ自分が入っているというと、亜夜には恩田さんのどのような一面が入っているのですか?
恩田:臆病さと大胆さが共存しているところですね。
――塵には?
恩田:なんだろ、塵はないや(笑)。共感できるところは塵はないかもしれないです。
――マサルは?
恩田:どこに行ってもよそ者みたいな感じの部分ですね。そこでバランスを取っているみたいな。そして、意外と観察していて、というところがちょっと入っているのかなと。
石川:おもしろいですね。
――新しい才能を見つける楽しさを語る、審査委員長の嵯峨三枝子(斉藤由貴)も印象深かったです。小説でも彼女について細かく書かれていたので、そこにもご自分を入れている部分があったのでは?
恩田:そうですね、私も文学賞の選考会の委員とかやるんですけど、選ぶことで選んでいる方も見透かされるというか、こっちの価値観が問われるところがすごくあるので、選ぶのは結構怖いんですね。選ぶ方のつらさとか、将来性をどこまで読み切るかとか、そういうのを考えると、結構感情移入はあります。
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■「監督は映画でないとできないことをやってくださった」(恩田)
――だからすごいリアルだったんですね。監督は「悪い人が出てこないのでドラマティックになりにくい」と感じていた部分があったそうですが、そのせいか、本選のリハの小野寺指揮者(鹿賀丈史)との絡みで、悪い人ではないけど、若者を葛藤させ、成長させるシーンとしてとても興味深かったです。そこは監督の方で絶対加えたいと?
石川:そうですね、確かに小野寺というキャラクターは若干映画で脚色した部分です。2次予選が終わって本選に行く時に、つまり“彼らは仲良くなりました、じゃ本選始まります”っていう時に、2次予選でそれぞれ内面にあるものを克服して前に進んできて、ここで何か新しい課題があって然るべきなんじゃないかと思って……。
恩田:(頷く)
石川:それは原作の中には確かにあるんですけど、映画にすると何か表に出てこないなと思って。プロデューサーと話していた時に、“本選というのは彼らが一丸となってこの音楽という壁に向かっていく、音楽を体現するような何かが必要だね”という意味で、小野寺をああいうキャラクターにしました。
本選のオーケストラを指揮するのは、世界最高峰のマエストロである小野寺昌幸(鹿賀丈史)。
――そうなんですね。
石川:先ほど出た嵯峨三枝子についても、亜夜と話すトイレのシーンで、演者の斉藤由貴さんに演出の時に「なるべく柔らかく、亜夜の立場に立って言ってください」と話して、すごくドンピシャに演じていただいたなと思いました。若者たちに立ち向かう大人ではなくて、音楽として彼らがちゃんと機能するように作りたいなと思ってやった脚色ですね。
――とてもよかったです。想像しながら読んでいく小説と違い、映画は映像化して、観客に具現化したものを見せていくわけじゃないですか。そういった中で馬のシーンにはどのような意味合いがあったのでしょうか?
石川:馬に関しては、脚本の段階から現場の段階までいろんな人に「必要なのこれ?」って言われ続け、でも、理屈じゃなくて、どうしても何か入れたかった。原作の中に入っていた、“トタンの上を雨の馬が走る”というような表現がすごく脳裏に残っていたというのがあるんです。
――私もそこに関連していると思いました。恩田さんはどのように感じられました? 小説とは別のビジュアルとしての音楽の訴え方という点でも。
恩田:私は小説でしかできないことをやろうと思ったのですが、監督は映画でないとできないことをやってくださった。だから、あぁなるほど、こういうふうにビジュアル化したんだなと。後半の方で、それこそいろんな音を、幼い頃の亜夜とお母さんが聞いているシーンとか、ああいうものを含めてビジュアル化してくださったんだなと。
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■「映画監督は、指揮者とやっていることは結構近い」(石川)
――あのシーンもいいですよね。ところで、小説家や映画監督として、ピアニストと共通点を感じるところはありますか?
恩田:努力している時間が圧倒的に長いということじゃないですかね。演奏はそれこそ舞台に上がった時ですけど、ピアニストは1日何時間も練習している、ひとりで練習してひとりで演奏するわけですから、積み上げていった先にそれがあるという点では似ているんじゃないのかな。
石川:映画監督はピアニストというより、指揮者とやっていることは結構近いなとは思っています。映画も台本という楽譜があって、プレイヤーがいて、でも映画監督って自分で演じないじゃないですか。それに指揮者も、指揮をしてひとつの楽曲を作っていくところのほかに、若干の政治力みたいな、交渉力みたいなものを求められるというのも、実際に指揮者の方と話していてちょっとシンパシーを感じました。
恩田:似てますよね。
――監督の方で、予想外の絵が撮れてよかったなと、恩田さんの方で小説とは違ってこんなシーンになったんだといういいイメージのシーンがありますでしょうか。
石川:それでいうと、亜夜の初めの表情かな。トイレの中で最初緊張してて笑顔作ってて。あのシーンを最後に撮影していて、正直あそこは現場でなくてもいいかもしれないねって話していたんですよ。でもやっぱり「何かやってみようか」となった時に、松岡さんにあのお芝居をやってもらって、みんなの中で、これってこういう話だったんだっていうのがすごく腑に落ちたようなところがありました。あれはもう松岡茉優という女優が作った(撮影における)クライマックスだったなという、そういう現場を見ていた気がします。
キャストの間でも人気の高かった、風間塵と栄伝亜夜の連弾シーン。
恩田:私はやはり連弾のシーンがすごく好きで、ふたりともすごくリラックスして弾いている感じがあって、幸せなシーンというか。
――「月の光」から「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」へと次々流れていく選曲も素晴らしいと思いました。
恩田:(笑)。あと浜辺のシーンが、みんながコンクールから離れて素に戻っている感が漂っていて。あそこもすごく幸福な感じが漂っていて好きですね。
最後に恩田さんに、続編は考えていらっしゃるか聞いたところ、「私は考えていません」ときっぱりお返事が。彼らのその後の成長や関係性も知りたいところだが、この後は読後や鑑賞後の余韻に浸って過ごすだけでも十分楽しめそうだ。
●監督・脚本・編集/石川慶
●出演/松岡茉優、松坂桃李、森崎ウィン、鈴鹿央士ほか
●2019年、日本映画
●119分
●配給/東宝
●10月4日(金)より全国公開
https://mitsubachi-enrai-movie.jp
©2019 映画「蜜蜂と遠雷」製作委員会