J.M.ヴィルモットが会場構成、ジャン・リュルサ回顧展。
PARIS DECO
その昔、クリスチャン・ディオールがまだクチュリエとしてデビューする前のことだ。身体をこわして静養していた時代に、タピスリー制作のテクニックを学んだ彼はアトリエを構えようかと考えたほど情熱を傾けた。それは20世紀にタピスリーを蘇らせた立役者とされるジャン・リュルサ(1892~1966)によるタピスリー技法によるものらしいが、さて、このリュルサとは? ディオールが親しくしていたピエール・コルの画廊では1931年に、サルヴァドール・ダリ、クリスチャン・ベラールなどと一緒にリュルサの仕事を紹介している。その翌年にはニューヨークの画廊が、ピカソ、マチス、ブラック、ドラン、デュフィー、そしてリュルサのグループ展を開催。日本ではさほど知られていない名前だが、このように30年代から知名度を上げていったアーティストである。タピスリー産業で15世紀から繁栄していたオービュソンに、彼が招かれたのは1939年。その地にアトリエを構え、伝統的手法から新しい手法を生み出し、第一次世界大戦以降すっかり低迷していたタピスリー産業を復興へと導くことになるのだ。
今年はそのリュルサの没後50年にあたり、現在、パリのGalerie des Goblins(ギャルリー・デ・ゴブラン)にて大回顧展が開催中である。タピスリーのみならず、絵画や陶器も含めての展示で、ジャン・ミッシェル・ヴィルモットによる会場構成はモダンで雄大だ。ジャン・リュルサの自宅兼アトリエは、弟の建築家アンドレ・リュルサによる建物。1925年から亡くなるまで過ごしたこの場所からインスパアされて、ヴィルモットは会場を作り上げたという。
展示は時代順で、絵画、家具から始まる。 その後、会場の高い天井を駆使した大作のタピスリーの展示が階段の踊り場を経由し、2階へと続いてゆく。オービュソンのタピスリーの復活目的で国が彼にオーダーした『四季』、動植物を中世のように擬人化したファンタジーあふれる『Le Jardin du rêveur』、ローマのフランス大使館のために織られた6メートル高さの『パリ』『ローマ』……。いずれも幻想的でポエティック、実に色彩豊かだ。また『レジスタンス』のように戦争をテーマにした作品も彼は多数手がけていて、それらはパワフルである。日本でこれだけの規模でジャン・リュルサの作品に触れられる機会は期待できそうもないので、この機会に見ておくのがいいだろう。
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この回顧展は、ジャン・リュルサ&シモーヌ・リュルサ財団が発起人で、それにギャルリー・デ・ゴブランを運営するMobilier national(フランス国有動産管理局)のパートナーとしてAcadémie des Beaux-arts(芸術アカデミー)が協力して、実現に至ったそうだ。ジャン・リュルサがいかに国民的芸術家なのがよくわかる背景である。なお、インテリアファブリックのメゾンとして名高いピエール・フレイは、この展覧会に際し、リュルサのデッサンをもとに2種の布と3種の壁紙をカプセル・コレクションとして発表した。最近アールデコ美術館で開催された4世紀に渡る壁紙の展覧会(注 :「Faire le mur」展)でも、リュルサの作品が展示されていたように、彼はこの分野でも多いに活躍をしていたのだ。また、舞台装飾も手がけていたこともあり、1933年にはアメリカンバレエのバランシンの作品で、舞台装飾と衣装を手がけたそうだ。
会期:~9月18日まで
Galerie des Goblins
42, avenue des Goblins
75013 Paris
Tel. 01 44 08 53 49
開館 11:00~18:00
休)月曜
料金:8ユーロ
madame FIGARO japon パリ支局長
東京の出版社で女性誌の編集に携わった後、1990年に渡仏する。フリーエディターとして活動し、2006年より現職。主な著書は「とっておきパリ左岸ガイド」(玉村豊男氏と共著/中央公論社)、「パリ・オペラ座バレエ物語」(CCCメディアハウス)。