カンヌ映画祭で過去最高の評論家の称賛を受けた韓国映画、

『バーニング』の監督イ・チャンドンに聞く。

Culture

カンヌ国際映画祭で過去最高の映画評論家からの星を受けながら、『万引き家族』に賞を持っていかれた『バーニング』。日本での『バーニング 劇場版』公開を前に来日したイ・チャンドンが語ってくれた村上春樹の原作との創造的接点がここに。

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軽妙洒脱な文体に未解決の問いを何層も重ね塗りして、根強い人気を誇る村上春樹の短編小説を現在の韓国に移植。小説という根っこから幹を伸ばし、枝葉を広げ、映画は魅力や風貌を異にする大樹となる。原作に肉薄しつつ思い切り膨らませた大胆アレンジのキーポイントを、イ・チャンドンに聞いた。

――華やかな都市文化を享受しながら将来の展望がなく、心に空洞を抱えている。そんな1980年代の日本の若者の日常感覚が、韓国のいまの日常感覚と重なり、切実さを伴って身に迫ってくる映画でした。村上春樹の短編『納屋を焼く』のどこに霊感を受けて、これなら韓国のいまの若者たちのいわく言いがたい気分をもつかまえられる、と映画化に踏み切ったのでしょうか。

村上春樹の原作は短いミステリーです。(映画ではベンという)謎めいた男が納屋を燃やしてると打ち明けるんだけれど、本当に燃やしたかどうかはわからない。結末も明かさずに終わります。曖昧模糊としたまま終わるところに、まず興味を持ちました。ミステリーとかスリラーという形式の映画は、一般にそのスタイルを追求していって、最後に謎や疑問が解決するというかたちで着地します。それによって、因果関係も明かされる。ですが、この原作にはそういう結末がなかったんです。結末がなかったからこそ、それを拡大させて、こちらからの問いかけを幾層にも積み上げられるかなと思ったんですね。世界に対する問いかけや人生に対する問いかけを、幾重にも折り重ねるかたちで新しいミステリーが作れるんじゃないかと思いました。 

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――村上春樹の小説のベースになるものが、監督の前作『ポエトリー アグネスの詩』以降に自分が悩んでいた問題とリンクする、と以前お話されていました。『ポエトリー~』ではアグネスの孫の世代の忌まわしい事件がほのめかされて、それに主人公の老女アグネスが心を痛めます。どこかふわふわした中での、若い世代の生きづらさに通じ合うものがあったのでしょうか。

『バーニング 劇場版』を撮る前に、私はいくつかのプロジェクトを立ち上げていました。ブレインストーミング、つまり企画について話し合ったりとか、構想を練ったりという時期もあり、シナリオ作家とともにシナリオを書いたりしていたんです。それらに共通していた問題というのが「怒り」に関することでした。いま世の中を見回してみると、文化とか人種とか宗教にかかわらず、どの国の人も各自がなにかに対してそれぞれの理由で怒っている気がします。その怒りの正体が何なのか、どこから来るのか。その怒りを覗いてみたいという思いで、幾つかのプロジェクトを抱えていた。それらは映画に実を結ばなかったんですけれど。村上春樹さんの原作小説を読むと、それとはまったく違う別の物語のように見えながら、いまの世界でみんなが怒っているという現象と繋がるところがある気がしたんです。納屋を焼いている。ただの納屋ではなくて、使いみちのない、役に立たない納屋を焼いている、と小説では謎の男が明かします。映画では、納屋はビニールハウスに替わっていますが、もしこれが仮に物ではなくて人を比喩しているとしたら? 男性や女性が使い道なく役立たずと何者かに、あるいはひとつのシステムに決めつけられることになる。役に立たないから燃やしてもいいという意味になってしまう。最近の世界の若者は競争社会に組み込まれ、激しい競争システムの中でなんとか生き抜かねばならないという大きな恐怖を抱えて生きている気がします。誰かに判断されること。人やシステムに自分は役に立たないんだと判断されてしまうことへの怖さ、怒り。謎の解決や結末を持たない小説の中に、最近の世界のそういう秘密、いわば「世界のミステリー」と繋がるものがあると感じたんです。

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――原作のスピリットを受け継ぎながら、映画は短編小説の世界を、感嘆するほど大胆に翻案していました。監督のいう「怒り」を導きの糸として。都市の物語である小説に対して、映画は主人公のジョンスの故郷である田舎の、特に父と子の物語が、都市の物語と鮮やかな対照を成していました。ジョンスのバックグラウンドを、都市に対するもうひとつの対極として描こうとした理由は?

映画に登場する主要人物のアイデンティは、3人がどこに、どの空間に住んでいるのか、ということと密接に関わってきます。3人とも独自の空間に生きていて、いずれも各々の現実を代弁してくれる空間といえます。 ジョンスが住んでいるのは、パジュ(坡州)というところ。ここはソウルからさほど遠くなくて車で1時間くらいで行けるんです。わたしもソウル郊外のイルサン(一山)というところに住んでいるんですが、そこからだと車で30分くらいで行けます。パジュはかつて伝統的な農村があったけれど、いまはほかの村と同様に農村共同体が解体されてしまって、倉庫だったり工場だったり、一部は田園住宅ふうの一戸建てがのどかに建っています。いまとなっては、風物に昔の農村の面影がまるで見当たらないところなんです。農村という空間のアイデンティティさえ失っている。ジョンスは父を憎んでいて、父のくびきから抜け出そうと一度はそこを離れたけれど、父親がトラブルに巻き込まれて拘束されてしまったので、仕方なく生まれ育った土地に戻ってきた。そんな設定になっています。一方、ベンの家があるところは豊かな街といわれているカンナム(江南)です。とても洗練されていて、ベンに似て綺麗で裕福な人たちのいる空間を表しています。ヘミが住んでいるのはナムサン(南山)というところ。ここは韓国ではもともと庶民が住んでいたところで、「月の街」といわれる高台にあります。あまり豊かではない人が住む街です。それぞれ3人がどういう空間に住んでいるのか、によって3人のアイデンティティがわかる仕組みになっています。

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――小説にならい、劇中でも空港で、アメリカ南部の大作家フォークナーの短編集をジョンスが読んでいる一景がさりげなく点描されます。映画では、このフォークナーの世界が原作を超えた緊密さで関わっている気がしました。フォークナーには、視点人物である少年の父親が怒りを抱えた放火魔という短編もあります。アメリカ文学と縁の深い村上春樹の小説を介して、かたわらにフィッツジェラルドの世界があり、反対側の目立たないかたわらにフォークナーがあるとすれば、フォークナーの世界により強く監督は思いを寄せ、演出の力点を置いているのではないでしょうか。

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そうともいえるでしょう。フォークナーは自身がノーベル文学賞を受賞した時に受賞の演説で、「憐れみ深い魂を持ち、最後まで痛苦に耐える人の物語を書くことが文学作家としての使命だ」というふうに語っていました。私も似たような考えで以前、作家活動をしていた時に小説を書いていたんです。この映画を撮りながら、やはり人間の苦しみ、苦難に耐えている人を対象として作品を撮りたいと思いましたし、ずっとそういう映画を作ってきたともいえます。そう考えれば、私の内面はフォークナーに近いといえるかも。フォークナーの小説には、村上春樹さんの小説と同名の小説(『Barn Burning』=納屋を焼く)がありますよね。「僕」が空港のコーヒールームでフォークナーを読んでいるというあのくだりを、私は村上春樹さんのひとつのヒントだと思いました。村上さんの小説はフォークナーとまったく違う小説に見えるんですが、実は同じ物語を違う方式で書いているのではないかと。これは一種の村上春樹さんの文学的な宣言なのではないかなと思い、そこを映画『バーニング 劇場版』ではもう少し拡大させてみました。村上さんが語っている原作小説に出ている内容の裏側に、やはりフォークナーの世界が潜んでいるのではないか。そのあたりを拡張させれば、人の苦しみだとか罪の意識だとかに繋がってくると思ったんです。

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『バーニング 劇場版』物語

作家の「僕」、パーティで出会って以来、僕と仲良しだった「彼女」、裕福だけど空虚を宿した謎の青年の「彼」。納屋の放火、という秘密を彼が僕に何気なく告白してほどなく、何の手がかりも残さずに彼女は失踪する。そんな具合に、村上春樹の短編『納屋を焼く』の大筋を踏襲しながら、小説では代名詞で呼ばれるばかりだったこの3人に、映画はジョンス、ヘミ、ベンの名を与える。ヒロインのヘミがジョンスの同郷の幼なじみという設定も、映画オリジナルのもの。見えない蜜柑、見えない猫、あったかどうか定かではない故郷の水涸れの井戸など、見えないものの気配や痕跡とヘミは奇妙な親和力があり、ついにヘミ自身が見えなくなるわけだ。漠然と作家を志望しているに過ぎない職業不定の若者ジョンスは、人間関係に醒めたところのある壮年の妻帯者の「僕」と違って、ヘミの不在に胸騒ぎを隠せない。「このまま消えてしまいたかった」。いつかのアフリカそぞろ旅の法悦体験をそんなふうにヘミが語り、踊る、夕景バックの庭のダンスシーンは、トランペットがむせぶマイルス・デイヴィスの名曲「死刑台のエレベーター」と溶け合い、寂しいほどの陶酔境を生み落とす。異様に美しいこの白眉のシーンを境に、ヘミはいつとも知れず消えてしまう。ジョンスは無力感に駆られるとともに、ヘミへの恋心をぐんぐん加速させ、村上春樹の短編が描かなかった新たな展開へとつんのめってゆく。そして、生の危機のきわきわで、待機状態だった小説をようやく書き始める。

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イ・チャンドン / Lee Chang-dong
20代で映画製作にかかわり、その後、作家としても活躍。『グリーン・フィッシュ』(1997年)で映画監督デビュー。『シークレット・サンシャイン』(2007年)では、主演のチョン・ドヨンがカンヌ国際映画祭にて女優賞を獲得。その他に『ペパーミント・キャンディ』(00年)、『オアシス』(02年)、『ポエトリー アグネスの詩』(10年)など。世界3大映画祭でも常に話題作を出品する。韓国では文化観光部長官を務めた経験も持つ。

 

『バーニング 劇場版』
●監督・共同脚本/イ・チャンドン
●出演/ユ・アイン、スティーブン・ユァン、チョン・ジョンソ
●2018年、韓国映画
●148分
●配給/ツイン
●2月1日より、TOHOシネマズ シャンテほか全国にて公開 
©2018PinehouseFilm Co.,Ltd.All Rights Reserves

190110-kiri-new2.jpg『蛍・納屋を焼く・その他の短編』  村上春樹著 新潮文庫 ¥498 

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texte : TAKASHI GOTO

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