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グラフィック・ノベル『MARCH』の翻訳家にインタビュー

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映画『私はあなたのニグロではない(原題:I am not your Negro)』を観るタイミングで読み始めた、グラフィック・ノベル『MARCH(マーチ)』(全3巻)。アメリカ南部の牧場で育った少年が公民権運動の闘士となり、ワシントン大行進や、セルマからモンゴメリーへの行進……といった非暴力の手法で、差別を超え平等となる権利を勝ち取っていった軌跡を描いたもので、その当人であるジョン・ルイス下院議員の目を通して語られている。グラフィック・ノべルとして初の全米図書賞(児童文学部門)を受賞したほか、米国で最も権威ある漫画賞であるウィル・アイズナー賞をはじめとする数々の受賞や、ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー・リスト第1位、リーダーズ・ダイジェスト「すべての大人が読むべきグラフィック・ノベル」選出など非常に高く評価されている、読み応えのある内容だ。英語の他に、フランス語、スペイン語、ポルトガル語など9カ国語で翻訳出版され、日本では岩波書店の児童書編集者の熱い思いから出版が実現し、翻訳はワシントンD.C.在住の押野素子さんが担当した。私はかつて押野さんが日本のレコード会社に勤務していた頃から親しくさせていただいたこともあって、メールインタビューをお願いした。

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『MARCH 1非暴力の闘い』岩波書店刊。ニューヨーク市の公立小学校が8年生の恒久プログラムとして取り入れている。

■ “非暴力=実は一番ハードコア”という認識に

『MARCH』の翻訳作業の中で、一番苦労したのはどの辺りですか?

「限られたスペースの中に日本語を詰め込むのは大変でした。まず、3巻とも英語を全てタイプアップして、その下に訳出し、日本語が原文と同じ長さになるよう調整しました。それでも吹き出しの中にきっちり日本語を入れるとかなり窮屈に見えるので、編集の須藤さんが見事に要点をまとめて編集してくれました。それから、かなり残酷な事実が記されている作品なので(残虐な絵はありませんが)、訳しながら辛くなることもありました。そもそも漫画にする時には、吹き出しの部分には実際に誰かが言ったセリフを書く必要があるので、この本を発案したアンドリュー・アイディン氏が一次資料(議事録など)を調べるだけでも相当大変な作業だったと思います。ルイス議員のスタッフの仕事をし、また大学院に通いながら、進めていたそうなので」

押野さんが作業を進める中で感動した点や、特に注目して読んでほしい箇所があれば教えてください。

「恥ずかしながら、この本について知るまでは、“ジョン・ルイス議員=トランプとやりあっていた熱い議員さん”くらいの認識しかありませんでした。しかし、『MARCH』を訳して、ルイス議員の信念と行動力に衝撃と感銘を受けました。公民権運動の活動家たちは、どんなに殴られても、嫌がらせを受けても、ひどい時には仲間が殺されても、暴力に訴えることなく、静かながらも断固として自分たちの権利を求め続けました。ルイス議員は大学生の頃から運動を続け、40回以上逮捕され、警官に暴力を受けて重傷まで負ったのに、非暴力を貫きました。この『MARCH』でその不屈の精神に触れて、“非暴力=消極的”(昔はやはり、マルコムXの方がかっこいいよな~と思っていたので)というイメージが“非暴力=実は一番ハードコア”という認識に変わりました。作品内に出てくる言葉ですが、まさに『大義のためには死をも覚悟する静かなる勇気』をもって非暴力を貫いていたのですから……」

特に印象に残った人物も挙げてもらえますか?

「ベイヤード・ラスティンです(本当は「バヤード」と発音するのが正しいようです)。彼はワシントン大行進を取り仕切った人物ですが、ゲイだということで不当なまでに過小評価されてきました。『MARCH』をきっかけに、彼の功績が日本でも知られるといいなと思っています。それから、第1巻の帯に町山智浩さんが書いている『すべての弱き人々のための戦いの手本がここにある』というコメントが、この本のもうひとつのテーマを端的に表していると思います。この本は、公民権運動という過去の出来事を学ぶと同時に、今の時代、権力側の不条理に晒された場合、私たちが取ることのできる(取るべき)行動について、ヒントが示されているような気がしてなりません」

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ジョン・ロバート・ルイス米国下院議員。公民権運動において重要な役割を果たしたことで知られる、伝説的な人物。1940年、アラバマ州生まれ。

実際にルイス氏にインタビューされていますが、印象はどうでしたか?

「ルイス議員はすごく小柄で、喋り方も穏やかで、ちょっと驚きました。部屋に入ると、自らミネラルウォーターまですすめてくれるような、優しい気づかいのある人で、インタビューが終わった後、なんだか心も体も浄化されたような、すがすがしい気分になりました」

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■ 公民権運動の時代も、常に音楽が彼らを支えてきた

『MARCH』を読むと、ゴスペル以外にも様々な音楽がデモ行進を支えてきた、公民権運動を支えてきたのがわかります。特にp233でのセルマを讃えたフェスティバルのシーンが印象的です。押野さんにとって、『MARCH』の中でも、もしくは現在の多くのデモ行進の中でも、印象的な歌があれば教えていただけますか?

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『MARCH 3 セルマ 勝利をわれらに』より。March: Book Three © 2016 by John Lewis and Andrew Aydin  Artwork by Nate Powell

「公民権運動で好きな曲は、ゴスペルの定番、『This Little Light of Mine』です。“This little light of mine, I'm gonna let it shine”という歌詞が大好きです。どんなに暗い状況でも、希望を持ち続けているというか、持ち続けてみせる、という意志が感じられるところに惹かれます。最近だとやはりBlack Lives Matter(2012年にアフリカン・アメリカンの少年が白人の自警団員に射殺された事件に端を発するブラック・ライヴズ・マター“黒人の命は大切だ”運動:筆者注)のアンセムとなったケンドリック・ラマーの『Alright』ですね。どんな辛い状況にあっても、“But if God got us we then gon' be alright(神がついてれば、俺たちは大丈夫)”って歌っているところが、This Little Light of Mineと通じる『明るさ』や『希望』があって、アフロ・アメリカンの強さとしなやかさが表現されている名曲だと思います」

Kendrick Lamar 「Alright」

映画『私はあなたのニグロではない』のエンディングに流れたのはケンドリック・ラマーの「The Backer The Berry」でした。彼のピューリッツァー賞受賞の反響はどうだったのでしょうか?

「正直な話、ケンドリックはブラック・コミュニティと音楽ファンには絶大な支持を得てはいても、アメリカのある年齢以上の白人やマジョリティにはボブ・ディランのようには知られていません。ピューリッツァー賞の反響は、都会レべル、エンタメ業界レべル、ブラック・コミュニティ・レべル、若い人々レべルだったのだと思います」

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■ 今の10代の若い世代は、自ら率先してデモを行う

映画『私はあなたのニグロではない』は、トランプ政権の動きに対する新たな公民権運動の立て直しに向けた作品としても注目されました。『MARCH』がこのタイミングで発刊されたのも必然かもしれません。今年はマーティン・ルーサー・キング牧師の没後50年を迎えました。ニューヨーク市の公立小学校が8年生の恒久プログラムとして『MARCH』を取り入れると発表しましたが、これから黒人はもちろん白人の意識も変わっていきそうでしょうか?

「いまのアメリカでは、警官による黒人男性の射殺事件、トランプ政権によるイスラム圏国の人々の入国規制や、移民の親子を引き離し、赤ん坊まで収容所に入れるなど、人権意識の低下を物語るニュースが多く、絶望的な状況とも言えますが、唯一希望と勇気を持てるのは、多くの人々がこうした動きに反対の声を上げ、抗議行動をしているという点です。Black Lives Matterが始まったのはオバマ政権時でしたが、2014年あたりから、社会の不正や不条理に対する市民レべルの抗議運動が活発になっているように思えます。そのため、こうした流れを考えても、『MARCH』がアメリカで出版されたタイミングは見事だったと思いますし、この成功を受けて、社会派のグラフィック・ノベルがアメリカのブック・フェアでも目立っているようですので、人々の意識は変わってきているような気がします。また、10代の若い世代は、自ら率先してデモ(学校でのマス・シューティングを受けて行われたMarch for Our Livesなど)を行うなど、社会的な意識の高い人たちが多いので、彼らがアメリカを変えていく力になると思います」

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『MARCH 3 セルマ 勝利をわれらに』より。世界各地から自由を愛する人々が集い、アラバマ州のセルマからモンゴメリーまで5日間で約80キロに及ぶデモ行進が行われた。

2000年を境に、アメリカ合衆国でのマイノリティの人口の第1位はアフリカン・アメリカンではなくヒスパニック系になりましたが、客観的に見て、今もなお奴隷制を引きずってアフリカン・アメリカンに対する待遇の方が悪いのでしょうか?

「残念ながら、アフリカン・アメリカンの方がさまざまな面で状況は悪いと思います。これは、奴隷としてアメリカに連れてこられてきた者たちと、自ら母国を去ってアメリカに移住した者たち、という違いからも生じているかもしれません。また、同じ黒人でも、カリブ海やアフリカから移民してきた親を持つ子どもたちと、昔からアメリカに住んでいるアフリカン・アメリカンでは、置かれた状況や考え方などもかなり違うため、ひとまとめにはできないところもあります。アフリカン・アメリカンの貧困層は、負のスパイラルから抜け出すのが本当に大変です。これは話し出すと長くなってしまいますが、『A Hope in the Unseen』(ワシントンDCの貧困街で育った少年がアイヴィー・リーグに入るまでのノン・フィクション)や『Makes Me Wanna Holler: A Young Black Man in America』(10代で犯罪に手を染めてその後服役し、更正後はワシントン・ポスト紙の記者となった黒人男性の手記)、最近では『Why They Call You A Terrorist』(Black Lives Matterを始めた女性の1人による著書で、何も持たない黒人が置かれた状況がシヴィアかつリアルに描かれています)といった本を読むだけでも、代々引き継がれてきた貧困がいかに大きな影響を及ぼすか、そしてそこから抜け出すのがいかに困難かが分かると思います。
それから、ヒスパニックやアジア系と違って、やはり肌の色のせいなのか、黒人は目立つのです。特に肌の色が黒く、体が大きな黒人は、白人からすると脅威に写るようで、白人が持つ黒人に対する恐怖(白人は「黒人は自分たちに恨みを晴らそうと攻撃してくるのではないか?」といったような恐怖を感じているのでは?といったことが黒人コミュニティでは言われています)も差別につながっていると思います。また、黒人大学ですら、つい最近まで肌の色の濃い黒人が学長にはなれませんでした」

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■ どんな状況でもユーモアを忘れず、逆境を跳ね返して前進する姿

これまでもヒップホップ関連や、アフリカン・アメリカン関連の翻訳のお仕事が多いですが、彼らの生き様や作品のどのあたりに惹かれるのでしょうか?

「ブラック・ミュージック好きが高じてアフリカン・アメリカンの文化、歴史に興味を持つようになり、留学を考えた時は、アフロ・アメリカン・スタディーズの専攻がある大学しようと決めていました。アフリカン・アメリカンで成功している人たちは、日本人の私たちでは想像もつかないような環境で苦労している人も多いのですが、それでも皆さん絶望することなく、とにかく前向きに挑戦を続けて成功しているので、すぐに弱音を吐きがちな私は、彼らの本を読んだり、話を聞いたりしているとすごく勇気づけられます。どんな状況でもユーモアを忘れず、逆境を跳ね返して前進する姿には、いつも大いに励まされています。また、日本で仕事をしていた時、女性ということでそれなりに差別を受けたり、苦労をすることもあったので、アフリカン・アメリカンの皆さんの経験にも感情移入できるというか、共感できるというか……、自分がここまで勇気づけられているので、日本で頑張っている皆さんも、彼らの経験を読んだり知ったりすれば、励まされることも多いのではないかな? と思っています。そして、留学中に大学から全額奨学金をもらっていたことや(学費を払ったのは1年目だけです。余談ですが、だからこそ日本の貸与式奨学金制度には非常に違和感を覚えています)、近所の人たちがいつも応援してくれたことにすごく恩を感じているので、母国である日本の人たちに、彼らの正しい情報が伝われば、お世話になった皆さんに少しでも恩返しができるのではないか?と感じていることも、アフリカン・アメリカン関連の書籍を多く手掛けている理由です」

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ジョン・ルイス下院議員の部屋の前の押野素子さん。アメリカの現実を肌で感じながら翻訳家として活躍する押野さんの素顔は、とてもお茶目。

最後に、押野さんが魅力を感じるアフリカン・アメリカンの人物を数人挙げてもらった。

ティファニー・ハディッシュ……長い下積み時代を経て、去年あたりから大ブレイクしたコメディアン/女優。生い立ちが壮絶なのに、それを笑いに変えながら、多くの人に笑顔と元気を届けているので、応援せずにはいられない気分になります。

ジャネル・モネイ……先日、自分はパンセクシュアルだと発表して話題になりましたが、才能、スタイル、信念など、全て大好きです。ミュージシャンとしても素晴らしいですが、『Moonlight』や『Hidden Figures』での演技が本当に素晴らしかった! 黒人女性でも、セクシー路線に進む気がない場合は、その道を進む必要はないということを見事に示し、そして成功した女性だと思います。(黒人女性はどうしてもセクシーなイメージで売らざるをえなかったりするので……)。

テリー・クルーズ……元アメフト選手ですが、『Everybody Hates Chris』(2005年~2009年)というテレビ番組で人気を博し、いまや押しも押されもせぬ人気俳優として活躍しています。昨年から盛り上がっているMeToo Movementで、男性としてハリウッドのセクシュアル・ハラスメントについて告発したことでも話題になりました。男性側(特に黒人男性)がこのような告発をするのは非常に勇気がいることですし、特にハリウッドの俳優として活躍している彼には仕事上はマイナス面の方が多いかもしれませんが、それでも自分の信念に従って告発した姿勢は素晴らしいと思います。

ほかにもモハメド・アリや、押野さんが翻訳本を出したションダ・ライムズの名前も……。

『MARCH』に関する情報はコチラで→www.iwanami.co.jp/march

*To Be Continued

伊藤なつみ

音楽&映画ジャーナリスト/編集者
これまで『フィガロジャポン』やモード誌などで取材、対談、原稿執筆、書籍の編集を担当。CD解説原稿や、選曲・番組構成、イベントや音楽プロデュースなども。また、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、ビョーク、レディオヘッドはじめ、国内外のアーティストに多数取材。日本ポピュラー音楽学会会員。
ブログ:MUSIC DIARY 24/7
連載:Music Sketch
Twitter:@natsumiitoh

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