蓮沼執太フィルの『アントロポセン』が問いかけるもの
Music Sketch
蓮沼執太フィルのニューアルバムのタイトルは『アントロポセン』。「アントロポセン」とは、オゾン・ホールの研究で知られるオランダの大気化学学者パウル・クルッツェンによる造語だ。日本語では「人新世」と言われることもある。人間が自然を勝手にいじっていったために地球温暖化が際限なく進行し、現在の“人間が地球を作り変えるようになってしまった点”にノーベル化学賞受賞者でもあるクルッツェンが着目し、「アントロポセン」という新たな区分(年代)を考えたわけだ。地質時代の年代区分において、1万1700年前に始まった「完新世」が今も続いているという見方は一般的だが、世界各地で地震や津波、風水害や干ばつなどの自然災害のリスクが年々増加している昨今、「アントロポセン」という言葉を耳にする機会は増えていくだろう。日本でも今月、西日本豪雨という想像を絶する自然災害が起き、さらには猛暑が続いている。“異常気象”ならぬ“極端気象”に象徴されるように、地球そのものが新たな年代に突入している。
蓮沼執太。1983年東京生まれの音楽家・作曲家。撮影:嶌村吉祥丸
蓮沼執太フィルは、彼の楽曲をライヴで演奏するために編成された5人組の蓮沼執太チームを母体とし、蓮沼がコンダクトする総勢16名による現代版フィルハーモニック・ポップ・オーケストラとして2010年に結成された。これまでにライヴハウス他、東京都現代美術館、大阪国立国際美術館などでも演奏され、展覧会、ダンス、演劇、建築等とのコラボレーションや、美術館などの展示スペースでのインスタレーションでも活躍している音楽家らしい、実験性を帯びたスタイルを維持したアンサンブルになっている。
“環境”と“音楽”というと、一見すると結びつきが薄いように思われるが、蓮沼執太は、高校3年生の時の自身の誕生日にアメリカ同時多発テロ事件を目の当たりにし、その頃から(詳しい説明は省くが)経済環境学へと興味を持ち始め、フィールド・レコーディングといったことをスタートさせた。自身が抱えている問題意識を投与しながら表現していくスタイルは、当時から今もずっと変わっていない。
2014年にリリースされた『時が奏でる - Time plays and so do we.』は、それまで蓮沼フィルでライヴ演奏してきたものを形として残すためにレコーディングしたアルバムであった。一方、この『アントロポセン』は、蓮沼が楽曲を譜面に起こしてメンバーに渡し、まずレコーディング。この先、これらの楽曲がコンサートを通してどう変化して行くかを楽しめる過程になっている。「この2枚は鏡のようにシンメトリーですね」と蓮沼は説明する。
制作に至るきっかけは、主催公演で新曲を制作して来場者に音源を配るプレゼントをしていて、2017年の蓮沼フィルの公演「Meeting Place」で同名の新曲を発表したことから。「メンバーに2年ぶりに再会して、新作を作っている時に、みんなの音の変化がすごく新鮮でした。ここに可能性があるぞ!って思いました」と、徐々にアルバム製作がスタートし、2018年1月の公演「東京ジャクスタ」では新曲「Juxtapotision with Tokyo」を発表。アルバムが完成したタイミングで、蓮沼執太にインタビューした。
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■ 「人間のこと、自然や物など、全てにおいての関係性を考えて」という意識を
1曲目の「Anthropocene – intro」から、歌詞に前作のアルバムタイトル『時が奏でる』や、“地球の 裏側のこと 考える”といった言葉が含まれてアルバムが始まる。全体を通して最初に聴いた時に驚かされたのが「4O」と「off-site」。これまでに感じなかった不協和音や即興性の高いギターのノイジーなフレーズなどが飛び込んで来たからだ。
—「4O」は、音が交錯しながら不協和音をぶつけるあたりに引きつけられるし、最後の歌詞の“何もかも 変わらず 燃えている このまま流されれば あの闇へ”も、かなり意味深ですね。
「そうですね、まず音作りの面でも過去の蓮沼フィルのプロダクションとは異なっているのですが、僕がシンセサイザーのプロフェット5を弾いていて、フィルの音の中で珍しくシンセサイザーが入っています。しかもフィルにはツインドラムによるリズム隊がいるのにも関わらず、僕はリズムマシンのTR-808を使っています」
—「4O」という曲名がOur,Object,Oriented,Ontologyからきている背景も教えて下さい。
「いわゆる“オブジェクト指向存在論(Object Oriented Ontology)”(アメリカの哲学者グレアム・ハーマンが提唱する哲学:筆者注)に私たちの“Our”を追加した造語です。『アントロポセン』という大きなテーマを直接的にアルバムが扱っているわけでは無く、結局ロゴス中心に、人間中心に世の中を考えすぎた結果が、顕著に実際問題として出てしまっています。“自分のことだけを考えているのではなくて、さらに人間のことだけではなくて、自然や物など、全ての関係性を考えていこうよ”ということを意識することで、小さな問題から大きな問題を考える決起になると思うんですよね」
—この曲の音の感じにしても、蓮沼さんの歌から「闇」という単語が出てくること自体、ついに来るところまで来たというか、驚かされました。
「確かに(笑)。歌詞は去年に書いていたものです。日本に帰ってない時期で、ニューヨークにいました。単なる海外にいて日本を憂うというありがちな心理状況を超えて、考えさせられる出来事も多くあります。それは民主主義国家として優れているアメリカにいると相対的に考えてしまうことも多いです。そういった環境の中で作り出される歌詞の考えというのは、展覧会などの作品制作のコンセプトと同じレベルで扱っていて、普段から散文として書いているんですよね」
—前のアルバム時の取材では、“音楽が持っている感情を具現化するわけではないけれど、割とそのメロディを意識して言葉の質感を大事にする”と話していたので。でも今回は質感ではなく、言葉が言葉として立っていますよね。“音楽とは別に散文として書いていた”ということにとても納得します。
「ソロ作での『メロディーズ』というアルバムで自分の中での歌という音楽に向き合った後のフェーズではあると思います。言葉と音は自分の中で別々に存在していて、まずは旋律があり、その上に歌詞が乗ることで物語性が強くなり、音楽が具現化されていくイメージです」
■ 「隣︎の人を理解して、わかり合っていこう」という姿勢を大切に
—「off-site」はどんな曲にしたかったのですか?
「これは移民にまつわる歌詞です。蓮沼フィルのメンバーは、音楽畑が異なる演奏家が集って音楽をしていることがベーシックです。音楽の集団というのは西洋のオーケストラにあげられるように当時の社会体制を投影しているところもあります。蓮沼フィルはメンバーそれぞれが同じ位置で音楽に携われるように、存在しているようなアンサンブルです。それは多様性を肯定することでもあり、音楽だけじゃなくて現代の社会にも言えることだと思っています。この移民問題はトランプ政権やBREXIT以降にさらに悪くなってしまったことでもありますが、世界そして人間の問題として深刻です。とはいえ、自分たちの身近な行動として“隣人の信仰の話を聞いてみる”“自分とは違う国のご飯の食べ方をやってみる”など、他人とは生まれた場所や育った場所の慣習で違うし、“わかり合えないかもしれないけど、寄り添ってみることが大切”というテーマで歌詞の下書きをしたんです。いつも言っていることは一緒なんですけどね」
蓮沼執太フィルのメンバー。
—今回の方が具体的ですね。同様に日々の営みを表現するにしても、明確になったというか、コンセプチュアルというか。
「そうですね、もっと明確にした感じでしょうか。『アントロポセン』というタイトルも当初はもっと抽象的なものにしようと考えていたのですが、現代では詩的なアプローチもどこかユーモアを感じ取ってもらえない風潮を感じますし、物事を直接的に発言しないと、しっかり伝わらない気もして、敢えてこの『アントロポセン』と名付けています。ただ、アルバムタイトル自体が扱っている問いかけは大きいけれど、その言葉を通して“僕たちの日々をもう一度見直そうよ”っていう些細なキッカケでもあって、“個人、一人が日常を丁寧に生活することだけでも、それは小さい問題から大きな問題とも対峙できるだろう”ということであるし、僕が個人の想像力を信じている表れです」
—緻密に重なり合っていくイントロから印象的ですが、曲作りはスムーズに進みましたか?
「メンバーの顔が思い浮かべて、メンバーそれぞれに当て書きのようにして作曲しました。『off-site』は反復構造の中に少しだけポリリズムの要素があった後に、環ROYのラップと斉藤(亮輔)くんのギターのノイズが重なる展開の楽曲です。僕は蓮沼フィルへの曲を作る時は、大前提に“こんな曲にしよう”というイメージがあります。基本的にはそれぞれ楽譜に起こしていくので、普段は鍵盤を使う機会は少ないのですが、鍵盤を演奏しながら作曲をしていくことが多いです」
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■ みんなの音を聴きながら、指揮者不在で成り立つ音楽の提案を
—今回のアルバムも基本、蓮沼さんと木下美紗都さんの男女混成ヴォーカルですが、今回の蓮沼さんは歌うよりもポエティックで、音楽に馴染んでいるというより、言葉として耳につく。意識的にそうしているのですか?
「歌い方の意識は全然していなくて、自然に歌っていました。僕は昔からあまり修正しない派なんですね。録音した素材をそのまま活かすタイプです」
—それはなぜ?
「蓮沼フィルの当初の結成理由は、ライヴ演奏のために集ったアンサンブルだからだと思います。その時に奏でられた音、記録された音が一番大切で、演奏の上手下手、整っているかラフなのか、など、単純な二元論で分けていません。今回は歌詞の言葉が持つ具体性、楽曲が持っている音の質感が上手に絡まっていて興味深いです」
—私はレコードとして、その時の蓮沼さんやフィルの空気感などを記録しているのかと考えていました。
「まさしく!レコーディングというのは、そもそも時の空気をマイクで記録していくことですよね。我々の現在地が記録されるというのは間違いなですし、前作はライヴした経験をスタジオで記録しました。今回は最初にレコーディングした音楽をこれからライヴに展開していくという流れなので、そういう意味ではこのアルバムの音楽はライヴを経て、もっと変化していきます」
現在はNYにも住まいがあり、東京と行き来している。撮影:嶌村吉祥丸
—『アントロポセン』というタイトルだからこそ、あまりにも完璧なもの、例えばクリック(テンポを維持するための同期音:筆者注)を使ったきっちりしたものができてしまうと、逆に嘘だなって思えてしまう気がします。
「そうですね、もっと正直な音楽にしたいです」
—なので、私はこの記録感が逆にいいなと思ったんですよね。生々しいというか。
「本当だったら、クリックのような音楽の軸となる中心を作っちゃいけないことが理想です。フィルではすべての曲に指揮は必要ではないですけど、この編成だとリズム隊が音楽の時間をキープしていく役割になったりします。理想はそういうことからも解放された音楽を目指したいと思っています。雅楽のようにノンリニアに進行していく、みんなの音を感じながら、指揮者不在で、音楽と時間が緩やかにすぎていく……、といったことが必要なのでは、と感じています。こういう考え方をベースにして、フィルに関してもメンバーとの信頼がまずあって、リーダーとして僕が中心に存在しているかもしれなけれど、どんどん希薄になっていって、メンバーの存在感がさらに際立つようなスタイルになることを可能にしています。すごいいい状態ですよ」
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■ この『アントロポセン』がちょっとしたきっかけになれば
—この他にも過去の楽曲やインストゥルメンタル曲など、様々なタイプの全13曲が収録されていますが、特に注目してほしいのはどの曲ですか?
「それぞれ思い入れがある楽曲なのですが、『Juxtapotision with Tokyo』の歌詞はユニークかもしれません」
—“矜持を持って”など、散りばめられている言葉は強めですよね。
「確かに、通常のJ-POP歌謡で使われるような歌詞ではないですよね。メロディがわりとさらっとした軽さの上に、この意味が乗っかることで生まれる独特なコントラストが気に入っています。直接的な意味がある歌詞に、情報量の多いメロディとの兼ね合いは少々重く感じたりもします」
蓮沼執太フィル2作目のアルバム『アントロポセン』
—最後にひとことお願いします。
「このアルバムはフィルメンバーを信じて、自由に作りました。現在の蓮沼フィルの音楽を表しています。コンセプトでもある“一人一人、日々の問題に対して向き合ってほしい”というのは大きなお世話という気もしますし、啓蒙をふるまっているわけでもありません。音楽を聴く日常の中で、この『アントロポセン』が生活の中でちょっとした変化を与えるきっかけになればいいな、と感じています。音楽がある理由など素直に考えて作りました。アルバムのジャケットのように、僕らの生活はちょっと違った視点で見つめることで期待も膨らむと同時に何かを見直さなければいけない、という気持ちがあって、はじめて生きている実感があるような気がしています」
8月18日(土)東京・すみだトリフォニーホール
9月16日(日)名古屋・ナディアパーク デザインホール
9月17日(月・祝)大阪・千日前ユニバース(味園ビルB1)
そのほかのライヴなど詳しくはこちらへ
*To Be Continued