Music Sketch

映画『SLEEP』のリヒターに聞く、音楽と睡眠の話。

Music Sketch

マックス・リヒターはこれまで、映画『戦場でワルツを』(2008年)や『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』(2018)をはじめ、数多くの映画音楽やTVドラマの音楽を作曲してきた。しかし本来は、クラシック音楽とエレクトロニック・ミュージックを融合させた“ポスト・クラシカルの音楽家”である。人工雨の中でダンサーがパフォーマンスを繰り広げるステージ《Rain Room》(2012)やヴァージニア・ウルフの小説に触発されたアルバム『Three Worlds: Music From Woolf Works』(2017)など、実験的な作品を多々発表してきた。そして何より彼を世界的に有名にしたのは、8時間にも及ぶ大作『スリープ』(2015)である。

210326_1_Richter_SLEEP_Photo_by_MIKE_TERRY_002.jpg

野外ステージの前に観客用のベッドが並び、そこで各自が睡眠している。

『スリープ』は観客が演奏会場に並べられたベッドに横たわって、寝ながら一晩中聴くという、そのライブ演奏のために作曲されたもの。しかも、観客は演奏の間にヨガをしたり、歩き回ったりするなど、その行動は音さえ立てなければ自由であるという。日本で公開されることとなった映画『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』は、この画期的なコンサート《スリープ》が実現するまでの過程から、LAのグランドパークやアントワープの聖母大聖堂といった、世界各地のシンボリックな場所で開催された様子までを追ったドキュメンタリー作品だ。早速、マックス・リヒター本人に、ZOOM取材を行った。

---fadeinpager---

一晩中ミステリアスな場所で特別な旅に出ているようなもの。

――素晴らしい音楽会《スリープ》を映画館という新たな会場でも体験でき、貴重な感覚に包まれました。あなた自身この演奏会場で、ベッドに横になったり、踊ったりしている観客を見ながら、刺激を受けたり、心を動かされたりしたことはありますか? 

マックス・リヒター(以下R):通常の演奏では、私たちが持つ何らかのストーリーというものを観客と共有し、リアルタイムでそこに起こるエモーションなどを体感します。しかし、この《スリープ》のコンサートはその力学というか、起こることがまったく異なるんですよね。通常の演奏でやる形は正しくないと思って、私たち演奏家はそこで寝ている人たちのコミュニティに寄り添うというか、ある意味、風景になるという意識で存在している。深い睡眠状態に入っている人たちの目の前で演奏するということで、私たちも何か特別な感情に襲われました。とてもプライベートな、睡眠という活動をしている人たちの個人的なスペースに招き入れてもらえた特権というものを感じましたね。観客はみな、そこにいる人たちを信頼し、私たちのことも信頼し、そして一晩中一緒にミステリアスな場所で特別な旅に出ているようなものだから。

210326_2_Richter_SLEEP_Photo_by_RAHI_REZVANI_013.jpg

マックス・リヒター。1966年にドイツのハーメルンに生まれ、イギリスで育った。

――どのような感覚といえますか?

R:睡眠状態の心と対話しているというか、それは精神的なものと知的なものが融合したような感覚。あるいは、そこを越境するような感覚。ある意味、自分自身が非常に剥き出しになるという状況で、非常に特殊な環境に身を置くことになると思います。それは冒険であり、実験であり、発見でもある。音楽が感情との間にどういった効果をもたらすかというのが、如実に表れて感じられるものといえるので、この試みは自分でもとても興味深いものなんです。

――映画のエンディングで、観客が《スリープ》の体験の感想を述べていますが、どれも詩的で素敵でした。

R:それだけクリエイティビィティに溢れた空間だったのだと思います。

――この映画で好きなシーンはありますか?

R:やっぱり、観客が演奏を聴きながら寝ているシーンが興味深かったですね。僕は自分の演奏を休憩している時に、観客の寝ている間を歩き回ったりしたけど、映像で観るとまた違うので。

210326_3_SLEEP.jpg

演奏家はそれぞれ交互に休憩を取るものの、8時間以上演奏し続ける。

---fadeinpager---

「胎児から人間の誕生へ」という世界観も表現。

――脳波とリズムを調和させていこうとする音楽を作曲する中で、何を意識しましたか?

R:意識した点は2つあります。まず、とてもスローモーションだけれど、一定のパルス、リズムというのがあります。意識したのは科学的な面とエモーショナルな作用を与える面についてです。音響のスペクトラムの中で極限の一定の低周波を意識しましたが、これは子宮内の胎児が聞いている状況とまったく同じ。つまりそれと同じ低周波がいちばん眠りへ誘導します。比喩でいうならば、この音楽の状態は人間の生まれる前の始まりを意味していて。そこから明け方に向けて最後の1時間に高周波になっていく。ここは、夜が明ける=人間が生まれる、つまり人間の始まりを意味しています。なので、この音楽には科学的な面と感情に訴えるようなエモーショナルな作用があるのです。

――以前から親交のある脳科学者デヴィッド・イーグルマンから詳しく話を聞いたそうですし、それゆえ、時間帯や会場にもこだわってきたんですね。

R:その通りです。いまお話ししたように楽曲には暗闇から陽光が差し込んでくるイメージを持たせているので、それに合う時間帯に演奏しています。

210326_4_axRichter_SLEEP_Photo_by_MIKE_TERRY_010.jpg

公演の実現に向けて欠かせなかった、公私のパートナーであるユリア・マールの存在も映画では明かされている。

――バッハのようなバロック音楽は電子音楽と相性がいいと思うのですが、『スリープ』を作曲するにあたり、特に研究した作曲家はいるのでしょうか?

R:まさにスタート地点はバッハと言えます。そもそも「ゴールドベルグ変奏曲」は夜にまつわる逸話があって書かれたという話を聞いたことがあるので。『スリープ』が31のセクションに分かれているというのも「ゴールドベルグ変奏曲」と同じにしたため。ベースラインを下降音型(筆者注:内向、弱さ、絶望などを表現する際に使われる音楽の修辞法)で書いた展開もバッハになぞらえていいます。この音型には心を安堵させる心理学的効果があり、観客を眠りに導くことができると考えたからです。ノンレム睡眠のうち、出現する脳波の特徴として周波数の低い成分(徐波成分)が中心となる睡眠のことでもあります。

――ノンレム睡眠の時、脳はいろいろな情報処理をするといいますよね?

R:朝、目が覚めるとすっきりしていて頭脳明晰になるのは、そのためです。さらに自分の作曲でとても重要なのは、バリエーションがある中で交互に一定のリズムが起きるということ。というのは夜中にふと目が覚めて、一瞬「ここはどこ?」と思って、すぐに自分のいる場所に気づきますよね。そのことはとても大事で、安心感やアイデンティティというものに繋がるので、夜中に『スリープ』を聴いている人がいつ起きても、「居場所はここだ」と気づくために一定のものをモチーフで保っています。

――ピアノとヴォーカルの主旋律が変化しつつも循環していて、そこにはミニマル・ミュージックに近いものも想起しました。

R:そうですね。ミニマル・ミュージックの反復語法のような構造は、眠気を促進させる効果があるといえます。話を戻すと、夜や夢、睡眠といったことをテーマに曲を書いている作曲家は、古くからマーラーだったり、ドビュッシーだったり、たくさんいます。夜や眠りというトピックには、秘密めいたというか、作曲家のクリエイティヴな感覚をくすぐる何らかのアピールがあるのだと思います。

---fadeinpager---

いまは何が本質的に大切なのかを再発見する機会。

――日本ではコロナ禍に『スリープ』が公開されます。何かメッセージがあればお願いします。

R:予想だにしなかったことが起きて、本当に不安が募る日々であると同時に、いまは何が本質的に大切なのかを再発見する機会になっていると思います。家族であったり、クリエイティヴィティ、芸術、愛……といったことに十分に気を配れなかったり、人に敬意を払わなかったりしていたけれど、個人のレベルでも社会のレベルでもコロナ禍においてそういったことに気づくターニングポイントになっているのではないかと。そして、ここから何か肯定的なものが生まれるのではないか、そういう兆しを感じます。この映画も、そういったことと向かい合うきっかけになれば嬉しいです。

――新作としては『VOICES 2』(CDは直輸入盤)が4月9日にリリースされます。『VOICES』は世界人権宣言に着想を得て作られたものですが、今回は全曲インストゥルメンタルにしたのは何故でしょうか? また「Mercy Duet」のように、前回の曲「Mercy」をモチーフにした曲を入れた理由も教えてください。

R:『VOICES』でのフレーズを繰り返しているけれど、言葉を入れずにインストゥルメンタルにしたことで、オープンスペースにし、いろいろ考えられるようにしています。なので、リスナーに新たな捉え方をしてもらえると思っています。

――ありがとうございました。2019年に来日公演がありましたが、また日本でもコンサートが開催できる日が来ることを切実に願っています。

『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』
●監督/ナタリー・ジョーンズ 
●出演/マックス・リヒター、ユリア・マール 
●2019年、イギリス映画 
●99分 
●配給:アット・エンタテインメント
(C)2018 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin All Rights Reserved 
2021年3月26日(金)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開。
https://max-sleep.com/

*To Be Continured

伊藤なつみ

音楽&映画ジャーナリスト/編集者
これまで『フィガロジャポン』やモード誌などで取材、対談、原稿執筆、書籍の編集を担当。CD解説原稿や、選曲・番組構成、イベントや音楽プロデュースなども。また、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、ビョーク、レディオヘッドはじめ、国内外のアーティストに多数取材。日本ポピュラー音楽学会会員。
ブログ:MUSIC DIARY 24/7
連載:Music Sketch
Twitter:@natsumiitoh

RELATED CONTENTS

BRAND SPECIAL

    BRAND NEWS

      • NEW
      • WEEKLY RANKING
      SEE MORE

      RECOMMENDED

      WHAT'S NEW

      LATEST BLOG

      FIGARO Japon

      FIGARO Japon

      madameFIGARO.jpではサイトの最新情報をはじめ、雑誌「フィガロジャポン」最新号のご案内などの情報を毎月5日と20日にメールマガジンでお届けいたします。

      フィガロジャポン madame FIGARO.jp Error Page - 404

      Page Not FoundWe Couldn't Find That Page

      このページはご利用いただけません。
      リンクに問題があるか、ページが削除された可能性があります。