Music Sketch

ブライアン・イーノの新作『スモール・クラフト・オン・ア・ミルク・シー』

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ブライアン・イーノというアーティストを知らない人に、彼のことをごく簡単に説明するなら、Windows95を立ち上げた時に流れる起動音の制作者であり、デヴィッド・ボウイやトーキング・ヘッズ、U2、最近ではコールドプレイのプロデューサーとして知られている人物、と書けば、少しは親近感が湧くかもしれません。また、現代音楽のジョン・ケージを父に、"家具の音楽"を提唱したエリック・サティを母に、ブライアン・イーノがそこからアンビエント・ミュージックと呼ばれる環境音楽を発展させてきた、とも言われている音楽界の偉人です。ざっと書けば、アンビエント、ミニマル、テクノ、エレクトロニカからロックまで幅広く網羅しているわけですが、もちろんこれだけの説明では、全くもってスペースが足りません。


1029music_1.jpg1948年生まれ。カンディンスキーの絵を好み、初期にはスティーヴ・ライヒから多大な影響を受けたというブライアン・イーノ。フジロックフェスティバル'01に出演して話題を集めたこともありました。

私がイーノの存在を最初に知ったのは、イギリスのバンド、ロキシー・ミュージックのメンバーの一員として。『ミュージック・ライフ』誌の表紙を飾った時のイーノの中性的な容姿は今でも脳裏に焼き付いているほどインパクト大でした。

しかし1973年6月に脱退後、イーノは元々アートスクールで絵画や彫刻を学び、テープレコーダーを使った音響彫刻と呼ばれる実験に傾倒してきた時期があり、また、75年1月に交通事故に遭い、入院中に「18世紀ハープ音楽のレコードを、片方のチャンネルが壊れたステレオで再生しながら小音量で聴いていたこと」が"環境の一部となるような音楽への興味"へとつながり、これがある種の啓示のようになって、彼を次のステップへと向かわせます。それがソロ作品『アナザー・グリーン・ワールド』(75年)や、アンビエント・シリーズの第1作であり、架空の空港のロビーなどに流れることを想定した傑作アルバム『ミュージック・フォー・エアポーツ』(78年)へと発展していきます。

私はこの頃はイーノがギタリストのフィル・マンザネラと行なっていた『801 LIVE』(76年)なども好きだったのですが、とにかく『ミュージック・フォー・エアポーツ』のジャケット・デザインの美しさはもとより、提示された音楽の美しさに、一瞬にして魅了されてしまいました。


1029music_2.jpgアンビエント・ミュージックの原点となった、イーノの代表作のひとつ、『ミュージック・フォー・エアポーツ』。

ひとつひとつ丁寧に書いていくと、とても終わらないので、今回の新作『スモール・クラフト・オン・ア・ミルク・シー』を着地点にして、話をそこへ絞っていきたいと思います。

この新作は、「映画のためのサウンドトラックではなく、映画(映像)のない状態の、音のみで作られた"sound-only movies"だ」と、イーノ自身は説明しています。資料にある彼の言葉を一部引用します。

「70年代初頭、私は他のあらゆる種類のレコードよりも、映画のサウンドトラックを好んでいた。私を惹き付けたのは、その官能性と未完成性だ。映像が欠けているために、リスナーを誘い、聴く者の心の中で映画を完成させようとする。もしその映画を見たことがなければ、その音楽は刺激的なものとして残る。まるで、部屋に入った時に、立ち去ったばかりの誰かの香水の匂いが未だ残っているかのように。ニーノ・ロータが手掛けたフェリーニ映画のサウンドトラックを、私はその映画自体を見る前からよく聴いていたが、頭の中でまるまる一つの映画を思い浮かべることができた。フェリーニの実際の映画とはかけ離れている場合が多かったが、ある種未完成の状態で残るその音楽が、とりわけ創造的な方法で、リスナーを魅了するというアイディアを私に与えてくれたのだ」

ブライアン・イーノのサウンドトラックへの興味というのは、前述のアンビエント・シリーズの前に『ミュージック・フォー・フィルムズ』(78年)という作品を発表したことからわかりますし、続編を83年に発表しています。このように、"映像をインスパイアする音楽制作"には早くから取りかかっていました。一方で1996年にはイーノとU2によるユニット、パッセンジャーズを結成し、彼らが選んだ映画15作品に独自にサウンドトラックを制作していく『オリジナル・サウンドトラックス 1』を発表。ビル・カーターのドキュメンタリー映画『ミス・サラエボ』の音楽にパバロッティを招くなどして、"映画にインスパイアされた音楽制作"にも取り組んできました。


1029music_3.jpg好きな映画作品に独自に曲を制作。インストゥルメンタル他、イーノの歌、U2やパバロッティとの共演も。『オリジナル・サウンドトラックス 1』。

また映像との関連性でいえば、83年に『ビデオとアートと環境音楽の世界』(@ラフォーレミュージアム赤坂)のために来日し、美術系の出身ならではの彼の世界観を展示。モニター画面を縦に置くなどした設定の中で、頭の中だけで考え出されたような前衛的なものではなく、その環境に溶け込むように、空気のような感覚で自然と耳に入ってくるものとして、音楽がそこに流れていたのを覚えています。当時はヴィデオ・アーティストのナム・ジュン・パイクやパフォーマー、ローリー・アンダーソンなどの活動も盛んに注目を浴びていて、当然イーノの活動はアート・シーンからも絶賛されていました。また2006年には『"77 MILLION"an Audio Visual Installation by BRIAN ENO−ブライアン・イーノ音楽映像インスタレーション展』(@ラフォーレミュージアム原宿)を開催しています。

そういった流れからしても、今回のアルバム『スモール・クラフト・オン・ア・ミルク・シー』は、ブライアン・イーノの長年の想いが結集した作品なのですが、ここにもう一つ書いておきたいことがあります。


1029music_4.jpg今回のアルバム制作のきっかけとなったという、劇中の音楽を依頼された映画『ラブリーボーン』。

実はこのアルバム制作のきっかけとなったのは、カルト映画界出身ながら、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作の大ヒットで一躍売れっ子となったピーター・ジャクソン監督の作品『ラブリーボーン』(2009年)の音楽を依頼されたことからでした。この映画は、隣人の男に殺された14歳の女の子が、霊界から家族や友人、犯人の人生を見届ける・・・・・・という、ホラー色を含み、スピリチュアルな展開もある作品で、ここで使われなかった曲もアルバムには収録されているらしく、この映画用の制作スタイルの延長として他の曲も作られていったようです。映画はかなりドキドキさせられるスリリングな内容でしたが、音楽はイーノ作品の他にも、コクトーツインズといった4AD系の曲も使われるなどして、現実と天国の狭間を表現するにはセンスのいいセレクトだったと記憶しています。

さて今回のアルバムにはイーノの他に、イーノのアルバム『アナザー・デイ・オン・アース』(05年)にも参加していた旧知のギタリスト、レオ・アブラハムスと、イーノがプロデュースしたコールドプレイの最新作『美しき生命』(08年)を共同ブロデュースしたエレクトロニカ系ミュージシャンのジョン・ホプキンスが参加しています。手法としては3人がスタジオで即興演奏した後に、各自が持ち帰ってそこにそれぞれ手を加え、また持ち寄って修正し・・・・・・というスタイルで音を構築していったそう。

再び、イーノの言葉を引用します。

「この作品に収録された楽曲は、この作品に収録された楽曲は、私と、レオ・アブラハムス、そしてジョン・ホプキンスが、これまで不定期に行ってきたコラボレーションの中から生まれている。彼ら二人は才能溢れる若き演奏家/作曲家で、私と同様、エレクトロニカの可能性と自由(という概念)に密接に関わっている。ここ数年の間に、私たちは数回に渡って共に作業をし、昨今、音楽家が利用できるようになった巨大な音楽の新しい領域を追求することを楽しんだ。このアルバムに収録された楽曲のほとんどは、クラシックな意味合いの"コンポジション(作曲)"ではなく、インプロヴィゼーション(即興)から生まれている。それらの即興は、曲としてではなく、むしろ風景として、ある特定の場所から抱く感覚として、あるいはある特定の出来事が示唆する提案として完成させようと試みられている。ある意味、故意的に"パーソナリティ"が欠如していると言える。歌い手は存在せず、語り手も存在せず、聴く者が何を感じるべきかを指し示す案内人も存在しない。もしこれらの楽曲が映像のために使われたなら、その映像は映画として完成するだろう。これらは、無声映画の鏡像、つまり音のみで作られた映画"sound-only movies"なのである」


1029music_5.jpg現在発売中のブライアン・イーノの最新作『スモール・クラフト・オン・ア・ミルク・シー』。初回盤のデジパック仕様は¥2,100 通常盤は¥2,000


ここに収録された楽曲は、エイフェックス・ツインやオウテカを筆頭に、先鋭的なアンビエント・テクノやダンス・ミュージックやエレクトロニカ作品を発表してきたレーベル"WARP"にふさわしく、どれも実験的な趣を示しつつ、キーボード主体の安堵感をもたらす楽曲からノイズやビート、ギターサウンドで覚醒させていく作品まで、多様な仕上がりになっています。とはいっても拒みたくなるような音遣いは全くなく、そこにはイーノならではの美意識で、音から情景を立ち上がらせようとする創造性がサウンドスケープとなって鮮明に広がり、アルバムを通して異次元にも近い音空間へ誘引してくれます。それはまさに実際に会った時のイーノの穏やかな人柄と、内に潜められたクリエイティヴィティのマグマを感じさせるようです。

素晴らしい傑作だと自信をもってお勧めします。ぜひ、じっくりと耳を傾けていただきたい一枚です。

なお、このアルバムは日本先行で発売されていますが、"通常盤"の他に、ボーナスCD、ヴァイナル2枚、リトグラフ・プリントの付いた"リミテッド・エディション"、全世界250枚限定という、イーノが開発した独自の印刷方法でプリントしたシルクスクリーンやサインの付いた"コレクターズ・エディション"なども販売されるそうです。イーノのさらなる世界観を堪能したい人は、是非そちらもチェックしてみてください。

*To Be Continued

伊藤なつみ

音楽&映画ジャーナリスト/編集者
これまで『フィガロジャポン』やモード誌などで取材、対談、原稿執筆、書籍の編集を担当。CD解説原稿や、選曲・番組構成、イベントや音楽プロデュースなども。また、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、ビョーク、レディオヘッドはじめ、国内外のアーティストに多数取材。日本ポピュラー音楽学会会員。
ブログ:MUSIC DIARY 24/7
連載:Music Sketch
Twitter:@natsumiitoh

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