【虹の刻 第5章】村上虹郎×山田智和×町田康。
虹の刻
フィガロ本誌3月号より始まった新連載「虹の刻」は、俳優の村上虹郎と映像作家の山田智和、そして各回ごとに変わる文筆家と音楽家を招き、”とある瞬間”を表現する連載企画。
章ごとに変わる文筆家の第5回目には、町田康が登場。音楽は、スティールパンやマリンバ、作曲、DJなどを行なうマルチ・アーティストの小林うてなが担当。
真っ白なスーツに袖を通し、廃材が散った土の中にひとり佇む――。3人の表現者が見つめる、とある瞬間を映し出す。
「白にけがれる」 町田康
中原中也は、「よごれつちまつた悲しみは懈怠のうちに死を夢む」と歌った。このとき悲しみとは純粋で美しいもの、人に詩をもたらす詩の魂のようなものに違いない。そしてそのように純粋で美しいものは必ず間違いなく穢れる。
そもそもあるべき本来の状態をどう考えるかによって人の生き方は随分と変わってくる。純粋で無垢なものが人の本来のあり方。それが不本意にも汚れて腹が立つ。と考えるか、人は本来、汚れている。ただ、そのことを悲しむとき、人のなかに純粋で美しいものが瞬間的な光を放つ、と考えるか。どちらも大変なようだが、どうも中原君は後者と考えていたようだな。そんなら私はどう考えればよいのだろう。私は汚穢に対して自然界における分解者のようでありたい。分解者の姿形はたいてい美しくない。否それどころか奇怪で醜悪なのだが。吁。人間は誰だって汚れなき者を愛する。
ロングドライブの途中、そんなことを考えながら半月と信号機を同時に眺めて、紙カップの珈琲を一口飲んだ。手もとが狂い、口から珈琲が零れ、おろし立ての白い襯衣に茶色い染みが広がっていった。また見上げた月が、いよよ、愁しい。
Tomokazu Yamada
1987年生まれ、東京都出身。Caviar所属。アーティストへの敬意、作品や精神性への共感と愛。光や闇、水などの自然を巧みに取り入れた作品群は、普遍性を持ちつつ私的な感情を描き出す。2018年、米津玄師「Lemon」のMVでMTV VMAJ 2018 最優秀ビデオ賞受賞、19年、スペースシャワーミュージックアワードでBEST VIDEO DIRECTOR受賞。
Nijiro Murakami
1997年生まれ、東京都出身。2014年カンヌ映画祭出品作『2つ目の窓』で主演を務め、俳優デビュー。作品の持つ時代性や自身の内的な記憶と真摯に向き合い、繊細な感情を映し出す演技派。公開待機作に、映画『楽園』『ある船頭の話』 『”隠れビッチ"やってました。』。舞台『ハムレット』が渋谷・Bunkamuraシアターコクーンにて絶賛上演中。
Kou Machida
1962年生まれ、大阪府出身。79年、バンド「INU」を結成。81年3月にアルバム『メシ喰うな!』でレコードレビュー、同年8月に解散。96年、処女作『くっすん大黒』(文藝春秋刊)を発表。2000年、『きれぎれ』(文藝春秋刊)で芥川賞、02年『権現の踊り子』(講談社刊)で川端康成文学賞、05年『告白』(中央公論新社刊)で谷崎潤一郎賞を受賞。
Utena Kobayashi
1989年生まれ、長野県出身。スティールパンやマリンバ、歌、作曲、DJなどを行なうマルチ・アーティスト。2010年よりガールズ・バンド「鬼の右腕」を主宰し、2013年に解散。その後、ソロでの活動をスタート。スティールパン/マリンバ奏者として蓮沼執太フィル、KID FRESINOやD.A.N.のライヴやレコーディングに参加。18年6月、レーベル「BINDIVIDUAL」を設立。
utenakobayashi.com
réalisation : TOMOKAZU YAMADA, direction de la photographie et montage : YUKI SHIRATORI, musique : UTENA KOBAYASHI, acteur : NIJIRO MURAKAMI, texte : KOU MACHIDA, stylisme : HAYATO TAKADA, coiffure et maquillage : KOTARO for SENSE OF HUMOUR