転職と天職 ー ナディアのジュエリー「ムッシュー・パリ」。
特集
パリジェンヌの心をしっかりとつかんでいる ジュエリーのブランド「Monsieur Paris(ムッシュー・パリ)」。2010年にブランドを立ち上げ、同時にブティックも開いたのはNadia Azoug(ナディア・アズーグ)で、彼女がデザインも手がけている。モード雑誌に女優マリオン・コティヤールがムッシュー・パリのジュエリーを着けたページが掲載されるや、創業1年であっという間に話題のブランドに。
ムッシュー・パリでは指輪のセレクションがとても豊富だ。パンジー(左)、ピンクトルマリン(右)。
新作から「Arlette」(左)と「Maya」。指という指を異なる指輪で飾りたくなるムッシュー・パリのデザイン!
マレ地区、シャルロ通り53番地のブティック。
ナディアはジュエリーの学校に通ったわけではないし、どこかのジュエリーのブランドで働いていたわけでもない。バー・ブラッスリーのカウンターで宝石職人と会話を進めるうちに、ジュエリーブランドを設立することを決めたのだ。
「宝石職人のフランキーの仕事の話をいろいろと聞いているうちに、彼が実践しているメティエ(職業)にすっかり魅了されてしまったのね。宝石の仕事は、なんて素晴らしいの、って。ちょうど何かほかの仕事をしたい、と模索している時のことで、私が探し求めていたのはこれだわ!と」
バー・カウンターの内側にいた彼女はこう思ったのである。当時の彼女はバー・ブラッスリーの経営者。美しい職人の手をもつフランキーは店の常連客で、毎朝カフェを飲みに来ていたのだ。
「私はアルジェリア生まれ。仕事に差し支えるのでジュエリーを身に着けることはあまりなかったけれど、装身具はオリエント、マグレブの文化の一部よ。それにジュエリーは愛情や結婚、出産という人生の幸せの瞬間に結びつくもので、フランキーと話していて、そういう点もすごく気に入ったの」
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会社員、バー・ブラッスリーの経営を経て。
ナディア・アズーグ。反性差別の意思をこめて女性のためのジュエリーブランドを「ムッシュー・パリ」と命名した。
「大学では5年間社会学を学びました。何か就きたい仕事のために、というのではなく、学んで理解したいことがありこの学科を選んだのです。私の人生は、このように常に自分の欲求に沿って進んでいます。アルジェリアからフランスに来て、異文化に接しました。アルジェリアとは異なることが多く、たくさんの発見があり、これは素晴らしいことでした。自分の周辺の習慣の違いを学ぶのに、社会学を学ぶのは役立つことで、興味を満たしてくれます」
学業のあと、25歳で仏米グループの企業の人事部で働くことに。2年在籍する間、あいにくと仕事はまったく好きになれなかった。組織の仕組みの融通の利かなさ、自由のなさ、連日の無意味な10時間労働……。当時のパートナーもサラリーマンが嫌で、会社を辞めてバー・ブラッスリーで働いていた。そして、ある時、その店の経営を引き継げる可能性が舞い込んだのだ。彼女は27歳。
「いいわね、やりましょうよ!って、あまり深く考えずに彼と経営を始めたの。これも出合いね。彼との間に3歳の子どもがいて、お腹にもうひとりいて、毎日早朝から深夜まで17時間働くのは大変だった。けっこう広い店だったから従業員は15名も。エキサイティングでおもしろい仕事で、たくさんのことを学び、会社の人事部での経験もこのビジネスには役立ちました。でも6年くらいで仕事のすべてを一巡したところでほかのことがしたくなって……そんな頃に、こうしてフランキーとバー・カウンター越しに毎朝話をする機会があったのです」
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もの作りの現場が見えるブティックを。
職人たちの手がジュエリーを細工するシーンをブティックで買い物客に見せる。
小さなブティックの隅に、職人の作業場が設けられている。
ムッシュー・パリが生まれ、いち早く人気を呼んだのは指輪だ。ヴェルメイユと18金の2つのラインがある。ゴールドは白、イエロー、ピンクの好みの色でのセミオーダーも可能。
「ジュエリーのブランドを始めると決め、すぐに思ったのは自分たちによって作られるジュエリーのブランドでなければ、ということ。クリエイターとして私はパリのオフィスにいて、製造は遠くインドで、というようなことはしたくなかった。私の目が届くアトリエでジュエリーは作られなければ!と。ブランドのアイデアが生まれたのは2009年4月で、8月にはブティックを開く場所を見つけていました。このようにスピーディに進行できたのは、起業家としてのバー・ブラッスリー経験のおかげ。税理士や弁護士といった知り合いがいたので、すぐにブランド創設の基礎は築けました。シャルロ通りに店を開いたのは、最初から場所はマレ地区!と決めていたから。というのも、北マレは昔々宝飾工房が集まっていた地区だったので。私のブランドの創設にはビジネスプランではなく、存在の意義が必要。ストーリーを語るブランドにしたかったの。人の目に触れるようにアトリエを店内に設けることにしたのは、私にとって職人仕事はジュエリーと同じくらいに大切だからです」
店を開いたのはシャルロ通り53番地。この店との出合いにもチャンスがあったという。不動産屋が「貸します」の張り紙を出した直後に、彼女はその前を通りかかったのだ。すぐさま契約。
この行動力! ジュエリーをデザインするのはナディアで、アトリエ仕事は最初の4カ月はフランキーが助けてくれた。それに過去の名残りでマレ地区では人づてに宝飾職人を探すのが簡単なうえに、宝石もゴールドも購入できる。すべてが徒歩圏内で調達できてしまうそうだ。なんだか食材とレストランのようで、ジュエリーの地産地消と表現したくなる。ブランドに成功をもたらしたのは、ナディアの時代を見据えた健全な判断力に創設の時からしっかりと支えられていたことだ。
「いま、この時期、人々は消費のあり方や生産拠点をどこに置くかということなどをあらためて問い直しています。でも、これは私がブランドを起こした10年前に想定したこと。私はジュエリーを作りに飛行機に乗ってインドまで行きたくない。それに職人たちは劣悪な労働環境で働いているし。単に売って、あとはバーゲンするような大量生産はしたくない。だからデザイン型も少しでスタートし、それを客がオーダーしてというように、無駄を出さずストックを持たないようにしました」
ブランドのアイコンのひとつ、指輪の「Mademoiselle」(1,150ユーロ)。シトリン、モルガナイト、トルマリンから選べる。
目のモチーフの「Josef」(左)やベルベル人のモチーフのメダルもブランドのアイコンとなっている。ムッシュー・パリではお守り風のメダルのペンダントも種類豊富。
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願望を叶えるセミオーダー。
4カ月の工事を終え、2010年1月にブティックをオープン。世の中がリアルなブティックよりインターネットのバーチャルなブティックへ移行する時代だったけれど、ナディアは時間もお金もかかり面倒も多いリアルなブティックを開くことを選んだ。
「人と直接コンタクトがあるのが好き。交換し、多くを学ぶことができます。マレ地区には多くのジャーナリストたちが住んでいて、開店3カ月目で雑誌『Numero』に紹介されました。わずかな型でスタートしたのだけど、アトリエがあるのでゴールドはイエローよりピンクがいい、チェーンはもっと長いのがいい、石の色は……というようなセミオーダーを開店した時から受けていて、これはブランドのいわば切り札なんです」
ブランドスタートの翌年、マリオン・コティヤールがムッシュー・パリのジュエリーを着けた写真が雑誌に掲載されたことで、ブランド名が広く知られるようになり、ほかの雑誌からの貸し出しリクエストも相次ぎ……この時にブランドの大きな前進をナディアは確信した。
女性誌でマリオン・コティヤールがはめて、創業1年目でブランド名が広まるきっかけとなった4つの指輪。上段左から「Olympe」「Jeanne」、下段左から「Manon」「Sacha」。
2018年には、シャルロ通りからすぐ近くのペレ通りに2つ目のスペースをオープンした。ショールームだがこちらでもオーダーも受け付ける。ブランドの成長にともないアトリエの拡張が必要となって、こちらに本格的な機械を揃えたアトリエを設けることに。それまでコンピューターを膝の上に置いて仕事をしていたナディアもようやくオフィススペースが得られた。彼女が最高のチームと呼ぶ5名は、客担当、営業担当、そして3名の職人たち。全員が女性である。
「ジュエリー学校を終えた若い見習いの女性がいるのだけど、彼女の疑問、質問に職人たちは惜しみなく知識を授けているの。職人たちにはエゴがなく、分かち合いたいという寛大さがある。継承の仕事なのね。好きだわ」
ブティックの近くペレ通り1番地のスペースで働く職人たち。全員女性である。
セミオーダーは完成まで4〜5カ月待つ。「願望というのは待つ価値があるのよ」とナディア。
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ナディアの冒険は続く。
自力でスローにブランドを発展させてゆきたいので、投資の提案が多数あるもののすべて断っているナディア。コラボレーションもするとしたら、ブランドではなく他のメティエ(職業)と、と彼女は考えている。新作発表にしても、年に2回というモード界のリズムではなく作りたい時に、というリズムが彼女の希望だ。どのデザインもパーマネントコレクションとして残るので、指輪などはすでに400型近くあるそうだ。アトリエを持つ強みである。もうじき本格的なメンズジュエリーも発表する。
着実に成長を続けるムッシュー・パリ。毎年リングを買いに来る男性客、開店当時は恋人同士だったカップルが結婚し、いまでは子どもがいて、家族で店に来て……こんな忠実な顧客たちの存在がナディアを喜ばせる。彼女の今後の夢や意欲は、これからも新しい品、新しいサービスを提案し続けることだと語る。
「ムッシュー・パリが売るのはジュエリーだけではありません。サヴォワール・フェールもです。これは情熱のメティエ。デザインはするけれど、私はジュエリー作りはしません。職人たちの手仕事に対して“わぁースゴイ!”という子どもの眼差しをずっとキープしていたいんです」
ブレスレットの「Alfonse」(左)と「Alexandra」。
ネックレス。左は「Anir」、右は瞳にサファイアを入れた「Joseph」(220ユーロ)。チェーンの長さの変更も、ネックレスの型によってはセミオーダーできる。
ピアス。左は「Iseult」、右は「Lune」。
53, rue Charlot 75003 Paris(アトリエ・ブティック)
1, rue Perrée 75003 Paris(オーダー・サロン)
Instagram : @monsieur.paris
www.monsieur-paris.com
réalisation : MARIKO OMURA