ドガがダンスを描き、パリ・オペラ座にバレエ作品が誕生。

パリとバレエとオペラ座と。

エドガー・ドガ(1834年〜1917年)の没後100周年を記念して、オルセー美術館で『ドガ、ダンス、デッサン』展が開催されている。このタイトルは詩人・作家のポール・ヴァレリーの著書からとったもので、展覧会場では本の中からの抜粋とドガの作品が重層構造で続いてゆく。この本は20年近くドガと親交を温めたヴァレリーによるドガ論であり、またドガの言葉なども含まれ、彼の人となりを物語る一冊。複製版画26点を挿絵にして画商アンブロワーズ・ヴォラールがドガの死後約20年後に豪華本として刊行したもので、展覧会はこのヴァレリーの本を介してドガにオマージュを捧げている。26点の版画は会場の最後の部屋で見ることができる。

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1936年にEdition Ambroise Vollardから発表されたポール・ヴァレリーによる『ドガ ダンス デッサン』。© Musée d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt

会場に展示されているドガの作品は絵画、デッサン、そして彫刻で、「デッサン狂、ドガ」「ダンス」「馬、ダンス、写真」の3つの大きなテーマによる構成となっている。優雅で素早い動きで空間を駆ける馬にも、ダンサーと同様にドガは興味を持ち、多くのデッサンを残しているのだが、ダンサーを描いた作品の数はその比ではない。彼ほどダンス、ダンサーに題材を求めた芸術家は、この時代、他にいなかった。

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会場の壁には絵画、デッサン。そして中央にはさまざまなポーズの小さな像が多数展示されている。

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オルセー美術館が所蔵する『背中を掻くダンサー』は1873年〜1876年頃の作品。ドガはダンスのポーズに限らず、ダンサーたちのこうした動作にも興味を持っていた。Photo © RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Adrien Didierjean

彼がオペラ座に出入りし始めるのは1870年代。1873年に火事で炎上するまでは9区ペルティエ通りの旧オペラ座へ、そして1875年からはガルニエ宮に通っていた。舞台、舞台裏、リハーサルスタジオなどを自由に動き回れていたことが、残された彼の作品の数々から見て取れる。彼はアボネと呼ばれるオペラ座の定期会員のひとりだったのだ。年会費を支払う彼らはオペラ座にとっては上客で、ガルニエ宮ではアレヴィー通り側に彼らのための専用入り口も用意されていた。ここから入った彼らは丸い広間(ロトンド・デ・アボネ)に迎え入れられ、そして階段をあがって劇場へと……。現在でもこの広間はガルニエ宮訪問の際に見学ができる。

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横長のトワルに独特な構図で描いた『階段を上るダンサーたち』(1886〜1890)。Photo © RMN-Grand Palais (Musée d'Orsay) / Stéphane Maréchalle

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稽古場、舞台……ドガがダンサーを描き始めたのは9区のペルティエ通りにあったオペラ座から。この劇場を出た時にナポレオン三世の暗殺未遂事件がおきたため、皇帝は細いペルティエ通りではなく広場に面した新しいオペラ座の建築を希望した。こうして生まれたのが現在のオペラ・ガルニエである。

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ドガが描いたのはフランスのロマンティック・バレエの時代。この時代を含む19世紀終わり頃ロシアではマリウス・プティパが『ライモンダ』『眠れる森の美女』『くるみ割り人』『白鳥の湖』といった作品を精力的に創作した。それらがルドルフ・ヌレエフによって20世紀後半に改定されて、現在古典大作としてパリ・オペラ座で踊られているのだ。

この展覧会で人々を周囲に集めてやまないのは、背で手を結び、頭を上げ、休めのポーズをとるダンサーの彫刻『14歳の小さな踊り子』である。この像は1881年にサロンに出品された際に、大変なスキャンダルとなった。現在世界の複数の都市の美術館で展示されているこの像はブロンズ製だが、ドガがこの時に出品したオリジナルはワックス製。過去に誰も彫刻に使わなかった素材で、しかもサテンの胴着、チュチュを身につけ、タイツとショッソンをはき、髪にはリボンまで結んで……これが彫刻? という作品に対する芸術的な驚きがあり、さらに芸術評論家やサロン来場者たちは像の少女の顔が陰険だ、傲慢な表情だ、犯罪者の典型的顔つきだ、など手厳しかった。ドガのこの仕事の革新性をたたえたのはルノワールなど、ごくひと握りの人。醜いとまで形容されたモデルの顔だが、この時代、ブルジョワは美しく下層階級の人は美しくなくという表現がとられる傾向があったとか。実際のマリーは、この像より美しかったのではないか、という声もある。

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展覧会で人気を集める『14歳の小さな踊り子』像。オリジナルのワックス像から、1921〜31年にブロンズに鋳造された中の一点。グラン・パレで開催された『ゴーギャン』展でドガの『女学生』像(1880年頃)が展示されたが、その像もこの踊り子と同じマリー・ヴァン・ゴッタンがモデルである。

アトリエに残されていたいくつかのワックスの像を友人の彫刻家が修復し、ブロンズで鋳造されるのは作者の死後、1920年代に入ってから。合計20点以上存在するそうでパリのオルセー美術館だけでなく、パリ、ワシントン、ニューヨークなど複数の美術館でこの『14歳の小さな踊り子』像を鑑賞できる。作者のドガと同じくらい有名人ともいえる、この踊り子。モデルを務めたのはマリー・ヴァン・ゴッタン。彼女は8歳の時からドガのアトリエに出入りをし、オペラ座にも短期間在籍していた。そんな事実が明らかになったのは、オルセー美術館がこの像のチュチュの修復をオペラ座のクチュール部門に依頼をしたことがきっかけとなっている。20世紀末のことだ。そして、2003年、マリーの人生をベースに19世紀末のオペラ座が舞台のバレエ『ドガの小さな踊り子』が、当時パリ・オペラ座でメートル・ド・バレエを務めていたパトリス・バールによって創作された。当時のパリ・オペラ座やその時代の女性の職業を知ることができる多数の手がかりを見出せるドガの作品は、このバレエの創作において時代考証の大切な役割を果たしている。

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19世紀後半、貧しい女性たちの多くがついていた職業は洗濯女。彼女たちもドガの興味の対象だった。左は『アイロンかけをする女』(1869年頃)、右は『アイロンかけをする女たち』(1884〜1886年)。

『Degas Danse Dessin 』展
会期:開催中〜2018年2月25日
Musée d’Orsay
1 Rue de la Légion d'Honneur, 75007 Paris
開)9:30〜18:00(木〜21:45)
休)月
料金:12ユーロ

≫ 『14歳の小さな踊り子』像から生まれたバレエ作品。

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ドガの『14歳の小さな踊り子』像からバレエ作品が誕生。

マリー・ヴァン・ゴッタンがパリに生まれたのは1865年。よりよい稼ぎを求めパリにやってきたベルギー人を両親に持つ。記録によると父は仕立て職人、母は洗濯女。マリーは三姉妹の真ん中で、1878年から妹シャルロットとほぼ時期を同じくして、オペラ座のバレエ学校で学び始める。美しい姉アントワネットはすでにその時臨時団員契約のエキストラ的ダンサーだった。ドガが興味をもつのはダンスをする身体、そこに生まれる造形美。3人は揃ってドガのモデルを務めていた。この時代、オペラ座で娘たちを働かせること、芸術家のモデルを務めさせることは親にとって大切な収入源で、夫に先立たれたマリーの母親はその点しっかりと事を進めたようだ。

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バレエ『ドガの小さな踊り子』では、プロローグとエピローグに主人公役のダンサーが像に扮してガラスケースに入って登場する。photo:Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

マリーは15歳のときにオペラ座バレエ団の正式団員となるが、際立った才能がダンスにあったようではない。そして、カドリーユのまま入団2年後の1882年に公演の欠席数が顕著であることを理由に退団させられてしまう。妹のシャルロットはオペラ座でのキャリアを全うし、イヴェット・ショーヴィレのようなその後ダンス界で世界的に名をなすダンサーを指導するといった功績をオペラ座で残しているのだが……。

マリーに何が起きたのだろう。彼女のいた時代のガルニエ宮に行ってみよう。オペラ座のフォワイエ・ド・ラ・ダンスと呼ばれる舞台裏の部屋は、女性ダンサーとの出会いの場として定期会員たちは出入りすることができた。低収入の彼女たちにしてみれば、パトロンをここで見つけられたらとても幸運なこと。裕福な会員たちには、オペラ座のダンサーを妾にもつのはステータスであった。いまのオペラ座からは想像できない、別世界がここにあったのだ。部屋の上方には彼女たちがウォーミングアップする姿を覗き見できるような小さな窓もあったとか……。現在、学校の生徒と団員全員が舞台上を行進するデフィレと呼ばれる恒例イベントの際に、舞台との仕切りが取り払われて、このフォワイエ・ドゥ・ラ・ダンスから行進が始まる。シャンデリアが壁を覆う鏡に光を倍増させるゴーシャスな空間。デフィレの夢の始まりとなるこの部屋に当時の面影はいまや皆無であるが、1930年にセルジュ・リファールが芸術監督に就任するまでフォワイエ・ドゥ・ラ・ダンスにはこうした二重の用途があったのだ。ドガの絵画で、舞台の袖や稽古場に描かれている礼装した黒い服のシルエットの謎がこれで解けるだろう。こんな場所になぜこうした人が? といまの時代には不思議に思うことだが、19世紀末はごく当たり前の光景だったといえる。

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中央はメートル・ド・バレエ、そして後方に見える礼装の男性たちがアボネと呼ばれる定期会員たちだ。現在のオペラ座のリハーサル・スタジオからは考えられない光景。photo:Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

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バーレッスンをする踊り子たち。白いコスチュームに色鮮やかな大きなリボン、首にまいた黒いリボン……まるでドガの絵画が動き出したかのよう。photo:Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

家計を取りしきる母の指図で、マリーと姉アントワネットはオペラ座の舞台で踊る傍ら、盗みや売春を働いていた。風俗的にあまり芳しくないマルティール通りやギュスターヴ・トゥズーズ広場(当時のブレダ広場)といった夜の場所に、マリーもちょくちょく姿を現し、1811年に開店したキャバレーのシャ・ノワール(黒猫)にも出入りしていたようだ。彼女がオペラ座を追い出されたとき、姉アントワネットは盗みの罪でサン・ラザールの女子刑務所に収監されていた。暮らしを支えねばならぬマリーがオペラ座の仕事を失ってから、どのような人生をたどったのかは不明のままである。母親はダンサーのフィッターとしての仕事を得ていたこともあり、死亡の記録によると亡くなった場所はオペラ座……。

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画家(役名は黒服の男)のアトリエでポーズをとる小さな踊り子。photo:Sébastien Mathé/Opéra national de Paris

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母の影がつねに踊り子につきまとう。photo:Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

パトリス・バールはバレエ『ドガの小さな踊り子』を創作するにあたり、マリーだけでなくヴァン・ゴッタン3姉妹の物語をベースにした。バレエはドガの『14歳の小さな踊り子』像のポーズをとる主人公で幕をあけ、そして幕を閉じる、2時間弱の2幕からなる作品だ。母親に付き添われてやってきたバレエの稽古場で、エトワールの踊る姿に憧れの眼差しを向ける小さな踊り子。彼女は稽古の合間に彫刻家のモデルを務め、舞台で踊り……。母親に連れて行かれたキャバレー黒猫で、アボネの財布を盗んだ結果、刑務所へ入れられてしまう。牢獄で母親の幻影に悩まされる一方、彼女が夢見るのはエトワールの踊る姿。しかし、彼女の現実はオペラ座からはもはや遠く離れたものとなっている。洗濯女となった出所後、彼女は白いシーツの中でバレエ・マスターとエトワールの姿を追い求めるという悲哀に満ちたシーンで物語は終わる。

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洗濯女たち。踊り子の転落の人生とコントラストをなすような、眩しいほどの白い光に満ちた舞台。photo:Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

19世紀のパリ・オペラ座の光溢れる舞台とその裏で繰り広げられる暗い世界。ドガの絵画で見かけるようにメートル・ド・バレエは修正棒を持ち、ダンサーたちは首に黒いリボンを巻き、ダンサーの母親たちは娘が稽古をする間スタジオの隅で編み物をし、先に語ったように舞台の袖に礼装の男性が立ち……といった光景が、バレエの中に生かされている。この作品はDVD化されているが、いつか再び舞台で見ることができるだろうか……。

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3〜4名のダンサーのグループをドガはよく描いた。これはバレエ作品中、ドガの絵画をもっとも彷彿とさせるシーン。photo:ICARE/Opéra national de Paris

大村真理子 Mariko Omura
madameFIGARO.jpコントリビューティングエディター
東京の出版社で女性誌の編集に携わった後、1990年に渡仏。フリーエディターとして活動した後、「フィガロジャポン」パリ支局長を務める。主な著書は「とっておきパリ左岸ガイド」(玉村豊男氏と共著/中央公論社)、「パリ・オペラ座バレエ物語」(CCCメディアハウス)。

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