室内建築家って? たとえばクロエ・ネーグル。

PARIS DECO

メゾン・ラビッシュの新しいブティック

マレのヴィエイユ・タンプル通りに、Maison Labiche(メゾン・ラビッシュ)のブティックが引越しをした。通りに面した横長のブティックで、メルスリー(小間物屋)のようにカラフルな糸を巻いたボビンが並んでいる。明るい色に心を引っ張られてブティックに入ると、「わあ、フレッシュ!」と声に出してしまいそうになるほど、店内は快適な空間だ。その秘密は壁の淡いブルー! 太陽が射し込む日は、なんだか海中に入ったような気がするし、曇りの日にはブティックの中で晴天気分が味わえる。

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カラフルな糸が並ぶ横長のウィンドウ。

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エントランスのすぐのスペースは、プレタポルテのコーナー。

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店内はブルーの空間。ここで使われているブルーのペイントは、クロエ・ネーグルが以前に内装を手がけたオテル・ビヤンヴニュの幾つかの客室で使用しているブルーだ。photos:Hervé Goluza

目下赤丸急上昇中の人気の室内建築家、クロエ・ネーグルがインテリアを担当した。彼女はメゾン・ラビッシュの創業者のひとりであるマリーと親しく、ポワトー通りの小さな1号店も彼女が手がけたものだ。淡いブルーは、この店ですでに使用済みの色である。

「新しい店ではミシンを置いて、パーソナライズを提案し、そしてストックを置けるスペースが必要で……というように、説明があったの。さらに、メインアイテムであるTシャツをたたんで並べる大きな書棚がどうしても欲しい!って」

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地下への降り口を隠す大きなカウンター。丸みのある家具がブルーによく似合っている。天井を支える柱は移動できず。それらを店内に流れを生み出す要素としてクロエは店内設計をした。

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店の一番奥にTシャツを並べた棚が壁一面を埋める。

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メゾン・ラビッシュといったら、刺繍!photos:Hervé Goluza

クライアントの希望をいかに実現するか。これがクロエの腕の見せどころである。でもここは柱が妙なところに立った横に長いスペース。右端の入り口から入った客を、書棚をつくる左の奥まで来させるにはどうするのがいいだろうか。これはクロエにとって難題だったが、はめ込み壁を作ることで解決した。店に入り左手をみてみよう。あのアーチ型の壁の向こうには何があるのか、と誘われるはずだ。

彼らが必要とするストックのためのスペースは地下にとれる。これはいいのだが、地下に下りるための床の揚戸が巨大、という問題が待っていた。

「メルスリー(小間物屋)のアイデアは、彼らから出たものよ。ブランドのDNAは何と言っても刺繍、そしてサヴォワール・フェール。それで、小さい時から縫い物に情熱を燃やしてるマリーが“私の大好きな場所を見せるわ!”って、サンティエの問屋街に連れて行ってくれことがあるの。古い家具やカラフルな糸ボビン……。最初のブティックでもムードボード的にこのメルスリーのイメージを取り入れたのよ」

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手仕事を感じさせる小物屋のイメージ。

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刺繍のオーダーを受け付けるカウンター。

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胸元の刺繍は、50年代の寄宿舎の制服のイメージだという。photos:Hervé Goluza

Maison Labiche
105, rue Vieille du Temple
75003 Paris
営)11:00〜19:30(日 〜19:00)
無休

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独立前に舞い込んだ初仕事。パトリツィオのオフィス

クロエが室内建築家になろう!と思ったのは、9〜10歳ぐらいととても早い時期だという。彼女の両親が自宅のあるオルレアンで中世の古い家を修復し、それと同時にコルシカ島に家を建築し、クロエはその工程を興味深く眺めていた。そして両親に「私、室内建築家になりたい!」と宣言したそうだ。彼女の決心を両親はしっかりと受け止め、そのためのベストの学校を探しだした。そして、クロエはニッシム・ド・カモンド校に2000年に入学し、5年間学んだ。彼女が卒業する頃、下の学級には室内建築家を目指す生徒が大勢にふくれあがっていたそうで、最近のこの職業に対する人気を物語っている。

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クロエ・ネーグル。©Hervé Goluza

卒業後、大規模な改装を行っていたプランタン・デパートで、工事現場のオーガナイズに携わる仕事を得た。

「仕事はクリエイティブじゃなかったけれど、ブランドのイメージを場所との関係を理解するとか、学べたことは多かったわ。もっと創作的な仕事をしたいので、2年くらいで辞めて……。でも、ちょうど経済危機の時期だったので、辞めたものの仕事がなかなか見つけられずにいたの。上海にあるアメリカの建築事務所で働いている学校時代の友達に会いにいったら、すぐにそこで2つの仕事を請け負うことになったのよ。ちょうど上海万博があって、世界じゅうから人が集まってきていて、素晴らしい経験ができました」

この後、国際的な活躍で知られる室内装飾家インディア・マーダヴィのオフィスでクロエは働き始める。というのも、彼女の上海での仕事にインディアが興味をもったからだ。

「インディアは何かを発明する女性。それで彼女の仕事が好きなんです。彼女のクリエイティビティ、たえまないリサーチ……彼女と一緒に働いて、たくさんのことを知ることができました。個人宅やらホテルやら、スタッフ10名一緒に信じられないようなプロジェクトに関って、素晴らしい時を過ごしました」

ある時、クリエーティブ・ディレクターのパトリツィオ・ミッチェリのオフィスで働く友人から、彼が新しいオフィスに移るから、とクロエに声をかけてきた。これが、彼女が独立するきっかけとなるのだ。

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クロエが手がけたオフィスでポーズをとるパトリツィオ・ミッチェリ。photo:Romain Ricard

「パトリツィオと会って話をしたものの、まだインディアのところにいた私は、その仕事を引き受けるには早すぎる、って断って、知り合いを彼に紹介したの。そうしたら彼から連絡があり、紹介された人は最高だ。でも、僕には君が必要!と口説かれました。いつかは自分のスタジオを構えようという気持ちがあったので、その時に心を決めたんです。独立の時がきたんだわ、と。インディアのところでの仕事を終えつつ、パトリツィオのオフィスにとりかかりました。2014年だったかしら……」

彼の新しいオフィスというのは2フロアあり、合計200平米くらいの広さ。クロエに彼が希望したのは、高級ブランドの仕事をする予定がある彼にとって、彼らしさが感じられ、そこに来るのを人が喜ぶ場所であること。いずれ、トマトソースのブランド(注:アルデンテ)を始めるので、キッチンがあり、そしてディナーもオーガナイズできる場所も必要、ということだった。

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カラフルなダイニングスペース。ライトやパームツリーに二人の遊び心が感じられる。

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キッチン。アルデンテのスパゲッティソースは彼の出身地ローマで製造される。

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オフィススペース。

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クッションにはワックス布を使用。photos:Romain Ricard

「色に対する興味は彼と私の共通点。彼は何も恐れない人で、それゆえに仕事はとても上手く進みました。妙な扉があって、2スペースに分割されている空間。邪魔な要素によって思うようにできない場所でしたが、こういった厄介な拘束的な要素があると解決策を強いられるので、信じられないようなことができたりするんですね。それにパトリツィオは仕事がら、すごくクリエイティブな発想の持ち主。それで、思いがけないほどのことができました」

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どこもかしこもカラフルに。

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ディスコまで! photos:Romain Ricard

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9区のオテル・ビヤンヴニュは初めて手がけたホテル。

パトリツィオのオフィスの仕事を介して、クロエは後にエージェントとなるジュリー・ルヴューズと知り合った。そのジュリーからある日SOSが!

「新しいアパートに移ったのだけど、ナス色の壁でひどいのよ。助けて!って。それでアパート内部を作りなおし、家具も作って……」

これに際して、彼女はとりわけジュリーの夫のアドリアン・グローガンとインテリアについて多くを話し合う機会となった。

「この家での“厄介”な点。それは、アドリアンが世界のインテリア事情に通じていて、彼自身にもアイデアがたっぷりあるということ。それで、彼が見たことのないことを提案する必要があったの(笑)。しばらくして、彼から見せたい場所があるんだけど、と……」

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ホテルの入り口のガラスの扉。奥に中庭があるのが通りすがりの人にも見える。photos Hervé Goluza

これがいまホテルだけでなくレストランも人気のオテル・ビヤンヴニュの始まりである。若き実業家アドリアンは10区のオテル・パラディ、9区のオテル・パナシュのオーナーで、今をときめくデザイナー、ドロテ・メリクゾンに彼女初のホテルの仕事となるオテル・パラディを手がけさせた人物である。

「場所を見て、彼のアソシエートに会いました。そして、“さあ、3カ月後に工事をスタートし、1年後にオープンだ”と言われたんですよ。彼の自宅の仕事をしたので、彼のホテル経営についての考え方や仕事の進め方についてわかっていたので、恐れることなく、OK!と承諾しました」

建物のボリューム、中庭、そしてその奥にある小さな一軒家を見て、すぐにメゾン・ドゥ・ファミーユ(家族の家)というアイデアを発展させたい、と直感的に思ったそうだ。アドリアンとジュリーも、彼女のアイデアが気にいった。

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床を描いたのはジュリアン・コロンビア。この中庭をホテルの2つの建物がサンドイッチしている。

「それで、ではオープンキッチンにして、お菓子作りの教室も開いて、といったようにストーリーができていって……。本館は都会のメゾン・ドゥ・ファミーユで、中庭の家は田舎のメゾン・ドゥ・ファミーユ、というアイデアで進めました。都会の方はブルジョワ家庭のイメージ。天井に装飾刳形が施され、木の床がある19世紀の建物なので、少しエレガントな要素をプラスすればいいだけ。もともとの“ハコ”が良かったんですね。田舎のメゾン・ドゥ・ファミーユのほうは花柄のカーテンをかけて……」

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狭い空間に穏やかな雰囲気を醸し出す淡いペイントを単色使用した。

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本館の部屋は都会のメゾン・ドゥ・ファミーユのイメージで作られた。

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中庭の奥の小さな建物内の部屋は、田舎のメゾン・ドゥ・ファミーユのイメージで、花柄を使用した。photos:Hervé Goluza

単なるインテリアデザイナーと違って、室内建築家は図面の仕事がベースである。このホテルにおいて、クロエがその才能を多いに発揮したのは地上階だ。ホテルの入り口から中を覗くと、通路の奥に明るい中庭があるのが見える。ここはもともとホテルだったのだが、地上階には朝食室、客室、トイレなどがあり、通りからは全く中が見えない作りとなっていた。

「それで入り口から中庭にかけてのまっすぐな通路を、メゾン・ドゥ・ファミーユのアイデアと共に提案したの。だってもったいないでしょう、外部の人がこの中庭を利用できないのは。でも、実現のためには客室をなくす必要があった。ホテルの経営者には客室が少しでも多い方がうれしいのだけど、アドリアンはその分をレストランで稼げばいいのだ!という計算をしました。この決断をしたことに、きっと彼は満足してると思うわ」

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朝食室。昼と夜はレストランとして使用される。photos:Hervé Goluza

ホテル、レストランの家具については2タイプ。彼女がデザインしたものと、蚤の市などで掘り出した古い品だ。このホテルで最も印象的な家具は、エントランスから中庭への通路に置かれた、籐のソファだろう。

「これ、一番最初に掘り出した品。だから、ホテルが完成するまで1年間倉庫で待機してたんですよ。メゾン・ドゥ・ファミーユっていろいろな時代の品がミックスされてるのが普通でしょう。ちょっと悪趣味だけど、年老いた親戚のおばさんから譲り受けたから好き、とか……。こうしたものが、その場所に魂を添えて、居心地良くインテリアができんだと思う。私、パーフェクトなトータルルックは好きじゃない。これについてはアドリアンも同意見でした」

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このホテルのために一番最初にクロエが見つけたのが、通路に置かれた藤のソファだ。photo:Hervé Goluza

客室内の家具はすべて彼女のデザインによる。壁の照明器具、ベッドのヘッドボード、サイドテーブル……。

「どんなに部屋が小さくても、ホテルで不可欠なのはデスクと衣類などの収納場所。そこで思いついたのは、ベッドサイドテーブルをデスクと兼用にすることでした。こうすれば家具がひとつ減らせて、スペースが確保できるでしょう。こういった厄介な拘束的要素のおかげで、解決方法を見つけるために素晴らしいアイデアが生まれる。単に美しいというだけでなく、問題に取り組んで美的に機能する新しいアイデアを探るのが好き。私の個性ですね。壁の色を単色にして落ち着きを感じられるようにしたのも、狭さへの解決策でした。先日義母がパリに来た機会に、このホテルに泊まってみたのよ。快適だったわ。自分にはあまり寛大になれない私だけど、ここでの仕事に後悔はありません」

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家具はすべてクロエによるこのホテルのためのデザイン。photos:Hervé Goluza

Hotel Bienvenue
23, rue Buffault
75009 Paris
https://hotelbienvenue.fr/ja

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次の仕事は、パリのセレブ女性行きつけのヘアサロン

パリのカンボン通りの近くに、Delphine Courteille(デルフィーヌ・クルテイユ)のヘアサロンがある。イネス・ドゥ・ラ・フレサンジュ、ジャンヌ・ダマスを始めとするモード界の著名人、そしてビューティエディターなどおしゃれなパリジェンヌたちが信頼を置くヘアアーティストがデルフィーヌだ。ソフィア・コッポラのような“時々”パリジェンヌも、そんな一人。彼女の新しいサロンの仕事が、クロエに任された。

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丸い鏡をデザイン。サロン内、直線より曲線が多く用いられ、グラフィックだが優しさを感じさせる空間だ。

「デルフィーヌから、この新しいサロンにピンク色とテラゾが欲しい、という希望がありました。もちろん、それを叶え、さらにほかの要素も盛り込んでいますよ。これまで手がけた場所に比べて、ヘアサロンでは機能という点がとても重要ですね。それでカットする人の立つ場所、椅子、シャンプー台など、床にこうした要素をすべて描いて、何度も何度も試してみました。それに動線も。ちょっとパズルのような作業でしたね。デルフィーヌは客のことも、スタッフの働きやすさにもすごく気を使っていて……。カット、カラーリングなどのゾーン分けがうまくいって、人の往来もうまく流れるせいか、完成後にスタッフと話したときに、“すごく快適に働ける”って言ってもらえたのは、うれしかったですね。写真ではこうしたことは見えないことですけど」

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ピンク色と淡いグリーンのソフトな世界。床に使われたテラゾはデルフィーヌが希望した素材である。

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少しだけ壁紙を使用。クロエにしては珍しい。

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ヘアカット用の椅子以外、この場所のために家具も自分でデザインした。photos:Hervé Goluza

ヘアサロンの仕事では、もうひとつ重要なことがあった。照明だ。クロエはデルフィーヌと照明担当者と現場で多くをやりとりし、たくさんのことを学んだという。鏡の前に座る客が美しく見えるように、ヘアカラーの色が正しく見えるように、客の後ろ側で作業をするカラリストが髪に影をつくらないように、と。家具もすべて彼女がデザインし、ソフトでフェミニンな雰囲気のサロンが完成した。

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客が美しく見え、テクニシャンが仕事をしやすい照明を追求。イベントの照明の仕事をしているパートナーがクロエにアドバイスをくれたそうだ。photo:Hervé Goluza

「この後の仕事が、メゾン・ラビッシュのブティックでした。ここも快適な店だ 、感じがよいので買い物をしたくなる、といった反応があって……。どこの場所においても、中で人がどう移動するのかを考えて図面の仕事に時間をかけるせいでしょうね。独立以降やってきたように、ホテル、ブティック、ヘアサロンというように、手がける場所のジャンルが変わるのが好き。実はずっと花屋さんから声がかかるのを待ってるのだけど……その願いはまだ実現できてないの。同じことの繰り返しでは楽しめないので、魚屋や肉屋といった食料関係もやってみたい」

いまは南仏の個人宅の仕事をしているというクロエ。彼女がどんな家を手がけるのか、見ることができないのが残念だ。花屋さんの夢が叶うのを祈ろう。きっと、見たことのないようなパリで一番素敵な花の店となるに違いない。

Delphine Courteille
28, rue du Mont-Thabor
75001 Paris
tel:01 47 03 35 35
www.delphinecourteille.com
大村真理子 Mariko Omura
madameFIGARO.jpコントリビューティングエディター
東京の出版社で女性誌の編集に携わった後、1990年に渡仏。フリーエディターとして活動した後、「フィガロジャポン」パリ支局長を務める。主な著書は「とっておきパリ左岸ガイド」(玉村豊男氏と共著/中央公論社)、「パリ・オペラ座バレエ物語」(CCCメディアハウス)。

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