

メゾンの魅力を語るうえで欠かせないのが、
その象徴ともいえるアイコンたち。
第9回はハリー・ウィンストンから、
ブランドのオリジンを受け継ぐ
「リリークラスター」のお話。
「キング・オブ・ダイヤモンド」との異名を持つハリー・ウィンストン。その生涯で彼は、さまざまな伝説の宝石を追い求め、その魅力を世界中の人々に伝えることに心血を注いだ。「幼い頃から私は宝石に魅了されてきました。私は宝石の知識を身につけて生まれてきたに違いありません」と自身でも語っているハリーは、1896年にニューヨークで宝石商の息子として生まれる。幼い頃から、美しい宝石に囲まれて育った彼が12歳の時、質屋で目を奪われ、25セントで手に入れた石が、実は価値の高いエメラルドであり、後日、800ドルで売れたという逸話も。15歳で父親の宝石店で働き始めたハリーは、1920年にNYでプレミア・ダイヤモンド社を立ち上げる。そんな彼がいち早く着目したのがエステート・ジュエリーと呼ばれる未来に受け継ぐ価値のあるヴィンテージの宝飾品だった。その類いまれなる鋭い審美眼を武器に貴重なジュエリーを次々と手に入れた彼は、時代の寵児となる。そして、オークションで入手した時代遅れのデザインのジュエリーから宝石自体を取り外し、輝きや美しさが増すように新たにカットをし直して、よりモダンなものに生まれ変わらせたのだ。ハイジュエリー業界のリーダーへと駆け上がったハリーは32年、自らの名を冠したブランドを新たに立ち上げた。その煌めく宝石たちに彩られたブランドの物語は現在進行形だ。ヨンカーやホープ・ダイヤモンドなど、最高峰の宝石の買収にも成功し、そのキャリアにおいて世界的に有名で貴重なダイヤモンドの3分の1以上を所有していたといわれている。そんな彼は、展示会でそれらのジュエリーを披露し、収益金を寄付するなどの慈善事業にも積極的に取り組んだ。さらには58年、あの有名なホープ・ダイヤモンドを「世界への贈り物」としてワシントンD.C.にあるスミソニアン博物館に寄贈したというから驚く。
自然の輝きがデザインを決める。
革新的なビジネスを展開し、スター御用達のジュエラーとしても名を馳せたハリー・ウィンストンは、またデザインの領域でも業界を牽引するトップランナーだった。「個々のダイヤモンドが持っている自然な輝きこそが、ジュエリーのデザインを決定づける」という信念のもと、「クラスター」と呼ばれるハリー・ウィンストンを代表するセッティング技法を考案。さまざまなカットを施したダイヤモンドを立体的に組み合わせ、繊細なプラチナのワイヤーでセットすることで、生き生きとした動きを演出し、個々のダイヤモンドの輝きを最大限に引き出すことに成功した。優美なユリの花をイメージした「リリークラスター」にも、その哲学は息づく。プラチナ、イエローゴールドの2色に加え、新色のローズゴールドも仲間入り。アーカイブに眠っていた40年代のデザインがいまのムードを纏い、モダンに蘇る。