今生のための必然から完成した、椎名林檎の『三毒史』:【後編】
Music Sketch
デビュー記念日となる5月27日、5年ぶりのオリジナル・フルアルバム『三毒史』をリリースした椎名林檎。前編に続き、完成までの道のりをたっぷり語るインタビューをお届けする。
ソロ活動や東京事変での活動で、常に時代を牽引してきた椎名林檎。
■日本で生まれ育った私にとって、今生は修行の場。
――1曲目「鶏と蛇と豚」とラストの曲「あの世の門」が、このアルバムの中でも肝となる曲だと思います。まず1曲目にお経を入れようと思った理由を教えて下さい。
S:アルバム中、その2曲だけはニュートラルなもので、私は器楽の序曲と終曲のつもりで書いています。つまり「獣ゆく細道」から「目抜き通り」までが唄入りの本編です。1曲目で“むかーしむかしのことじゃったー(市原悦子の声色で)”と舞台背景を奏でているわけです。「鶏と蛇と豚」では、ひとつの命の誕生を描写しているに過ぎません。赤ちゃんは四六時中泣いて欲しがって、飲み過ぎて吐いて、不快感にまた怒って……の繰り返しですからね。お経については、大昔から我々の苦しみを滅するために身近にあった有り難い真言として敷かせていただいています。しかし苦しみの元である煩悩は、我々が生まれた瞬間から備わっているもので、その強さといったらお経を掻き消してしまうほどだ、と。
――お経を搔き消してしまう?
S:あの、実際に、管弦楽器やスクラッチが掻き消していますよね。そのために敢えてけたたましく書いたんです。唄っぽい素材も入っていますが、基本的にはインストの序曲で、いわゆる唄モノではありません。「真言VS煩悩」の模様を描いただけのトラックなんですけど……お経が突飛に聴こえましたか。
――全然。子どもの頃から聞き慣れていたからかもしれません。
S:よかったです。
――シェイクスピアの『ハムレット』やダンテの『神曲』もそうですけど、カトリックだと天国と地獄の間に煉獄がありますよね。煉獄で、自分の中にある神とは異質なものを清められたら天国へ行けるんです。それで「これは絶対、煉獄のアルバムだな」って思って、天国に行くか地獄に行くかという彷徨う間にこのアルバムを聴いて、どちらかに辿り着いていくのかなと、勝手に盛り上がっていました(笑)。ちょうどシェイクスピアの舞台を観たからかもしれませんが。
S:(笑)。光栄です。日本で生まれ育ったわたしにとって、今生は修行の場ですから、この世自体、煉獄みたいなものなんじゃないかしら。
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■ブルガリアの由緒ある女性聖歌隊も参加して。
――エピローグとなる「あの世の門」は、どういう思いでブルガリアまでヴァーニャ・モネヴァ・クワイアという由緒ある女性聖歌隊のレコーディングに行かれたのかなと。何か清めたいから、とか?
S:全然。軽はずみな気持ちからでした。あっ! 16年のリオオリパラ・TOKYO2020へのハンドオーバーセレモニーの制作時、なるべく国内のゴシップまみれのオリパライメージを清めたくて、確かに彼らへお願いしたいとは考えました(笑)。原則的に「君が代」へは触れてはならないと言われており、プレゼンテーションに大変苦労したんですが、とにかく彼ら特有のピッチ感や新たなハーモニーにより、国内の気分をポジティブに変えられると信じていた。ただとんちんかんなことに、当時私は国粋主義者とのレッテルを貼られているようだったので、国歌を直に取り扱うとなると……また何かケチつけられるでしょうよ。
――確かに……。
S:そこで、よくヴァーニャたちと制作なさっている三宅純先生へ、ブルガリアンヴォイスをイメージしている旨を伝え、「君が代」リハーモナイズの相談をしたんです。録音時は、私もブルガリアへ赴く予定でいたんですが、トランジットする国で土壇場にストがあり、結局たどり着けず。かろうじて渋谷区からスカイプで参加しました。その際、ヴァーニャたちへ「近々何か書いて伺うからよろしくね」と伝えていたのを今回、有言実行したのです。そして「あの世の門」では文字通り、ひとつの命の消滅を描いています。
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■世間様の声を読み漁っている自分の中で、警報が鳴る。
――資料に、「このアルバムは商売云々抜きにした一個人として遺すべき記録と自覚して取り組んだ」とありますが、それについても聞きたくて。
S:これを説明できたらどんなにいいだろう。自分でもよくわからないんです。ローテーションで順番に担当する使命みたいな……。ほかに、誰がバトンを渡されているのか、私には知らされていなくて、ただ、自分の番が来たらわかるって感じの……。
――そういう気持ちが降りてくるということ?
S:いや、実際には世間様のほうが詳しくご存じで、どなたかが耳打ちしてくれて初めて私も知るというような感覚です。「獣ゆく細道」も、オーダーを伺う限り、番組が求めているものは「ありあまる富」のようなものだったと思うんですけど、「何しろ私に当番が回って来ているいまは、そっちの任務を先んじて完了せざるを得ない」みたいな。別に天の声が聞こえるとかいうスピリチュアルな話ではなくて、日々世間様の声を読み漁っている自分の中で警報が鳴るという感じだと思います。いま思えば。誰かが何かの形で発信せねばならないけど、自分の経験値と研究歴でなければ的確な答えにならない……気がするだけかも(笑)。
――個人としてではなくて、椎名林檎というアーティストとして、いまこのアルバムを遺したいっていうこと?
S:いいえ。むしろ名前は邪魔です。幼少期から音楽や舞踊の教育を受けて来たことについて、私自身はいつも無頓着で無自覚に過ごしていて……だけど強烈に意識させられる機会があるわけです。ここ数年の間にも幾度かあって、言語化するなら「子どもの頃叩き込まれた最も古いメソッドだけを用いて、その代わり大人になったレンズを通して書きなさい」という難題なの。同じ教育を受けて同じ経験を経ている人であれば誰でも作るであろうサンプルを、無償で提供するミッション……という感じです。
――なるほど。
S:JASRACへ曲を登録するのに初めて「林檎」と思い付きでサインした高校生時分、マジで何でもよかったし、「一体なぜ自分が作曲などせねばならないのか」「小さなうちから叩き込まれたからだ」という自問自答を経て無理矢理納得したことにして来てしまっていて。なんか、職業とも人生とも乖離したところにある責務として請け負っているような感覚が未だに付いて回っているんだと思う。
昨年開催された「林檎博’18」の模様。衣装の多くはアレッサンドロ・ミケーレが手がけるグッチのもの。photo:Yoshiharu Ota
――話を聞いていると、そういうところに尽くさないといけないとか、奉仕の精神もあるような気がする。
S:うーん……出自(手術が成功しなければ生後数日で死んでいた)に関係しているかもしれないですね。別に奇形で生まれなくてもそういう子は一定数いると思うんですけど、小学校でまったく発言しなかった期間、「本来はここにいるはずじゃない」という感覚で黙っていたのをよく憶えていて、初めからこの世での在り方、今生での態度が決まってしまっているんだと思う。結局は、当番のことも、それと関係があるんだろうなと、いま初めて思い至りました。
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■無駄に武装する必要のない、制作に集中できる年齢に。
――なるほど、そう思うとわかる気がします。では、これからどんな40代を迎えたいですか?
S:もうずっと憧れていた年齢というか、自分がいちばん似合う年代だと思うんですよ。そもそも身体的にも精神的にも、ここまで無事来られるかどうか、我ながら危うく感じるところもありましたし。なつみさんにも、「早く40になりたい」と当時お話したかもしれません。
―ーそうですね。
S:「等身大ぶる」んじゃなくて、本当に等身大のまま制作できるというのはストレスフリーです。アー写やジャケ写で値踏みされる苦痛からも、完全に解放されていますし。
――ですよね。
S:私たちみたいな商売は著者近影が出てしまう限りそれを避けるのはちょっと難しい。ずいぶん無駄に武装してきたと思います。私は、一曲一曲シビアに聴いていただきたいと思っていたから、私の素顔だとかパーソナリティをあまり印象付けたくなかったんです。できることなら毎回私を忘れてほしかった。「天才」などと安易に甘やかすことなく、毎度最新作を厳しい耳で聴いていただきたい一心でした。でもそんなことすらいまはどうでもいい。本編の制作だけに集中できる年齢になったっていうのはこの上なく楽です。この先は、ただ無駄なものがなくなっていくだけの道程だと信じています。
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■煩悩とどう付き合い、その毒をどう分け合うかが、人生。
――ところで、「急がば回れ」はブリットポップの頃のブラーを思い出しました。曲調もそうですが、歌詞がとてもシニカルだし、さらに英語のタイトルが「Victims」というところで笑えるなと。
S:うれしいです。そう感じてくださって、ありがたい。確かに90’sのアートスクール出身のギターポップとか……。主に、スウェードなどをイメージしていました。
――今回はみんながクスッと笑えるようなポイントがたくさん入っていて、それもみんなに聞かれやすいアルバムの要素になると思っています。
S:あぁそうか、今回、詞曲自体が込み入ってないかもしれないですね、ストレートというか。
――これまでの作品もすごく好きでしたが、ひとりで聴きたい曲が多くて。でも今回はみんなでパーっと聴けるというか。
S:ほんとですか? うれしいな。自分は「NIPPON」などが入っている前作『日出処』の方がそうかと思ってました。
――前の方が歌に力が入っているんですよね。
S:うんうん、気合いが入っていたから。
――今回の方が曲のスキルもそうですが、余裕があるというか、歌い方もスーッと入って来やすくて。
S:なるほどね。そうか、抜け感があるということか。
昨年開催された「林檎博’18」の模様。椎名自ら構想し、世界観を視覚化していくステージ・パフォーマンス。幅広い年齢層のファンを惹きつけている要因のひとつだ。photo:Yoshiharu Ota
――最後に、『三毒史』には、愛や孤独、正義だったり、儚さだったり、いろいろなものが歌われていますけど、椎名林檎さんにとって人生ってどういうものでしょうか?
S:私自身の人生は、今日お話してきたようにぼんやり当番制のものですが、人様の人生を考えるうえで、やはり分解してみると残る素数は三毒という気がします。厄介な煩悩とどう付き合うか、そのものが人生だな、と。そのとき他者とどう関わるか、はたまた関わらないか。
――そうですね。
S:私はコンビニに救われることが多いんです。顔の見えない相手を思って頑張って書こうとするも行き詰まり、セブンイレブンで買った期間限定のお惣菜が美味しくて、泣けて、スッキリしたりとか、そうやって(人生が)回ってるじゃないですか。結局、その毒をどうやって分け合うかが、人生そのものだと思います。
――椎名さん自身もこのアルバムで少しは浄化できたところはありますか?
S:これをリアリティのあるお揃いのものとして認識してくれる人がいたら、私もすごく救われるんだろうなと思っています。
6枚目のオリジナルアルバム『三毒史』
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*To Be Continued