「同じ夢を思い描いたふたりを、映画にしたかった」是枝裕和監督がヴェネツィアで語った、映画『ルックバック』の製作秘話。
藤本タツキの同名漫画を、是枝裕和監督が実写映画化した『ルックバック』。漫画を描くことを通して出会った藤野と京本、ふたりの少女の13年間を描く物語だ。
第83回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門に選出された本作は、秋田県にかほ市を中心に約1年半をかけて撮影。四季の移ろいの中で成長する少女たちを、35mmフィルムの映像と、久野遥子によるロトスコープ(実写映像をトレースして作画するアニメーション技法)を交えて描き出した。 ヴェネツィアで是枝監督に聞いたのは、彼自身と漫画との関係、手で描くことへの思い、そして実写映画の中にアニメーションを取り入れた理由など、『ルックバック』という作品の製作の道のりを辿る。
「何かに一生懸命になっている子どもの背中というのは、なんでこんなに尊いんだろう」
――藤本タツキさんの『ルックバック』との出合いは、コロナ禍だったそうですね。
漫画が出版されてすぐ、2021年くらいです。当時はコロナで映画の制作がすべて止まってしまって、立ち止まらざるを得ない状況でした。世界が非常事態に陥った時に、自分が関わっている映画というものにどんな意味や価値があるんだろう、と考えざるを得なかった。
そんな時にこの作品に出合って、覚悟を問われたような、背中を押されたような気がしました。もう一度映画を作ってみようという強い気持ちが、自分の中に蘇ってきたんです。 だから藤本さんにお会いした時、最初に「こんな漫画を作っていただいてありがとうございます」とお礼を伝えました。その感謝を自分の仕事で形にするのであれば、僕は映画監督なので、映画にしよう、と。そういう流れでした。
――監督ご自身は、漫画とはどのように付き合ってきたのでしょう。
子どもの頃は普通に読んでいましたよ。手塚治虫、ちばてつやの世代ですから。最初にはまったのは『あしたのジョー』。漫画のほうです。それから手塚さんの『ブラック・ジャック』。 小学校6年生くらいの時に『ドラえもん』の連載が始まって、そこからそれなりにはまった感じかな。大学に行き始めた頃には、高橋留美子さん、高野文子さん、大島弓子さんとか、女性漫画家がいわゆる「少女漫画」とは少し違う漫画を描いていて。高野文子さんの短篇集を読んだあたりから、女性漫画も読むようになりました。10代の終わりですね。
――公式会見では、かつて日本でも「漫画ばかり読んでいるとダメな大人になる」と言われていた、と話していました。
そうですね。でも、僕自身は漫画と出合いながら大人になっていますから。いまは多くの人が、文学を読むのと同じような感覚で漫画を読んでいるんじゃないかな。ここ10年、15年、20年くらいで、その価値観はずいぶん変わったと思います。
――『ルックバック』では、何かを作る少女たちの姿そのものが、とても美しく撮られています。

今回の子どもたちを撮りながら「何かに一生懸命になっている子どもの背中というのは、なんでこんなに尊いんだろう、美しいんだろう」と思っていました。現場にいる大人たちも、みんなそういう気持ちで彼女たちを取り囲んでいたと思います。尊いものとして撮っていた、という意識は強かったですね。
「私の夢はふたりが描いた漫画をアニメにすることなんだ」
――特に印象的なのが、漫画を描く「音」です。ペン先の音が、ふたりの成長とともに変わっていく。
それはいちばん最初から考えていました。まだ映画を撮ると覚悟を決める前に、藤本さんに会いに吉祥寺へ行った時、ベテランのアシスタントさんが描く線の音がかっこいい、という話が出たんです。「シャッ」という、迷いのない音がすごく心地いいんですよね、と。それを聞いた時に、ちょっとピンときた。映画の中でも、最初はためらいながら弱々しい音を立てていたペンが、やがて迷いなく力強い音になり、ふたつの音が重なって、最後にはデジタルへ変化していく。ふたりの成長を、言葉ではなく音でも表現できると思いました。
――あの音は、実際にふたりが描いている音なのですか?
あまり言いたくないんですが(笑)別録りもしています。本物のプロの方に来ていただいて。芝居を撮りながらでは、あの音はきちんと録れないので、音だけを別に録って嵌めているカットもあります。僕が描いても、あんな音は絶対出ないですよ(笑)。

――藤野と京本が絵を描くときのペンの音を聞いて、2008年にベネチアのコンペ部門で『崖の上のポニョ』が上映された際、宮崎駿監督が手描きの力について語っていたことを思い出しました。『ルックバック』では、手描きからデジタルへ移っていく過程も描かれますが、その両者の関係をどう考えましたか? 物語の中でも、手描きだった漫画制作がやがてデジタルへ移行していきます。監督自身は、手で描くこととデジタルとの関係をどう考えましたか?
デジタルを否定したくはなかったんです。プロになっていけば、あれだけの線を全部ひとりで手描きすることは、もう不可能になっていく。その中でどう折り合いをつけるか。藤野の中にも、京本的なものと藤野的なもの、その両方があると思うんです。その両方を引き受けていくことが、プロになるということなのかな、と考えました。
――映画自体にも、実写とアニメーションという異なる表現が共存しています。久野遥子さんによるロトスコープによるアニメを取り入れたのはなぜでしょう。
初期の原稿の段階には「私の夢はふたりが描いた漫画をアニメにすることなんだ」という藤野の言葉があったんです。出版された漫画では省かれていたんですけど、そのひと言を読んだ時に、「ああ、なるほど。この言葉があったから、こういう展開なんだ」と、すごく腑に落ちた。 藤野と京本は別々の道を歩いていくけれど、同じ夢を思い描いていた。それを映画の中で観せたいと思ったんです。
「漫画が生まれるプロセスを、映画を作りながら学びました」
――ロトスコープの部分は、まず実写で撮影したものですね。
そう。僕が簡単な画コンテを描いて久乃さんに仕上げていただき、現場にも来ていただいて、元になる実写を撮りました。たとえば海で泳いでいるところは、体育館に滑車付きの跳び箱をふたつ用意して、ふたりに腹這いになってもらって(笑)。ふたりとも泳げないので、スタッフが跳び箱を動かして泳いでいるように撮ったり。本当に手作業なんですよ。僕もどうやって作られるのか全然知らなかったので、おもしろかったですね。
――あのアニメーションには、ふたりが実際に過ごした時間と、あり得たかもしれない時間が同時に存在しているようにも感じます。
そうですね。ふたりが過去を共有していると同時に、未来も共有している、という意識がありました。藤野の中で、ふたりがもう一度出会ったのかもしれない。それは架空の設定だと思いますけど、自分たちが過ごしてきた時間そのものがアニメーションになっていく。そういう描き方をしたかったんです。
――実写部分では、秋田の四季が非常に大きな役割を果たしています。
最初に映画化を考えた時から、藤本さんの出身地である秋田県にかほ市で、4つの季節、つまり4種類の光を撮りたいと企画書に書いていました。その4種類の光の中で、ふたり――演じる俳優としては4人ですが――の成長を捉えていきたいと思った。色というより、光の変化ですね。それをフィルムで撮って、作品の中に閉じ込める。本当に贅沢に時間を使わせてもらいました。

――実際、撮影は予定より長くなったそうですね。
楽しかったからでしょうね(笑)。一度クランクアップして花束まで渡したのに、もう一回、冬と春を撮らせてもらいました。最初の撮影で偶然、とてもきれいな白鳥が撮れたんです。脚本にあったわけではなかったんですけど、あまりに素晴らしかったので、それをどう生かすか考えて脚本を書き直しました。それから撮影に行くたびに白鳥を探すことになって。大変だったのは僕ではなく、スタッフですけど(笑)。
――原作の藤野は、感情表現がかなり激しいキャラクターです。実写では少し抑えていますね。
たとえば田んぼの真ん中でひとりで「絶対許せない」と叫ぶところがありますよね。あれを実写でそのままやると、かなりコミカルになってしまう。直接的に心情を表すような演出は、極力抑えないといけないと思いました。その変更が藤野の性格に影響したと思います。漫画的な表現を実写であえてやる方法もあるし、僕もそういう映画は好きです。でも今回は、それをやりたいわけではなかった。
――その意味では、原作をそのまま再現するのではなく、漫画を実写映画の身体へと置き換えていったということですか?

そうですね。原作ものとオリジナルでは、そこまでのアプローチや、プロットを作って構成していく過程はかなり違います。でも、現場に立って俳優を動かし始めれば変わらない。誰が書いたものであっても、演出家としての自分は変わらないです。今回、漫画がどういうプロセスで出来上がっていくのか、僕自身も映画を作りながら学びました。描くことも変化していくし、時代とともにその方法も変わっていく。その変化を、藤野と京本というふたりの成長を通して描けたことは、この映画を作った大きな意味のひとつだったと思っています。
『ルックバック』
●監督・脚本・編集/是枝裕和
●原作/藤本タツキ『ルックバック』(集英社ジャンプコミックス 刊)
●出演/出口夏希、蒔田彩珠、七瀬ふうり、岡田六花、野呂佳代、池田良、佐々木みゆ、山田真歩、宮藤官九郎、菅田将暉 ほか
●2026年、日本映画 ●99分
●配給/K2 Pictures
●全国で公開中
©︎藤本タツキ/集英社 ©︎2026 K2 Pictures・集英社
https://k2pic.com/film/lb/
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- interview & text: Atsuko Tatsuta