愛を物語る、『ファントム・スレッド』の衣裳たち。
インタビュー
第90回アカデミー賞で作品賞、衣装賞など6部門にノミネートされた『ファントム・スレッド』。米国の若き巨匠ポール・トーマス・アンダーソンが1950年代のロンドンのオートクチュール界を舞台に描いたラブストーリーである。
本作で俳優業の引退を表明しているダニエル・デイ=ルイス(右)が天才的なクチュリエ、レイノルズ・ウッドコックを演じる。彼のミューズとなるアルマ役は、ルクセンブルク出身の新星ヴィッキー・クリープス(左)。
成功したクチュールデザイナー、レイノルズ・ウッドコック(ダニエル・デイ=ルイス)は、レストランのウェイトレス、アルマ(ヴィッキー・クリープス)と出会い、彼女に“理想の女性”を見いだす。
彼のミューズとなり、「ハウス・オブ・ウッドコック」の女主人となったアルマだが、完璧主義の仕事人であるレイノルズに不満を持ち、やがて恐ろしい計画を思いつく……。ゴシック・ロマンスといってもいいこの愛憎劇のもうひとりの主役ともいえる衣装を手がけたのは、『アーティスト』(2011年)に続き、この作品で2度目のアカデミー賞衣装デザイン賞を受賞したマーク・ブリッジスである。この作品のために1950年代のデザインを研究し、50点もの衣装を作り上げたというブリッジスに話を聞いた。
マーク・ブリッジスの手がけた美しいドレスの数々も本作の見どころのひとつ。
−—50年代のロンドンのオートクチュール界が舞台なだけに、この映画では、いうまでもなく衣装はとても重要な存在です。アンダーソン監督とはどのような話し合いをしたのでしょうか。
「監督とは、レイノルズはどんなクチュリエであるのかを話し合った。それから、それぞれのドレスで何を伝えたいか、どれほどドレスが大事か、ということを話したね。コンセプトというより、ふたりともヴィジュアル的な人間なので、実際に何かを見て話すことが多かった。写真を見たりドレスを見たり、記事に触れたりして話しながら、現実的な形でファションも決めていったんだ。といっても話し合いは話し合いに過ぎず、衣装デザイナーの仕事は、そこからスタートするんだけど」
−−具体的にリサーチはどのようにしたのですか?
「55年のロンドンのカルチャーやクチュール界を研究したんだ。パリのオートクチュール界とはどのように違うのか。どんなクチュリエがいたのか。マーク・ショーやリチャード・アヴェドンなどの写真や、あるいは当時のUK版「ヴォーグ」のそういった写真を見たり。また、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館に行って当時のドレスがどんなふうに作られているのかを研究したりもしたよ。アンダーソン監督が脚本を執筆中に参考にしたクリストバル・バレンシアガをはじめとするデザイナーたちのことをリサーチしたりもした。もちろん、いろいろな映画も観たね」
「ハウス・オブ・ウッドコック」で、レイノルズの指示のもとに美しいドレスを作り続ける女性たち。
——参考にしたデザイナーとは、具体的には?
「ディオールとか、パリのメゾンでどんなものがつくられていたかも見たけれど、主に英国のデザイナーをリサーチしたんだ。ハーディ・エイミス、ジョン・カヴァナー、ノーマン・ハートネル、マイケル・ドネラン、リッピン・ノートンとか。これらの英国デザイナーは、王室関係など上流階級の人のための“オケージョン・ドレッシング”といわれる服作りなんだ」
−−“オケージョン・ドレッシング”とはどのようなタイプのファッションなのでしょうか?
「国で主催するレセプションやほかの国を訪問するときに着る服などを指して、僕は“オケージョン・ドレッシング”と言っているんだ。当時のロンドンの上流階級は、どちらかというと礼節を重んじた、実用性のある服が求められた。たとえば、オーソドックスな昼でも夜でも着られるようなツイードのドレスとか。
フランスのオートクチュール界では、カッティングも実験的だったし、ある種の官能性や人を惹き付けるような魅力が大事だった。より自由だったんだね。けれど、当時のイギリスは実用性を重んじたんだ」
アルマは「ハウス・オブ・ウッドコック」のファッションショーも堂々とこなす。
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ダニエル・デイ=ルイスと、ロンドンのサヴィル・ロウを巡る。
ダニエル・デイ=ルイスは本作の構想段階からアンダーソン監督とともにオートクチュールのリサーチを行い、レイノルズ・ウッドコックの人物像を作り上げていったという。
——ロンドンといえば、サヴィル・ロウの仕立屋街が有名ですが、レイノルズの服もそこで仕立てられたものでしょうか?
「レイノルズが着ているものは、すべてサヴィル・ロウのアンダーソン&シェパードで仕立てているものだ。スーツ、ディナー用のスーツ、タキシード、ツイードのコートすべてね。靴もロイヤル・アーケードにあるジョン・クレバリーで作った。当時、レイノルズがどこで服を用意するかといえば、サヴィル・ロウ以外になかったはずらからね。
ダニエル(デイ=ルイス)と一緒にジャーマイン通りなどのさまざまなショップを一緒に回ったのは、最高の体験だったよ。当時、レイノルズだったら、こうやって仕立てただろうなと思うことを、ダニエルと一緒に体験することができたんだ」
レイノルズは別荘に行く途中で立ち寄ったレストランで、ウェイトレスのアルマに出会う。
——映画における衣装は単なるファッション以上に意味を持ちます。この映画では、主人公のアルマの心情や立場によってドレスも変化していきますね。
「アルマは、漁師の娘だから、最初の頃は、服は家で手作りしたものが多かった。そして上着は、誰かが着たもののおさがりだろうし、手袋は、姉妹から譲り受けたもの。レイノルズと出会った頃のアルマの衣装は、彼女の出自がわかるような衣装にしているんだ。彼に出会って、一緒に住むようになり、ハウスの服を身に着けるようになる。彼のミューズになると彼女は、佇まいも変わってくる。より身体的になってくるというか、自分のためにレイノルズに服を作ってもらえるという誇りが感じられるようになる。
さらに、メゾンの顔という立場になり、結婚をし、家の女主人になっていく。それが彼女にとってどういうことなのか、その変化を服で見せているんだ。変化の瞬間を、色、生地、レースの使い方、ラインなどで非常に控えめに表現している。なので、観ている方は変化に気づかないほど些細な変化だけれども、気持ちの上で彼女が歩んでいる方向がわかるようなデザインにしたつもりだ」
別荘の仕立て部屋で、アルマの採寸を行うレイノルズ。
——印象的だったモーブのアンティーク・レースガウンは、たとえば彼女のどんなところを表現しようとしていたのでしょうか。
「モーブのドレスは、映画の中でもいわれているように、レイノルズが第二次世界大戦中に見つけたレースを特別な誰かに出会うまでにずっととっておいたものを使っているドレスだ。レースは17世紀の貴重なものだけど、それにはさみを入れる覚悟を持てるだけの女性に出会えたということだ。デザインでいえば、レイノルズのデザイナーとしての特徴が現れているスタイルでもある。トレーンをひく、伝統的なシルエットだけれど、これは彼がこの後、時代遅れになっていくであろうということが伺えるデザインなんだ」
——アルマの個性をいちばん表現しているのはどれですか?
「僕としては、最初のデートのドレスかなと思う。ボディの形やスカートの形にフレッシュさが感じられて、レイノルズ的にはモダンでいちばん前を向いている。それはアルマがレイノルズにもたらしているものだ。アルマに出会ってから彼女がロンドンに来るまで、レイノルズはずっとこのドレスを作っていた。ある意味、このドレスはアルマへのラブレターなんだよ」
モーブのドレスを纏うアルマ。マーク・ブリッジスとアンダーソン監督は、ハウス・オブ・ウッドコックの特徴を「深くてリッチな色合いと、ふんだんなレース、生地にはベルベットとサテンを多用したスタイル」と結論づけたという。
アメリカ・ニューヨーク州出身。伝説的衣裳デザイナーのバーバラ・マテーラが設立した会社で働いた後にニューヨーク大学大学院ティッシュ・スクール・オブ・ジ・アーツでコスチュームデザインの美術学博士号を取得。『ハードエイト』(96年)を皮切りに本作を含むポール・トーマス・アンダーソン監督の長編全8本の衣裳デザインを手がける。ミシェル・アザナヴィシウス監督『アーティスト』(11年)でアカデミー賞、BAFTA(英国アカデミー賞)、ピープルズ・チョイス・アワードの衣裳デザイン賞を受賞。
●監督・脚本/ポール・トーマス・アンダーソン
●2017 年、アメリカ映画
●130 分
●配給/ビターズ・エンド/パルコ
© 2017 Phantom Thread, LLC All Rights Reserved
2018年5月26日(土)より、シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMA、新宿武蔵野館 ほか全国にて公開。
http://www.phantomthread.jp
interview et texte : ATSUKO TATSUTA