犬山紙子がいま思うこと

【犬山紙子】私はなぜ2次元に恋をするのか?

犬山紙子がいま思うこと

文・犬山紙子

……いやいや私レベルが「オタク」を名乗って良いものかと一瞬思ったけど、1日のうち結構な時間2次元のキャラクターのことを考えてしまうし(気がついたら考察が始まっているんです……)なんなら仕事するためにiPad Proを開いてるのに無意識で推しを書いてしまっている……ので、オタクだともう言って良い気がする。

小6で『幽 遊 白書』の飛影に出会ってから2次元に恋をするようになり、37歳現在、結婚しようが親になろうがそれは変わらなかった。2次元に恋をしたことがない人からするときっと「なぜ生きていない相手に? 絶対実らないのに?」と不思議に思われると思う。しかしながら趣味なんてものは、はたから見ると大体は不思議なもので。険しい山を登るのだって、酒を飲むのだって、燻製作るのだって、楽器弾くのだってギャラもでないけどやるんですよね。理解されやすい、されにくいの違いはあれどわかる人にはわかる良さがあり、わからない人にはやはり「何故?」となるものだ。超インドアの私がバーベキューの良さを一切理解できないのと同じで……。

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photo : KAMIKO INUYAMA

と言ってしまうとこの原稿はここで終わりになってしまうのでもうちょっと詳しく考えてみる。

……自分なりの宗教なんだと思う。
※もちろんこれは「私の場合」で全ての2次元好きに当てはまるものじゃない

2次元の推しは妄想の余白があり、その余白部分に自己を思いっきりぶつけることができる。これを生身の人間にやってしまうと非常に危ないけれど、相手は生きていないので傷つける心配もない。(生身の相手にだって自己をぶつけ、愛することはあるし、おかしいことではない。それを相手に押し付けない限り自由だ。しかしアイドルに自分の理想を押し付けるようなリプライを飛ばしているファンを見ると「それは違うだろ」と思ってしまう)だから思う存分偶像を作り崇めることができる。そして、辛い時に自分を傷つけない聖域として逃避先にもなる。もう誰かを傷つけてしまう可能性から逃げたいという気持ちも強い。

宗教と言っても教えがあるわけではない。どちらかというと偶像を通して行う自分との対話だ。そして海のようにどんな欲も吸い取り、醜い感情を懺悔して、包み込んでくれる。

また、同じ推しを推すもの同士でコミュニケーションを取りはじめる。周りにいなかったら探すし、探してもいなければ友人に推しを布教しだす。布教は暴走しがちで、わかってくれそうな人に出会うと「全巻送るから」と送りつけてしまう……。

そして、推しへの素晴らしい解釈を生み出す人のことを「神」と呼び、神に感謝を伝え、健康をマジで祈る。信者同士で神を讃え、これからも解釈を頂戴したいと期待する。更には推しのイベントへ出向き、沢山のファンの中に溶け込んだ時に、何か大きな生命の一部になったような奇妙な多幸感に襲われる。

これは社会心理学者のジョナサン・ハイトが言う「ミツバチスイッチ」のようなものだと思う。そのスイッチが入ると個から全体に溶け込む快感、自己が拡大したような、宇宙とつながったような奇妙な感覚に陥るそう。大自然の中で自分を小さく感じたり、ドラッグを使用したり、レイブで踊り狂ったり、合唱したり、宗教や政治集会への参加などでそれは感じられるそうだけど、まさにそれだ。

(ちなみに私はハロプロ好きでもあるのだけど、道重さゆみさんの卒業コンサートでもこれを強く感じた。自分がナウシカを乗せる王蟲の金色のヒゲの一部になったかのようだった。そこで王蟲側もあれは幸せな瞬間だったんだと初めてわかった)

今考えれば初めて2次元にハマったのは休みなく2年間、中学受験の勉強をやらされていた時だった。ストレスフルで、友人と公園で遊ぶなどは夢のまた夢。小6の夏に飛影にハマってからは勉強もだいぶ手を抜くようになり成績はガタ落ちしたけど、明らかに心が楽になっていたと思う。

出版社で徹夜続きの時はテニプリにハマった。3ヶ月で13キロ太った時だ。跡部様に心を救ってもらっていたのだ。

母の介護で苦しい時は某アイドルにハマった。彼のブログを毎日読むのが本当に楽しみだった。

フリーで働き始め、人から攻撃されたり、卵巣嚢腫が発覚して「死にてえ」と思っていた時にはハロプロにハマった。

自分のコメントや書いたことでとてつもない数の賛否にまみれ、自分の責任を激しく自分で問い、自尊心が激しく消耗した去年、ヒプマイにハマった。

しんどくなった時に聖域を自ら作り出し、逃避して、薬のように元気を貰う、そういう流れを無意識に小学生の時に作り上げたんだと思う、これはなかなかの知恵だと思う。趣味はこうやって聖域としての機能を持つんじゃないだろうか、相手が悪徳でなければこんなにいいものはない。
だからこそ「悪徳かどうか?」に対しては敏感でいる。そのコンテンツがどういう商売の仕方をしているのかというところ。公式にお布施をしたい。高額な商品があっても見合う価値があれば良い。でも、愛する信者たちから妥当ではない金額をむしり取るやり方には異を唱える。破滅に追い込まない線引きはコンテンツ側が悪徳にならないためにも必須のことだとも思う。

自分なりの分析はこんなところでしょうか。私は2次元やアイドルに救われてきたんですが、推しを推している時は本当に生き生きとするし、何かを讃える行為はとてもポジティブなので、それが跳ね返って自分の状態もポジティブにしてくれるんですよ。命のないものを推すことは虚無に見えて実は虚無なんかじゃちっともないんですね。ありがとう、推し。

犬山紙子

イラストレーター、エッセイスト。1981年、大阪府生まれ。2011年『負け美女 ルックスが仇になる』(マガジンハウス刊)にてデビュー。

日本テレビの「スッキリ」をはじめ、コメンテーターとしても活躍。2017年に1月に長女を出産。

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