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クランベリーズのドロレス・オリオーダン、早すぎる死を悼んで

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昨日いつもより遅めに目が覚めて、ベッドに横になりながらiPhoneをいじっていたら、ドロレス・オリオーダンが急死したというニュースが目に飛び込んできた。クランベリーズのヴォーカリストとして世界的に名を馳せたドロレス。享年46歳。「リンガー」や「ドリームス」といった曲での歌声は音楽ファンでなくても聞き覚えあるはずだ。

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ドロレス・オリオーダン。1971年9月6日アイルランド共和国リムリック生まれ。2018年1月15日死去。これは2007年当時の写真。

レコーディングのために滞在していたロンドンのホテルでの急死だったという。少しググると、2014年に機内でキャビンアテンダントに暴行をはたらいたこと、その直後に双極性障害と診断されたと書かれていた。当時のIrish Mirror紙の記事にあったドロレスの母親の話によれば、ドロレスは夫との関係がうまくいっていなくて、不眠症のようだったという。2013年にドロレスはひとり故郷アイルランドへ戻り、20年間連れ添った夫とは翌2014年に離婚、子どもたちは夫と一緒に暮らすことを選んだ。以前取材した時に「子どもは4人」と話していたのに、今は多くの記事が子ども3人と記しているのも気になった。音楽活動に関してはソロ活動の他に、クランベリーズとしては2009年夏に活動を再開し、2012年にはアルバム『ローゼズ』を発表、また元スミスのメンバーが結成したD.A.R.K.に2014年から参加していた。今もさまざまな動きのあった時だけにとても残念だ。

■宗教戦争を歌った「ゾンビ」の大ヒットが転機に

クランベリーズの存在を知ったのは、アイルランドにあるU2のウィンドミルレーンスタジオを訪ねた時に、エンジニアから「この新人バンド、いいんだよね」と聴かされた時だった。1992年にシングル「ドリームス」でデビューした時はイギリスでは火がつかなかったものの、幾つかのバンドの北米ツアーに同行するうちにデビューアルバム『ドリームス - Everybody Else Is Doing It, So Why Can't We?』からの次のシングル「リンガー」がMTVでヘヴィーローテーションされるなどして話題となり、その後「ドリームス」も続けて世界的大ヒットに。特に後者は映画や日本でもCMに多数使われて、今でも耳にすることが多い。アイルランドを代表する世界的人気バンドは当時U2のみだったが、アイルランドの南西にある第3の都市リムリック出身のクランベリーズはあっという間にU2に次ぐ人気バンドとなった。

「ドリームス」

何しろドロレスの歌唱力は群を抜いていた。天使のような歌声と称されるほどの美声を誇るが、その声には芯の強さも表れていた。ゆえにインパクト絶大だったのだ。転機は2作目のアルバム『ノー・ニード・トゥ・アーギュ』(94年)に収録された「ゾンビ」。メンバーとの共作ではなくドロレスひとりで書いたこの歌は、IRAの爆弾のために死んだ母子を嘆いた内容で、宗教問題による戦争を取り上げたメッセージ性の強い歌詞にヘヴィなサウンド、絞り出すような声に翻る裏声を効果的に使ったヴォーカルで、全米などで第1位を飾る。しかもアルバムは最終的には世界で1500万枚を超すセールスという大記録を達成した。

「ゾンビ」

そこからは異常なほどの人気となり、私が偶然ニューヨークに滞在していた時にセントラル・パークでフリー・ライヴをやっていたり、1995年9月にボスニア紛争に巻き込まれた子どもたちを救うためのチャリティ・イベント「パヴァロッティ&フレンズ~フォー・ザ・チルドレン・オブ・ザ・ボスニア」を見に行った時には大御所たちの共演者の中にドロレスはひとりで招かれ、パヴァロッティと「アヴェ・マリア」等を歌ったり、海外で偶然ライヴに出逢う機会が少なくないほど、あらゆるイベントにも出演するような激忙状態が続いていた。

当時のドロレスはライヴの途中でアイリッシュ・ダンスを披露することが常だったが、その動きの激しさは彼女の気性の激しさを想起させた。そして髪を真っ赤なベリーショートに変え、メディアに煽られるように政治的なコメントを発表するようになると、過激な女性シンガーというイメージをもたれ、叩かれるようになっていった。後にドロレスに当時のことを聞いてみたところ、「『ゾンビ』のヒット以降、私たちは有名なんだから大きなテーマを歌わないといけない気持ちになっていたの」と義務感から音楽活動や発言をしていたと話していた。

■デュラン・デュランのマネージャーとの結婚、そして母に

ドン・バートンとの結婚も当然ながら転機となった。彼は人気が再燃したデュラン・デュランのマネージャーで、93年に全米ツアーを一緒に行なった時に知り合い、94年7月に結婚。ドンはクランベリーズのマネージャーに変わり、公私共にドロレスの一番の理解者となった。しかし当時の彼はやり手の印象が強く、来日中に突然「ドロレスが乗馬をしたいから、準備をしてほしい」と言い出すなど、“ドロレスはわがまま”という印象を増長させていたような気がしていた。実際の彼らはというと、ノエル(Gt)とマイク(Ba)のホーガン兄弟もファーガル・ロウワー(Dr)も素朴な青年そのもので、ドロレスも彼らと一緒の時はリラックスしていたが、か細い身体が象徴するように他人を緊張させるような神経質さは否めなかった。

「リンガー」

世間の目に晒されながら過密スケジュールを消化する中、96年のツアー中にドロレスが倒れてからは、バンドは休みをうまく取りながら音楽活動とプライベートを充実させていったように思える。2年間活動を休止した後の『ベリー・ザ・ハチェット』(99年)ではスタッフも一新し、ドロレスの声やハーモニーに輝きが増している。休息と出産がもたらした幸せにより、その頃に会ったドロレスは髪を伸ばし、どこかピリピリした雰囲気は薄れ、穏やかな表情になっていたのを憶えている。

5作目『ウェイク・アップ・アンド・スメル・ザ・コーヒー』(01年)では家族や身近な人に向けての愛の大切さを歌い、また子どもの将来を案ずるがゆえに、大気汚染をはじめとする地球の環境問題や社会問題等を歌にした。自分自身を見つめた歌もある。表題曲は「人生を作り上げる、そして自覚すること」をテーマにし、シングルカットされた「アナライズ」はドロレス自身に語り掛けた歌で、「考え過ぎると心配し過ぎて幸せになれないし、自分らしくなることこそが素晴らしいことだと思っているの。私は円の上にいて、(指で差しながら)ここから出発して、ここで傷つき、ここで恐怖を感じ、そして元に戻ってきて人として成長できたのだと思っている」と話していた。

■ソロアルバムを発表し、自分自身を見つめ直していく

ベスト盤『スターズ』を発売後、バンドは長期の休暇に入り、ドロレスは癌にかかった義母が少しでも長く家族と一緒に過ごせるようにと、夫の故郷カナダへ。そして、35歳で4児の母親(当時2歳と6歳の娘に、9歳と15歳の息子)になったドロレスは初ソロアルバム『アー・ユー・リスニング?』を発表する。その時話していた言葉が実に彼女らしい。

「『オクトーバー』はクランベリーズから離れる決意をした、変化の時期に書いたの。この曲は自分にとってのターニングポイント。自分の信念は貫き通すべきよ。夢や野心のためにはあれこれ中傷してくる人達の言うことでいちいちくじけていてはだめ。先へ進んでいくのよ」

「『アクセプト・シングス』は自分自身、そして自分の身のまわりのことや周囲の人たちのことをそのまま受け入れる、という曲。誰だって人生の中で歳を重ねることによって丸くなっていくものよ(笑)。20代は誰もが自分探しをしている時期だと思う。10年前の自分は何でもわかっているつもりでいた。でも今の自分は何にもわかっていないと思うようになったし、そんなに簡単でも単純でもわかりやすくもないということを学んだわ」

37歳の時に発表した『ノー・バゲッジ』では、「人生は本当に旅だし、完璧なんてものはない。困難を受け入れることがいかに重要かわかってきたし、不安も人生の一部として受け入れるべきだということも分かった。インスピレーションに事欠くことはないわ」。そして「アルバムを聴く人に安らぎを感じてもらいたい。そして私の曲に共感してもらえることを願っているわ。いつだって希望はあるということに気づいてもらうことが鍵なの。きっとそうなると思っているわ」と話していた。

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フィガロジャポン 2007年5月20日号に掲載した記事

その後の2012年に発表したクランベリーズの『ローゼズ』の歌詞は全曲をドロレスが手掛けているが、この時の歌詞は今読み直すと、夫や家族のことを案ずることが多かったのだろう、とても悩ましい言葉が並んでいる。このアルバムのライナーノーツにも書いたけれど、ドロレスは歌詞を書く際に 「人生を観察し考え続けること」「自分の人生そのものと、自分自身が人生のどこにいるのかということ」を常に意識しているという。まさにそういう内容の歌ばかりだ。

■多くのミュージシャンからも愛された美しい歌声

根はとても真面目で誠実で、それゆえに取材時でも一気に喋り倒してくる時があるかと思うと、言葉を選びすぎてしばらく黙り込んでしまうこともあった。とはいえ、自分の音楽について取材されることを毎回喜んでくれて、いつも優しかった印象がある。意志が強くエキセントリックだったドロレスは、歌うことで自分の中のバランスを取り、浄化してきたのだろう。夫の母親を看病し、最期を看取り、また子育ても頑張ってきたからこそ、思うことは多々あり、完璧主義であろうとする分、自分を責め続けてきたのかもしれない。でもこれ以上の憶測はできないし、したくない。

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人気のあまりアメリカで1994年に再リリースされた「ドリームス」と97年に発売されたインタビューCDシリーズの1つ。

U2や一番懇意にしていたプロデューサーのスティーヴン・ストリートをはじめ、R.E.M.、デュラン・デュラン、ビリー・コーガン(スマッシング・パンプキンズ)、ガービッジ、リズ・フェア、ミシェル・ブランチ、クエストラヴ、ディプロ、フォスター・ザ・ピープルなど、多くのミュージシャンが哀悼の意を表している。

物怖じしない、信念を貫き通す強い個性があったからこそ、透明感と意志に溢れた歌声で人々の心を震わせ、インパクトを残してきたのだと思う。ドロレス自身も、それはわかっていた。

「この声をみんなと分かち合うことが自分の義務だと思っている。私の曲によって何かを乗り越えることができたという手紙を、よくもらうの。私にはそういう才能があって、それを効果的に使えるというのは嬉しいわ」

神様はドロレスを苦悩から解放したかったのだろうか。もうドロレスの声から新たな歌が聴けなくなるのは本当に悲しい。でも彼女の歌声は、私たちファンの心にいつまでも棲み続けるはずだ。

2017年に発表したアコースティック・アルバム『Something Else』

 

*To Be Continued

伊藤なつみ

音楽&映画ジャーナリスト/編集者
これまで『フィガロジャポン』やモード誌などで取材、対談、原稿執筆、書籍の編集を担当。CD解説原稿や、選曲・番組構成、イベントや音楽プロデュースなども。また、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、ビョーク、レディオヘッドはじめ、国内外のアーティストに多数取材。日本ポピュラー音楽学会会員。
ブログ:MUSIC DIARY 24/7
連載:Music Sketch
Twitter:@natsumiitoh

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