Music Sketch

当時のマネージャーが語る『甦る三大テノール 永遠の歌声』。

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今から30年ほど前、1990年にイタリアで開催されたW杯の前夜祭で、ローマにある歴史的建造物カラカラ浴場で開催された『三大テノール』。ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラス、そして指揮者にズービン・メータを迎えたこの一大イベントは大成功を博し、その後も、94年、98年、2002年とW杯の開催に欠かせないイベントとして公演が行われた。この『甦る三大テノール 永遠の歌声』は、その世紀の競演を企画段階から収めたドキュメンタリー映画である。


白血病を克服したカレーラスのために、好敵手同士であったパヴァロッティとドミンゴが協力し、実現したコンサートだったが、その後は一大ビジネスと化し、ワールドツアーを行うほどのオペラブームとなって世界を席巻した。今回、この三大テノールの発案者でありマネージャーであったマリオ・ドラディと貴重なZOOMインタビューが実現したので、出演者の当時の印象などを聞いてみた。

210105_A.jpgマリオ・ドラディ。最初にローマで開催された、三大テノールの発案者。

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音楽の素晴らしさや、三大テノールの魅力を感じ取ってほしい。

――三大テノールが映画になることを知り、どう思いました? 資料を提供したほか、監督や脚本家との交流の中で、意見を出すこともあったのでしょうか?

マリオ・ドラディ(以下D):自分が行ったことに関して話してくれる映画なので、とても満足しています。監督と脚本家に会う機会があったので、ひとつだけお願いをしました。それはコンサートが実現するまで、このプロジェクトに本当に関わった人に取材してくださいということです。大きなイベントが完成すると、「自分がやったんだよ」いう人が大勢出てきます。私が企画者ですけど、私だけではなく、このような大きなプロジェクトを作り上げる時はものすごい苦労があるので、その時に実際に関わった人に話させてほしかったんです。

b.jpg大成功を収めたカラカラ浴場、野外でのオペラコンサート。(写真左から)プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラス、ルチアーノ・パヴァロッティ。

――この映画で特に気に入っているシーンはどれですか?

D:最初から最後まで全部(笑)。僕にとって、当時に戻ったような気持ちにさせてくれる映画ですからね。映画の1分1分が、30年前の自分という、まだ若くて力もあって、その当時に生きていた自分を甦らせてくれたわけですから、私にとってはこの映画が4時間あっても全然問題はなかったです。

――では、ここまで赤裸々にするのか!と、驚いたシーンはありますか?

D:言ってはいけないことは、確かにたくさん語られていましたね(笑)。本当にあの頃はすごいことがたくさん起こったので。でも30年前のことですから、いまは美しかったこと、印象的だったこと、良かったことをみなさんに覚えておいてもらいたい。音楽がどのように素晴らしかったか、彼らがどのように魅力的だったか、そういうことをこの映画から感じ取ってもらえたらうれしいです。

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ズービン・メータのようにまっすぐな人はほかにいない。

――映画の中ではパヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラス、そして指揮者のズービン・メータの音楽的な魅力は語られているので、ここでは4人の人間的な魅力をそれぞれ教えてください。

D:4人のうち、いちばんよく知らなかったのがパヴァロッティ。彼には彼のマネージャーがいて、マネージャー経由で仕事をしたので、彼の人間性についても詳しく話すことはできないですね。ドミンゴはプロフェッショナルであることに人生のすべてを捧げていて、音楽や歌、指揮といったことに常に自分を集中させている。彼とはとても親しくさせてもらって、この画面に映っている私の家にも何度も遊びに来てもらいました。でも、カレーラスとの間にあったような親しい関係にはなれなかったですね。ドミンゴの頭の中は99%プロとしての考えだけでできているので、彼との間に人間関係を築くには、ある程度の限界がありました。

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最初の顔合わせは、1989年12月5日にローマの高級ホテルハスラーローマで。当初パヴァロッティとドミンゴとの間には緊張感が漂っていたが、歌い始めたらすぐに打ち解けたそう。

――では、ホセ・カレーラスとズービン・メータとはどうでしょう?

D:私が非常によく知っていたのがそのふたりです。カレーラスは3大テノールのコンサートをやる何年も前からの知り合いで、僕を音楽の世界に連れてきた人。バルセロナに呼んでくれて、何の経験もなかったところから彼の下ですべてを勉強し、彼のマネージャーだったカルロス・カバリエと一緒にいまの仕事を始めました。日本にも一緒に行っていますよ。だから音楽界でいちばん自分に近い人というのはカレーラスで間違いないし、いちばん深い友情を持った関係です。

――ズービン・メータはどのような人なのでしょう?

D:98年、この企画が始まった時に初めて彼と会いました。ズービン・メータのようにまっすぐで正直な人には会ったことはありません。それは音楽界に限らず、人間としてそうなんです。

210105_D.jpg写真左から、スペイン出身のドミンゴ、インド出身のズービン・メータ、イタリア出身のパヴァロッティ、スペイン出身のカレーラス。

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――何か人柄がわかるようなエピソードはありますか?

D:3大テノールの4年後、サラエボが戦争中だった時に、サラエボでモーツァルトのレクイエムの慈善コンサートをしようと僕が企画した時の話をしよう。ミュンヘンにいたズービンに電話をして、「モーツァルトのレクイエムをやりたいんだ」と話したら、「いつ?」と聞くので、「1カ月後だ」と言ったら、「何を考えているんだ、僕がどんなに忙しいのか知らないのか?」と、自分のスケジュールを言い出した。で、「どこでやるの?」と聞いてきたので、「サラエボだ」と言ったら、「えっ」と10秒間沈黙した後、「どうやってサラエボへ行くの?」って聞いてきた。これがまさに彼の性格を表していると思うよ。結局彼はギャラなしでOKしてくれて、ホセ・カレーラスもルッジェーロ・ライモンディ(バス/バリトン)も、チェチーリア・ガスディア(ソプラノ)、イルディコ・コムロージ(メゾソプラノ)もみんな慈善のコンサートということでギャラなしで出演しました。危険も顧みず、戦地でも行ってくれたんです。

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貧しい家に生まれたが、音楽やオペラが人生を豊かにしてくれた。

――素晴らしいですね。映画でも、ズービン・メータがいたからこそ、この3人が競演できたのでは、と思えるシーンがいくつもありました。ところで、映画の中で、サッカーもオペラも人生にたとえられていますが、ドラディさんはもしサッカーとオペラがお好きだったら、それぞれどこに人生を感じますか?

D:(笑)。これは私がした比較ではないし、そもそも、サッカーと人生とオペラって全然違うものだと思う(笑)。仕事でたくさん旅行をしたというのが、私の人生です。自分の人生について語らせてもらうと、とても貧しい家に生まれて、14歳で仕事を始めて、学校にも行っていない。でも、私に音楽、オペラがとても多くのものをもたらしてくれて、人生を豊かにしてくれたことは確かなので、幸せだったなぁと思います。

210105_E.jpg競演回数が増えるにつれて、和気藹々となる3人。パヴァロッティが存命だったら、いまも競演が続いていたに違いない。

――いま思いついた曲でいいので、自分に合う好きなオペラの楽曲はありますか?

D:難しすぎる質問ですね。その日の気持ちによるので。人生の間にオペラを知ることができ、そのオペラの中にもいろいろな人生があると思うんですけど、オペラのここが自分の人生と重なるとは言えないし、そういうふうに比べるものなのかなと自分では思ってしまうので。もちろん、どのオペラも好きで観て夢中になります。そうですね、このシーンは感動的だなぁと思うのはもちろんあって、『ラ・ボエーム』のミミの死とか『シラノ・ド・ベルジュラック』の最期とか、『蝶々夫人』の最期とかありますけど、ひとつ選ぶというのは難しいかと思います。

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現場のすべてに気持ちが行き届くよう、すべて自分で決めてきた。

――アメリカで開催された「3大テノール」はご覧になりましたか?

D:最初のコンサート以外では、1カ所だけ例外でモンテカルロに行きましたが、それ以外はまったく同行しませんでした。3大テノールでは、ウィーンのクリスマスコンサートを企画しましたが、パヴァロッティのマネージャーは僕が顔を出すと嫌がるということがわかっていたので、コンサート当日はTVで観ていました。もちろん彼に対して嫌な感情はないですし、うまくいかないようにと思ったりするようなことはなく、これも成功してローマの時のような感動をみんなに届けていればいいなぁと思っていました。ただ、自分はその中には入っていかなかったですね。

関連記事:パヴァロッティの魅力満載、オペラと愛にあふれた至福の映画。

――それぞれ中心になって仕切る人物がいるので、その場を気持ちよく成功させるためには気遣う部分もあるでしょうね。カラカラ浴場でのコンサートの2年後に開催されたウィーンのクリスマスコンサートも話題を呼びましたが、イベントを行う際に心がけていることがあれば教えてください。

D:とても素敵な質問をありがとうございます。私の仕事の仕方は少し特別かもしれません。すべてを自分と自分のスタッフが手がけるからです。ローマの時もTV中継の話からオーケストラの劇場とカラカラ浴場への行き来、楽屋などもすべて私とスタッフ3人で全部担当しました。ウィーンの時のスタッフはふたりでした。そのクリスマスコンサートの時はディナー付きで、次のように企画しました。お客さんが劇場を出ると、その外で児童合唱団が歌っていて、そこでホットワインを配る。そこからウィーン中の馬車をこのために予約して集めておき、観客を市庁舎までお送りする。その市庁舎で豪華なディナーが待っているのですが、ディナーのワインもメニューも全部私が選びました。

210105_F.jpg現在もエージェントやイベントのプロデューサーとして活躍しているドラディ。映画は彼が膨大な資料を保管していたことから実現した。

――素敵ですね。

D:ありがとう。ちなみにこのコンサートの時に、ドミンゴがコンサートで履く靴を忘れてきていて、私が彼に自分の靴を貸してあげていました。なので、カーテンコールの時に「マリオ、ありがとう」といって彼が舞台に出る時には、私も靴を履いていないといけなかったので、ドミンゴは靴を履いていないんです(笑)。そのように、大きいプロジェクトをやる時はスタッフが30人くらいいるのが普通でしょうが、私はすべて自分で決めて、現場のすべてに気持ちが行き届いているか確認できるようにしたい。それが自分のやり方の特徴ですね。

――ぜひ、次はそのウィーンのクリスマスコンサートも映画にしていただきたいです。今日はありがとうございました。

『甦る三大テノール 永遠の歌声』

●監督/ジャン=アレクサンドル・ンティヴィハブワ
●出演/ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラス、ズービン・メータ他
●2020年、ドイツ映画 
●本編94分 
●配給:ギャガ  
©C Major Entertainment2020
2021年1月8日(金)より、Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開
https://gaga.ne.jp/threetenors

●新型コロナウイルス感染症の影響により、公開時期が変更となる場合があります。最新情報は作品のHPをご確認ください。

*To Be Continued

伊藤なつみ

音楽&映画ジャーナリスト/編集者
これまで『フィガロジャポン』やモード誌などで取材、対談、原稿執筆、書籍の編集を担当。CD解説原稿や、選曲・番組構成、イベントや音楽プロデュースなども。また、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、ビョーク、レディオヘッドはじめ、国内外のアーティストに多数取材。日本ポピュラー音楽学会会員。
ブログ:MUSIC DIARY 24/7
連載:Music Sketch
Twitter:@natsumiitoh

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