「おとこのて」

もう二度と触ることはできない。

「おとこのて」

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隣にいる彼女は三週間前と全く変わらない表情をして眠っていた。
僕はその表情を見つめていた。
"目が開いたらどうしよう"なんて思いながら見つめていた。

彼女は深くまで眠っている。
でもどこか不安そうな目をしているのが、閉じている瞼から分かってしまう。
その不安は彼女自身へのものなのか、それとも僕自身へのものなのか、それはたぶん、僕自身へのものだった。

おとこのて

僕は自分で自分のことを音楽家だと思っていた。彼女と出会った時、彼女は僕のことを何者なのか知らなかった。当然僕も彼女のことを何者か知らなかった。僕は大阪に住んでいて彼女は東京に住んでいる。ということだけは分かった。

どうやら彼女が二週間後に大阪に来る予定があるらしく、
何者かは知らないけれど会う約束だけはした。

出会ったその日僕は酒を浴びるほど飲み、新幹線の帰りはトイレとずっと一緒だった。起きたらもうすでに大阪に着いていてそのままスタジオへ向かう。何者か知らない彼女からは「頑張ってね。」と届いた。

内心、僕のことを何も知らないくせに「頑張ってね」などと言う女なんて信じられないと思った。

3日後、彼女からなぜか詩だけが書いてある画像だけが送られてきた。
それに対し僕は言葉を送り、またも彼女からは詩だけが送られてくる。
そしてまたそれに対して言葉を送る。という奇妙な文通が始まった。
そのやり取りは続き、最初は詩だけであった文通はいつしか彼女の言葉も加わっていた。

この文通にいつしか僕は心地良さを感じ、その文通は朝から夜まで永遠に続いた。

文通など、ましてや携帯でする習慣がなかった僕は親指をずっと動かすという経験をし、彼女に「親指攣りそうやわ、笑」と送る。すると彼女から「私も。笑」と届き携帯に向かって一人でいるのにも関わらず微笑んでしまった。

この僕が微笑むなどという事実はあまりにも気持ちが悪すぎた。
だがもう引き返せなかった。

その文通は、10日以上も続き彼女から突然
「あなたって三島由紀夫みたいだね」と送られてきたのだった。

僕のことを三島由紀夫だという彼女に対して奥底のものを見抜かれ、敗北感すら感じていたがそれと同時に彼女には自分しか知らない自分を見せることができるのかもしれないと期待をしている自分がいた。けれどもすぐにそんな期待などと言うものを自分の中から無くした。

それでも僕の意思とは反した所で彼女への音が頭の中で鳴り響き始め、
その響きはあまりにも美しかった。

その美しさに微かな光を感じ、
闇の中にいる僕にとって
その微かに見える光は恐怖であり絶望だった。
光を無視して生きてきたからだ。

けれど今の僕の頭の中にはその光によって生まれた音楽があった。

僕はその音に溶け込むようにして頭の中で生まれている音を自分の外に生み出し、送ってはいけないと思いつつも聴いてほしいという感情が勝りまだ湯気を立てているその曲を彼女に早々と送ってしまった。

「言葉ではいつかの話ができる、
君には会って嫌だな、
変わっていくから結局
未来のことも、忘れてしまえるのだから」

彼女からは「ねえ、今渋谷橋にいるんだけどさ、動けなくなっちゃったよ。」
そこから彼女との密な時間が始まってしまった。

「未来のことも忘れてしまえるのだから」

そんな言葉を添えた音楽と言葉はまるで今日という僕達の未来を予測してしまったかのような作品だった。その作品はあまりにも現実的な形となって今日の僕達の目の前にふたたび現れた。

出会ったあの日から半年が経ち、
僕達はまさに"変わってしまった今日"を
お互いの腕で抱きしめ合うこともできないまま
"忘れてしまえる"手前の場所にいる。

僕は忘れたくなかったし、彼女にとっても忘れたくないというものであってほしい。と今日も心底思っている。

半年前はこの光を見つけてしまったことに恐怖を感じ彼女を恐れていた。
彼女がAIであってほしいと願ったが彼女はやっぱり人間だった。

人間だと知った以上愛する選択以外見つからなかった。

AIではない人間の彼女を愛している。けれども彼女を失ってしまうことが分かっている今、僕は彼女がAIであってほしいと思っている。そうすればまた僕を愛し直せるスイッチがどこかにあって、それを探すだけのことだ。

僕の隣で眠っている彼女の瞼をしっかりと見つめては人間的な要素ではないところを探した。でもどうやら瞼の動きを見る限り彼女は人間だった。

その瞬間本当に彼女のことを失ってしまうのだと思うしかなかった。

今日も彼女はいつもの日常のように隣にいる。だがもう二度と彼女には触ることができないらしい。あと数日で僕はこの部屋にさよならを告げ、半年前の何者か知らなかった二人に戻ることになる。

出会わなかったふりをすればいいだけさ。

そんなことを思っても彼女とあれから作った音楽が頭の中で狂おしいほど響き続けるのだと思うと僕はどう生きていけばいいのか分からない。

生まれて初めて音楽家をやめたいと思っている。

それでも僕はいつか、またいつか、いつもの日常のように今日も隣にいる彼女のことを思い出し"忘れてしまえるのだから"とこの歌をどこかで歌ってしまうのだろう。

「言葉ではいつかの話ができる
君には会って嫌だな
変わっていくから結局
未来のことも忘れてしまえるのだから」

おとこのて

白濱イズミ

モデルとしてメディアで活躍する一方、彼女の中から生まれる独自の言葉を作品にし、詩集やエッセイ、写真、音楽、ジュエリーなど、形を変えて“表現”の幅を広げている。@loveli_official

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