TAO'S NEW YORK NOTES

【TAO連載vol.5】東京とニューヨークのマザーフッド。

TAO'S NEW YORK NOTES

先日日本に帰国していた際に、高校時代からの親友に会いに行った。

彼女は私がニューヨークに移るより先にニューヨークの大学で勉強していて、ルームメイトだった時期もあるくらい仲の良い友人だ。歌が得意で大学では声楽を専攻し、プロを目指していた時期もあったが、数年前、家族の体調が悪くなってしまったことをきっかけに日本に帰国した。

そんな彼女はいまでは結婚し、一児の母になり、
出産前に仕事を辞め、育児に専念している。

子どもは可愛いし育児は楽しいと話す彼女だが、どこか寂しそうで、よく虚無感を感じると言う。
そして何度も「友だちがいないの」と言う。

明るくて可愛くてみんなの人気者だった彼女は、母親になって子どもに付きっきりになり、離れたところに住む昔の友だちとは疎遠になってゆき、近所のママ友とも打ち解けられないでいるらしい。

「いつもジャッジされているようで怖いんだよね、迷惑をかけていないかビクビクしてる」と彼女は言う。
初めての子どもで緊張しているし戸惑いもあるため、子どもがもう少し大きくなったり、ふたり目ができたりしたら違った考え方になるのかなとは思うのだが、あんなに自分の将来に期待していた魅力的な彼女が周りの目を気にして萎縮してしまっているのを見ると、私もなんとも言えない気持ちになる。

私が「もっと外に出かければいいのに」と言うと、「周りから悪い親だと思われちゃうよ」と言われた。

そうだった。私もずっとそう思っていた。
日本で育った私は、同じように”母親はずっと子どもと一緒にいてあげるべき””子どもを置いて出かけるなんて酷い親だ”と思っていた。

それはニューヨークに住むようになってガラリと変わった価値観のひとつだ。

ニューヨークの母親は比較的子どものために犠牲を払っている感覚が少ないように思う。

第一にナニー(乳母)という立場が確立されているからだ。
ナニーを雇うのにはもちろんお金がかかる。東京にはそんな余裕はない、と考えるかもしれない。
ちなみに東京都の平均年収が612万円なのに対し、ニューヨークは670万円であるように、やはりニューヨークの方が余裕があるようにも見えるが、その分物価も高いので、いろいろ差し引いた後、手元に残る額にはそんなに差がないと思う。

ナニーという職業が日本で定着しないのは、先述のように、「子どもの面倒は母親が見るべき」という強い信念が定着しているからだと思う。

ニューヨークでは就業しているお母さんはもとより、専業主婦でもナニーを雇っている家庭が多い。
そこには”母親業だって助けてもらって当たり前”、”母親になったって私の人生は私のもの”といったような精神が見受けられる。
果たしてそれは母親として無責任な行動だろうか?

ある友人はナニーに子どもを預けて毎月夫婦でディナーに出かける日を設けている。夫婦が父親と母親だけではなくて、愛し合うカップルであり続けるためだ。ある友人は家族旅行にナニーを連れて行く。旅行先で大人たちだけで楽しみたいアクティビティがあった時に、小さい子どもを見ていてもらえるからだ。ニューヨークに引っ越して間もなかった時には、その行動は理解ができなかった。自分のしたいことを諦められないのに、なんで母親になったんだと疑問に感じた。

でもいまは、「母親になる=諦める」ではないんだと知った。
教えてくれたのはニューヨークのキラキラ輝くお母さんたちだった。

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子どもがいる人もいない人も一緒の空間を楽しむニューヨークの友人たち。

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子どもを同伴させ大人の会に出席させている親も多く見かける。
大人と子どもを分けずに同じ時間を共有できているその構図には、なぜか無理がないのである。それは誰も我慢していないからだ。
楽しそうにしている親と同じ時間を過ごせている子どもたちももちろん幸せそうである。

そうして育ったニューヨークの子どもたちは、日本の付きっきりのお母さんと比べて、注がれている愛情が薄いのだろうか?
愛情のレベルは誰にもどうやったて測ることはできないのでわからない答えだが、少なくとも私にはその差は見えない。
小さい時からさまざまな大人と接してきている子どもは社交性が高いが、かと言って子どもらしくないというわけではまったくない。

これは日本でも周知のことだとは思うが、子どもばかり優先しすぎてしまうと、夫婦関係が冷えてしまうことにもなりかねない。
別の日本人の知人には3人子どもがいるが、ひとり目ができて以来夫とふたりでデートらしいことをしたことがないと言ったら、アメリカ人の友人から驚愕されたそうだ。日本のお母さんからしたら「普通」だか、こちらのお母さんからすると「希少」なのである。またその知人の旦那さんは、「自分の時間を犠牲にする覚悟ないなら子作りは考えるな」と言う。

もちろんいままで身軽だった時とは同じようにはいかないだろう。しかし”覚悟ができてから”というのがあまりに厳しいから、お母さんが充実感が得られなかったり、少子化や高齢化出産を促進させているのではないだろうか(子どもを持たないという選択や、高齢化出産自体を悪く思っているわけでは決してない)。

 

子どもを育てるというのは偉業であると思う。子どもができて初めて、生きる意味を知ったなんて言葉も周りからよく聞く。
本当にそうなのだろうと思う。だからこそ、子育ては自分の人生を犠牲にしてはいけないのではなかろうか。

 

実際に子育てをしたことがない私がこんなことを書いても、日々奮闘している日本のお母さんからは、「何をわかったふりを」とお叱りを受けてしまうかもしれないし、簡単には賛同してもらえないと思う。賛同してもらえたからといって実際にナニーを雇えるのかといったらそう簡単な問題でもない。

ただ今回私の親友を見ていて、似たような思いをしているお母さんが少しでもいるなら、我慢しないで、友だちと行きたいところに行き、夫とふたりでしたいことをもっとやっていくべきだし、そのために周りに協力を仰ぎ、周りはそれを”悪い母親”ではなくて、”生き生きしている母親”として応援してあげてほしいなと思うのだ。

先日、ゴールデングローブの授賞式の際、『The Wife』(邦題:『天才作家の妻』)という映画で主演女優賞を受賞したグレン・クローズのスピーチは大変心動かされるものだった。
「すべての女性は妻として、母として、自身で情熱を持てるものを見つけ、充実感を得るべきであるし、夢を追い続けるべきである。私たちは自分にそれができると言い聞かせ、その権利があると信じさせなければいけない」
また夫に人生を捧げ尽くしてきた彼女の母親が80歳になった際に、自分は自身の人生の中で何も成し遂げれなかった気がすると言ったそうだ。

私たち以前の世代はやはりどこの国もそれが当たり前だった。妻は家の中で家族を支えるもの。嫁に行ったら泣き言は言わず、辛抱するんだと教えられた。
果たしてそれを女の幸せだと教えたのは女たち自身だったのだろうか。それを”いい女”と決めつけて扱いやすくする、男たちの企みだったのだろうか。

そんな強い女性たちに育ててもらった私たちは、彼女たちの教訓を持って前進しようとしている。

日本ではまだまだフェミニストという考え方が親しまれていない。誤認で何か極端な考え方だと思われがちであるが、きっと数年後には変わっていると願いたい。フェミニズムは男女の溝を深める考え方ではなく、溝をなくして歩み寄るための考え方なのだから。

私たち女性を輝かせるのは彼氏や夫ではなく、自分自身なのだ。

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親友の愛娘と。身軽な私だからこそもっと一緒に遊びに連れ出してあげたい。

TAO

千葉県出身、ニューヨーク在住。14歳でモデルを始めた後、2013年『ウルヴァリン:SAMURAI』のヒロインとして女優デビュー。以降、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(16年)やドラマ「ハンニバル」「高い城の男」(ともに15年)など話題の映画やテレビドラマに出演。18年はHBOドラマ「ウエストワールド」や、日本では『ラプラスの魔女』や『マンハント』が公開され、国内外で活躍の場を広げる。
※TAOのオフィシャルインスタグラムでは、この連載で読みたいテーマを随時募集中。コメントまたはDMにてお知らせください。

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