ミルピエの『ダフニスとクロエ』は舞台装置も見どころ。
パリとバレエとオペラ座と。
2月のオペラ・ガルニエの公演『Tree of Codes』は、セノグラフィー(舞台美術)を担当したのがオラファー・エリアソンだということも話題の作品である。世界的に高明なアーティストがバレエの舞台セットをデザインするということは、バレエ・リュスの時代によく行われていた。その主宰者ディアギレフが声をかけた中にはピカソもいて、彼は36歳のときに『パラード』で舞台セットと衣装、その後『三角帽子』『青列車』ではドロップ・カーテンを担当している。ローラン・プティもこの点において、とても積極的でベルナール・ビュッフェ、デヴィッド・ホックニーといったアーティストに舞台装置を依頼した。
オペラ座バレエ団の創作の多くの作品は舞台美術専門のデザイナーに任されることが多いが、バンジャマン・ミルピエ創作の『ダフニスとクロエ』ではダニエル・ビュランがセノグラファーとして参加したということが話題となった。この作品がオペラ・バスチーユで初演されたのは2014年5月10日。若く才能あるコレグラファーとしてアメリカで頭角を表していたミルピエに、この作品の創作を依頼したのは当時のオペラ座バレエ団芸術監督ブリジット・ルフェーヴルだった。奇しくも、その数か月後に彼女の後任として芸術監督の地位を継ぐことになったのが、このミルピエである。
幾何学模様、カラー、ストライプのミニマルな舞台装置。写真は海賊長ブリュアクシス(フランソワ・アリュ)とクロエ(オーレリー・デュポン)。
ストライプに縁取られた黄色のサークルが照明によって舞台上に反射する。こうした効果は会場の後方席の方が楽しめるかもしれない。photos:Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris
ダニエル・ビュランの名前を世界的に有名にしたのは、1986年に設置されたパレ・ロワイヤルのストライプの柱だ。観光に訪れたパリで、彼の作品とも知らず、このグラフィックな柱が並ぶ前でセルフィーを撮影した人もいることだろう。 現代アートの国際的スターであるビュランが、バレエの舞台美術を担当する、という発表にはダンス界はもちろんだが、アート界も興奮した。
『ダフニスとクロエ』の物語が書かれたのは古代ギリシア、と、とても古い。絵画のテーマともなり、複数の画家たちが同名タイトルの作品を残している若い2人が愛の目覚めを知る美しい物語だ。共に捨て子だったヤギ飼いのダフニスと羊飼いのクロエが思春期に出会い、愛し合うようになる。そこにダフニスを誘惑する年上の女やクロエを誘拐する海賊が登場し……でも、最後はメデタシ、というストーリーだ。ミルピエは物語の詳細を追わずラヴェルの音楽に導かれた抽象的な作品に仕上げているというものの、流れは物語に沿っているので、この簡単な筋を知っていると鑑賞時に役だつだろう。
流れるような動きがミルピエの振り付けの特徴だ。photo:Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris
ミルピエ同様、ダニエル・ビュランもストーリーではなく音楽にインスパイアされて舞台装置をつくりあげたと語っている。彼がビジュアル・ツールとして長年クリエーションに用いている黒いストライプとカラーフィルターで構成。円、長方形、正方形とごくシンプルなフォルムのパネルだが、それらが照明との組み合わせによって舞台上にカラフルな模様を描いたり、ダンサーの姿を鏡のように映したり……さまざまな遊びがあり、具象的セット以上に饒舌だ。ダンサーの衣装も緑、黄、赤、青というように、とても色彩豊か。この装置とダンスがかけ合わさる一瞬ごとに、新しい驚きと感動が生まれる、といってもいいかもしれない。『ダフニスとクロエ』はオーガニックな動きがダンサーたちに好まれるミルピエ特有の振り付け、20世紀初頭に作曲されたラヴェルの音楽、そしてこのミニマルな舞台装置が見事な調和をなす作品である。
カラーフィルターと照明が絡まりあい、舞台装置の美しさが高まる。photo:Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris
フランク・ゲリーの建築によるフォンダシオン・ルイ・ヴィトンの建物に、昨年5月にビュランが行ったカラー・パネルのインスタレーション「光の観測所」は、今も見ることができる。建築物との対話から生まれたイン・サイチューの作品で、この建物の特徴をなすガラスの帆が市松状の13色のカラーフィルターで覆われている。一部、彼のビジュアル・ツールである8,70cmのストライプも配されている。色彩、光、透明性、透光性などを有するカラーフィルターの仕事は、ビュランが1970年代から続けているもの。晴天だと太陽の光によって、フィルターの色が建物の壁や床に反射し、まるでステンドグラスのような美しさ! 日射の具合で異なる効果が生まれるので訪問者にとっては一期一会の光景がそこにある、ということになる。ルイ・ヴィトン財団のインスタレーションについで、昨夏はパリのオテル・ブリストルの中庭にも彼はインスタレーションを行った。「ペルゴラ(蔓棚)」と題し、ストライプとカラー・パネルが覆う棚の下を人々が歩けるという趣向。カラーフィルムを通す光の遊びが楽しい、夏の間の短期間の開催だった。
左:フォンダシオン・ルイ・ヴィトン © Iwan Baan / Fondation Louis Vuitton
右:昨夏オテル・ブリストルの中庭に設置された「ペルゴラ」。photo:Mariko OMURA
1938年生まれというから、ビュランは今年79歳。アート界を飛び出した彼の活動は、年齢を増すとともにますます広がっているようだ。例えばインテリア雑誌のAD が開催するAD Interieursというイベントがある。これは編集部が選んだ約10名の建築家やインテリアデザイナーたちに居住空間をデザインさせて展示するというもの。貨幣美術館内で開催された第7回目の昨年、若いときから挑発的活動を始めデザイン界の“恐るべき子供”と呼ばれたオラ・イトとビュランは組んでストライプのキッチンをデザインし、話題を呼んだ。目下、再びオラ・イトと一緒にエコ・システムを導入した新コンセプトのホテルのデザインに取り組むという新しい冒険の真っ最中。アート界の重鎮ながらアクティヴで、彼の活動からは目が離せない。
昨年開催された第7回AD Interieurs2016 の会場にて、ダニエル・ビュランとオラ・イト。20,20㎡と狭い空間を鏡とストライプで、2人は果てしなく続く空間に仕上げた。
この現代を代表するコンセプチュアル・アーティストが セノグラフィーを手がけた珍しい作品である『ダフニスとクロエ』。パリでの再演は来年2月に予定されているが、それ以前に来月のオペラ座バレエ団来日ツアーにて踊られる。3月9日から12日まで、上野の文化会館で開催される 『グラン・ガラ』中の1作品だ。バランシンの『テーマとヴァリエーション』、ロビンスの『アザー・ダンス』との組み合わせで、バランシンに始まるネオ・クラシック作品の系譜的プログラム。『ダフニスとクロエ』について言えば、会場の前方で見てもパワフルで見応えがあるが、会場の後方から全景を眺める楽しみもおすすめだ。
バレエ・リュスで踊られた『ダフニスとクロエ』はロンゴスが書いた物語に忠実で、振り付けがミハエル・フォーキン、そして衣装とセノグラフィーはレオン・バクストが担当した。現在オペラ・ガルニエ内で開催されている『バクスト バレエ・リュスからオートクチュールまで』展では、舞台背景の貴重なデッサンが展示されている。3月5日まで開催されているので、もし機会があれば……。
左:オペラ・ガルニエで開催中の『バクスト バレエ・リュスからオートクチュールまで』で展示されている、1912年に初演された『ダフニスとクロエ』のためにバクストが描いたデッサン。photo:Mariko OMURA
右:2014年に初演されたミルピエの『ダフニスとクロエ』のための、ダニエル・ビュランによる舞台装置。photo:Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris
3月の東京の公演でソリスト、ドゥミ・ソリストに配役されているのは、ほとんどが2014年の初演時にこの作品を踊っているダンサーたちだ。どんな思い出を彼らは持っているのだろうか。 来日して再演に挑むダンサー3名のコメントを紹介しよう。
初演時、クロエ役の創作ダンサーとして参加し、今回のツアーでは芸術監督としてオペラ座バレエ団を率いて来日するオレリー・デュポン。彼女が3月にクロエ役を3回踊るのは、日本のバレエファンへの大サービスといっていいだろう。ダフニス役を踊るのが初演時のパートナーだったエルヴェ・モローではなくなったのは残念であるが、彼女は最新男性エトワールのジェルマン・ルーヴェと踊るというから、これは見逃せない。
「この作品を踊る喜び、まず挙げられることにラヴェルの音楽があります。動きはたくさんありますけど、振り付けは踊るのがとても快適だったという記憶があります。ミルピエの振り付けはとても自然なので好きですね。ヌレエフの作品と違って、踊っても体が痛くならない。何の拘束も感じない。だから、若いダンサーたちが彼の作品を喜ぶのが、よくわかりますね。初演の時によく覚えているのは、舞台上のダンサーたちの間にとても良い雰囲気があったこと。フランソワ・アリュ(海賊のチーフ、ブリュアクシス役)と一緒に踊ったことも、この作品の好きな部分のひとつです。彼は素晴らしい人物よ。ダニエル・ビュランによる舞台装置はオリジナリティがあって、好きです。かなり驚くべきものだけど、成功したと言えますね。彼のようなアーティストがオペラ座でセノグラフィーをするというアイデアも気にいりました」
クロエを踊るオーレリー・デュポン。photo:Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris
昨年12月28日、『白鳥の湖』のプリンス役を踊り、オーレリー時代の初エトワールに任命されたジェルマン・ルーヴェ。この来日ツアーは彼にとってエトワールとして踊る初舞台となる。初演時はコール・ド・バレエだったが、今回はダフニス役である。実はこの配役が発表された当時、彼はまだスジェだった。というわけで、この配役の発表により、オーレリーの評価の高い彼の年末のエトワール任命の噂の信憑性がぐっと増した……というのは余談だが。
「ソリストだと自由に踊れるけれど、過去にコール・ド・バレエで踊ったとき、全員が揃ってなければいけないので、このラヴェルの音楽はすごく踊りにくかったことを覚えています。カウントやリズムをとるのが難しいんです、この曲は。でも、この音楽のいいのはとても表現に富んでいるので、動きに自然に導いてくれることです。僕たちにするべきことを教えてくれるんです。ぼくは最初のリハーサルのとき会場でこの作品を見ることができたので、踊っているときは見ることができない舞台装置全体を見る機会に恵まれました。ゼラチンの透明な色がとてもきれいだったのが印象的でした。すごくコンテンポラリーで抽象的。黄色のサークルが太陽を思わせる以外は、特になにも表現していない。誰も彼もの気に入るというものではないかもしれないけれど、少しでもコンテンポラリー・アートに興味を持っている人には、物語るものが多い舞台のはずです」
2014年の初演時、ジェルマン・ルーヴェ(緑左)はコール・ド・バレエとしてこの公演に参加。その時の仕事がミルピエの目にとまり、彼のお気に入りの若手ダンサーの一人となった。photo Agathe Poupeney/ Opéra natinal de Paris
レオノール・ボラックはジェルマンの任命から3日後の12月31日にエトワールに任命された。今回の来日では、初演時と同じリュセイオン役を踊る。
「踊るのがすごく快適な作品なんですよ、これ。ドルコン役のマルク・モローと私はパ・ド・ドゥを踊りましたが、中でもこの部分の出来栄えは素晴らしい。私たちはコーラスに合わせて踊るのだけど、コーラスは舞台上ではなく舞台裏にいます。彼らの歌声が裏から聴こえてくるとバイブレーションのようなものが感じられて……。そのシーンの照明は落としめで、ビュランによる舞台装置がまるでステンドグラスのよう。私は信心深いというようなタイプの人間ではないけれど、このときはとても神聖なものを感じました。私が踊るリュセイオンという女性は原作によるとダフニスに比べかなり年をとった女性のようで、女性としての自信に満ち溢れています。クロエの存在を知っていながらダフニスを誘惑する役。だから舞台に登場する最初の瞬間から、しっかりと自信あふれるステップである必要があるんです。クロエを見下すように……私がリュセイオンを踊るときのクロエ役はオーレリー! これ、けっこう大変です(笑)」
左:リュセイオン(エレオノーラ・アバニャート)とドルコン(アレッシオ・カルボーネ)のパ・ド・ドゥ。
右:海賊長ブリュアクシスを踊るフランソワ・アリュ。このパワフルで見事なジャンプに、乞うご期待! photos:Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris
「ラ・シルフィード」
2017年3月2日(木)~3月5日(日)
<グラン・ガラ>「テーマとヴァリエーション」「ダフニスとクロエ」「アザー・ダンス」
2017年3月9日(木)~3月12日(日)
会場:東京文化会館(上野)
http://www.nbs.or.jp/stages/2016/parisopera/
Mariko Omura
madame FIGARO japon パリ支局長
東京の出版社で女性誌の編集に携わった後、1990年に渡仏する。フリーエディターとして活動し、2006年より現職。主な著書は「とっておきパリ左岸ガイド」(玉村豊男氏と共著/中央公論社)、「パリ・オペラ座バレエ物語」(CCCメディアハウス)。