鎌倉の古民家にヴィンテージ家具が溶け込む、フランス人夫妻のインテリア。
Interiors 2025.08.12
日本に暮らすことを選んだ外国人カップル。彼らの選ぶ家具やインテリア、生活道具に垣間見えるのは、和へのリスペクトと愛情だ。こだわりの住まいから、美しい暮らし方を再発見したい。
ティエリー・ラモワン & アロー
Galerie Oneオーナー
フレンチヴィンテージが溶け込む、
時を重ねた昭和初期の古民家。
コンパクトな空間に収まるようデザインされたシャルロット・ペリアンのテーブル&チェア。テーブルの上には、ピカソが愛した南仏の陶器の街ヴァロリスで作られたセラミックの作品が置かれる。
ガラス障子を開け放った縁側から初夏の光が差し込んで、漆喰の壁、畳、飴色になった梁や柱を、きらきらと艶めかせている。初めて来日した時から、日本の住まいに憧れを持っていたというティエリー・ラモワン。30年以上にわたり、フランスと日本を行き来する暮らしの中で、理想的な日本の拠点に巡り合えたのは2年前のこと。
「パリの自宅と同様、ギャラリーを兼ねた住まいを探していました。東京では、小さなスペースかホワイトキューブのような場所しか見つけられずにいた時、妻がよく知る鎌倉で立派な平屋と巡り合いました。日本の建築本を何冊も読んでいたフランス人の僕にとって、この家はまさにファンタジーでした」
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襖を外した和の大空間に、フレンチヴィンテージの名作家具が溶け込む。
日本にルーツを持つアローとともに見つけたのは、1934年、昭和初期に建てられた日本家屋だった。ふたりはこの家が使われていた頃の様子を取り戻したいと日本家屋を多く手がける建築家、佐野文彦に修復を依頼。トイレや水回りまで当時の建具が残され、時が止まったような空間が蘇った。襖を外した和の大空間には、ピエール・ジャンヌレ、シャルロット・ペリアン、ジャン・プルーヴェといった、ティエリーが取り扱う名デザイナーのヴィンテージ家具の数々が威風堂々と配されている。
「ティエリーはすごくいい目を持っているの。鎌倉の小さな古道具店で何げなく手に取ったうつわが後で濱田庄司の作品だとわかったりね」と、彼の審美眼にアローも驚いている。
1950年代後期、インドのチャンディーガル都市計画で行政施設のためにピエール・ジャンヌレが手がけたオフィスチェア。漆黒は珍しい。
右奥の大皿は鎌倉の小さな骨董店でティエリーが偶然手にしたという濱田庄司の作品。
当時のままのガラス障子や欄間が美しい。
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「冬場、室内がマイナス2度に下がった時は凍えそうになったけれど、同時に生きていくうえで四季の変化を感じる大切さを思い出させてくれるようで、ありがたい気持ちにもなったんだ」
寒い日は掘り炬燵が活躍し、暑い夏はガラス戸を開け放つだけで冷涼な風を感じられる。小さな窓から入る木漏れ日に生命を感じたり、刻々と変化する庭の情景や朗らかな鶯の鳴き声に癒やされたり。この住まいに暮らすことは、日本の神髄に触れる新しい人生の経験だとティエリーは言う。
近くに住む花道家の渡来徹が設えてくれた生け花。光が差し込む茶室のような屋根裏部屋。
「デザイナーのシャルロット・ペリアンが、日本の暮らしから多くの影響を得た名作を残したことに深く賛同する日々だよ」
コレクターたちが焦がれる高価な作品を扱いながらも、家具は使うために存在すると考えるティエリーは、気兼ねなく日常生活にヴィンテージ品を取り入れている。将来は、フレンチヴィンテージと日本建築を結ぶプロジェクトを手がけたいと夢見るふたり。古いものの美と価値を知るからこそ、ここで暮らすことの豊かさを実感している。
Arrow(左)
IDÉE勤務を経てパリへ。マレ地区に日本の文具や雑貨、食品などを扱うセレクトショップBows & Arrowsを開業。ティエリーとともにGalerie Oneを運営する。
https://www.japan-best.net/
Thierry Lamoine(右)
フランス生まれ。ファッション業界、博報堂パリ支社勤務を経て青山にクラブ、ル・バロン・ド・パリ(Le Baron de Paris)を創業。現在フレンチヴィンテージ家具を扱うGalerie Oneを主宰。
https://www.galerie-one.com/
日本らしさに魅せられた、外国人の住まい。
自然に寄り添う無駄のない暮らしは、
心を整える特別な魔法。
日本人の手仕事に魅了され、
感性を暮らしに取り込む。
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*「フィガロジャポン」2025年7月号より抜粋
photography: Akemi Kurosaka text: Miki Suka