イダ・ルビンシュタイン、『ボレロ』を生んだ女性ダンサー。

パリとバレエとオペラ座と。

パリ・オペラ座で久々に踊られた『ボレロ』

3月22日までオペラ・バスチーユで公演のあった『バンジャマン・ミルピエ/モーリス・ベジャール』。バンジャマン・ミルピエ作品は前回のパリ・オペラ座の来日公演で踊られた『ダフニスとクロエ』、そしてモーリス・ベジャールの演目は有名な『ボレロ』である。上半身裸の男たちがぐるりと周りを囲む真っ赤な丸テーブルの上で、ダンサーがひとりで踊り続ける16分の作品は一度見たら目に焼きつき、そして小太鼓が規則的にリズムを刻み続けるモーリス・ラヴェルが作曲した音楽は、耳から離れなくなる。オペラ座ではエトワールに限らずダンサーの大勢が、一度は踊ってみたいと夢見る作品。今回配役されたのは、アデュー公演を3月31日に控えたマリ=アニエス・ジロ、アマンディーヌ・アルビッソン、マチアス・エイマンの3名だった。

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手脚が長いマリ=アニエス・ジロ。高く上げた手の甲に照明が当たる出だしから、彼女の例外的な身体の特徴を際立たせていた。エネルギッシュにスタートしたダンスは、単調に刻まれるリズムに合わせて続き、身体が燃え尽きたかのように終了。ダンサーの疲労困憊ぶりが会場を沸かせに沸かせる、というのは『ボレロ』ならではのことだろう。とても人間的な舞台だった。photo:Little Shao/ Opéra national de Paris

ベジャールが『ボレロ』を創作したのは1961年。ベルギーのブリュッセルの劇場で初演され、オペラ座のレパートリー入りしたのは1970年のことである。クロード・ルルーシュ監督の『愛と哀しみのボレロ』(1982年)のクライマックスでジョルジュ・ドンが踊り、国際的に有名なバレエ作品となった。

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初役で挑んだアマンディーヌ・アルビッソン。外見的に似ていることもあり、過去にこの作品を踊ったオレリー・デュポンを思い出させる瞬間があった。もっとも、アマンディーヌのそのセンシュアリティ、妖艶さは彼女ならではの持ち味。テーブルの上のダンサーと、それを囲む男性たちとの関係が緊密に感じられた。次回がいつになるかは不明だが、年齢を重ねることで彼女しか踊れない『ボレロ』を見せてくれるという期待ができる。photo:Laurent Philipppe/ Opéra national de Paris

オペラ座で踊られる『ボレロ』はベジャールの振り付けだけではない。2013年にオペラ座のダンサーのために創作されたのは、シディ・ラルビ・シェルカウイとダミアン・ジャレットによる『ボレロ』。マリーナ・アモラボヴィッチの舞台装飾とリカルド・ティッシによる衣装でも話題となった。そして、2019年7月にマッツ・エックがやはりこの曲を使い、『ボレロ』を創作することが来年度のプログラムで発表されている。

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今回踊った唯一の男性ダンサー、マチアス・エイマンはテーブル上で軽々と飛翔し、脚をきれいに上げて音楽のアクセントと一体化。過去にオペラ座で『ボレロ』を踊った男性ダンサー、ニコラ・ル・リッシュはがっしりとした身体からパワーを発し、獅子のようだったのに対し、マチアスは 豹や猫科の動物のよう。無駄な贅肉のない精悍な身体がテーブル上に力強くもしなやかに舞い、観客を魅了。『ドン・キホーテ』でテクニック面で超人ぶりを発揮し、この『ボレロ』ではいかに格別なダンサーであるかを改めて確信させたマチアスだ。photo:Laurent Philippe / Opéra nationa de Paris

謎めいた美女、イダ・ルビンシュタイン

バレエだけではなく、フィギュアスケート、TV、映画などでも使われることの多い『ボレロ』をモーリス・ラヴェルが作曲したのは、1928年。すでに90年も前のことである。これはダンサーのイダ・ルビンシュタイン(1885〜1960)が、自分が踊るバレエ作品のために彼に依頼して生まれた曲なのだ。振付けをしたのは伝説的ダンサーとして名高いニジンスキーの妹のニジンスカである。スペインの酒場で女性の踊り子がひとりで踊っていると、次第に周囲に男たちが集まってきて最後は一緒に踊る……という作品で、衣装はジャンヌ・ランバンがデザインしたスペイン的なドレスだったらしい。会場はパリ・オペラ座だったそうだ。振り付けは異なれど、ラヴェルの曲にのせて『ボレロ』をオペラ座で初めて踊ったダンサーが彼女、ということになる。

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2017年7月5日から今年の1月7日までパリの装飾芸術美術館で開催された『クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ』展にて。ディオールの庭と題されたコーナーを飾った絵画の『春』は、イダ・ルビンシュタインがモデル。この作品を描いた女流画家ロメイン・ブルックスと彼女は短期間ながら恋愛関係にあった。この作品が描かれたのは1912年頃。

このイダ・ルビンシュタインというのは、どんな女性なのだろう。パリの装飾芸術美術館で1月6日まで開催され、約80万人が鑑賞したという『クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ』展で、その名前を気に留めた人もいるのではないだろうか。というのも、彼女がモデルになった絵画が2点展示されていたからだ。1点は花のモチーフのドレスが並ぶ奥に。もう1点はプロジェクション・マッピングが幻想的雰囲気を醸し出していた舞踏会の部屋だ。クリスチャン・ディオールがデザインしたクチュール・ドレスに留まらず、複数の絵画も展示されていた展覧会だが、2点というのは彼女だけである。これについて、キュレーションを担当した館長のオリヴィエ・ガベはこう説明する。「イダ・ルビンシュタインというのは、1910〜20年代に人々をもっとも魅了した女性です。その中のひとりがクリスチャン・ディオールで、さまざまな回想録に彼女の名前を書き残しています」

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アントニオ・ド・ラ・ガンダラによる肖像画は『クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ』展では、ル・ネフの舞踏会会場に展示されていた。彼女が着ているのは、オートクチュールの創始者ウォルトによるドレス。描かれたのは1913年頃。Collection Lucile Audouyより。

サンクトペテルブルクの裕福な家庭に生まれたイダがダンスを始めたのは20歳と、とても遅い年齢だった。しかし、その美しさと演技力を認めたセルゲイ・ディアギレフが、彼のバレエ団バレエ・リュスに彼女を迎え入れたのだ。バレエ団の初のパリ公演には、彼女も参加。1909年のシャトレ劇場で5月19日に初演され、パリ中にその名を轟かせるほどの衝撃を生んだバレエ・リュス。初公演中、イダが舞台に出たのは最終日6月2日の『クレオパトラ』だった。石棺の中から現れて、薄物を1枚ずつ脱いでゆく彼女は、高度な技術を見せる踊りをしたわけではないが、そのエキゾチックな美しさ、ほっそりとした肢体で観客を魅了した。彼女はニジンスキーと共に、パリにセンセーションを巻き起こしたダンサーとなったのだ。

翌年のバレエ・リュスの公演は、パリ・オペラ座で開催された。イダが出演したのはアラビアのハーレムを舞台にした『シェヘラザード』。この作品を見てピカソが「傑作だ!」と賞賛したらしいが、その中で主役ゾベイダを踊ったイダがいかに官能的だったかを大勢が語りあった。この頃のパリでは、バレエ・リュスの公演は見逃せないイベント。客席はパリの社交界の人々で溢れていた。ジャン・コクトー、ココ・シャネル、マルセル・プルーストといった著名人の顔が見られた。彼女のアンドロジナスな魅力に取り憑かれたロベール・ド・モンテスキューは公演に日参。プルーストは彼女の脚を美の極致とたたえ、ジャン・コクトーは「東洋の芳香のように美しかった」と……イダの独特の存在感は、時代の寵児である彼らの心をも射止めたのだ。

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パリ・オペラ座で2017年に開催された『レオン・バクスト』展では、1910年にバクストがデザインした『シェヘラザード』の衣装とヘッドピースを見ることができた。この作品中、これを身につけてイダは夫の留守に奴隷の愛人を招き入れるサルタンの寵妃ゾベイダ役を踊り、振付けたミハエル・フォーキンをその演技力で唸らせたという。

1911年にバレエ・リュスを去った彼女は、自身のカンパニーを設立する。1918年からバレエ作品をプロデュースし始め、前出のラヴェルに『ボレロ』を依頼したのも自身のバレエ団で自分が踊る作品のためだったのだ。ラヴェルの他にも、彼女は作曲家のドビュッシー、作家のジードやヴァレリーなどにもコンタクトし、作品への協力を仰ぐ。遺産相続による余りある財産に加え、ビール会社ギネス一族の資産ある男性に囲われる身でもあったので、金銭的に彼女は恵まれていた。バレエ・リュスの存続のための金策に常に奔走していたディアギレフは、そんな彼女を快く思うわけがない。イダのカンパニーの公演会場に時のセレブリティであるピカソやココ・シャネルの姿を認めた彼は、イダが金銭で客集めをしていると批判。もちろん作品そのものも認めようとしなかった。イダは悲劇女優としての才能には恵まれていたが、もともと優れたダンサーというわけではない。またプロデュース能力に長けていたわけではなかったらしいが、第二次世界大戦の前までは舞台を続けていたそうだ。

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ロメイン・ブルックスによる『涙のヴィーナス』。この作品が描かれた1914年にはロメインとイダはすでに別れていて、写真をもとに描いたそうだ。collection Musée de la ville de Poitiers et de la Société des Antiquaires de l'Ouest

大戦中、ユダヤ人の彼女はイギリスに疎開。リッツ・ホテルに暮らし、終戦後フランスに戻るものの、ギネスが彼女のために建てさせたパリの邸宅は大戦中に崩壊していた。場所は現在バカラ美術館のある広場で、内装はバレエ・リュスで彼女が踊った『クレオパトラ』『シェラザード』の衣装、舞台装置を担当したレオン・バクストによるものだったそうだ。晩年は南仏ヴァンスで慈善事業などに力を注いで暮し、1960年、美しきベル・エポックの華はひっそりとその生涯を閉じた。

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ニューヨークのメトロポリタン美術館で展示されているレオン・バクストによる『Mme Ida Rubinstein』。描かれたのは1910年ごろ。

大村真理子 Mariko Omura
madameFIGARO.jpコントリビューティングエディター
東京の出版社で女性誌の編集に携わった後、1990年に渡仏。フリーエディターとして活動した後、「フィガロジャポン」パリ支局長を務める。主な著書は「とっておきパリ左岸ガイド」(玉村豊男氏と共著/中央公論社)、「パリ・オペラ座バレエ物語」(CCCメディアハウス)。

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