オテル・デュ・サンティエ、泊まりたいホテルがまたひとつ。
PARIS DECO
ナポレオンのエジプト遠征の勝利にちなんでカイロ(ケール)、ナイル、アブキール、アレキサンドリアといったエジプトの地名が通りに付けられているパリ2区のエジプト横丁。ケール広場に面した1828年の建築物には、エジプトの女神ハトールの像が飾られている。18カ月の工事を経て、その建物は「Hôtel du Sentier(オテル・デュ・サンティエ)」となって1月12日から営業を始めた。その名が表すように最寄りの地下鉄駅はサンティエで、19世紀は印刷業者が軒を並べ、20世紀はコピーブランドのメッカとなり、21世紀のいまはテクノロジー系の若い企業が集まり始めて“シリコン・サンティエ”と呼ばれるようになった一角である。
オテル・デュ・サンティエ。ファサードは記念建造物に指定されている。photo:Philippe Garcia
1798年にできた370mの長さのパッサージュ・デュ・ケール。ホテルはこのパッサージュの入口の一部をなしていて、部屋の位置によってパッサージュを行き来する人々や、延々と続くパッサージュのガラス屋根が眺められる。photo:(左 )Philippe Garcia、(右)Bastien Rossi
開業したのはパリ10区にカフェやレストランを経営するカストロ夫妻で、彼らにとって初のホテルだという。ケール広場に面したカフェ・シャンポリオンを買収した彼らが、はてカフェの上階には何があるのだろう?と思ったところから始まったプロジェクトである。既製服の卸問屋や関連小物店が並ぶパリ最古で最長のパッサージュ・デュ・ケールに乗っかるような建物は、1階のカフェ以外は放置されていた。それで彼らがホテル業に乗り出した次第である。かつて舞台女優だった妻シャルロットと、神経科医でいまの時期は救急医として働く夫サミュエル。建築はプロに任せたが、家庭的な雰囲気のあるホテルにしたいからと、室内装飾はデコレーターに任さず自分たちで手がける、という力の入れよう。彼らは個人の売買サイトのボンコワンを積極的に活用。レセプションのちょっとおばあちゃん風の懐かしいタイプのソファに始まり、室内からテラスに上がる鉄の螺旋階段まで見つけて、合計30室のプチホテル作りを楽しんだのだ。
左:オーナーのカストロ夫妻。 右:建物の外観上部に彫り込まれたモチーフのひとつコウノトリ。ロゴなどホテルのアートディレクションを任されたアリゼ・フルーデンタルによって擬人化され、脚の生えたコウノトリが各部屋の扉に描かれている。photo:Bastien Rossi
室内の階段で専用テラスに出られるタイプの客室は2つ。フランス産にこだわるホテルが使用するベッドのマットレスはブルターニュから。photo:Bastien Rossi
パリの景色を独り占め。テラスは外壁が鏡張りだ。
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女神ハトールの頭部の3つの像に加え、クローバー風や花のようなデザインが魅力的な窓も建物の魅力となっている。これらの窓からの採光が明るく照らす客室は、最小でも17平米というゆったりとした造り。木製オリジナルのデスクやベッドのヘッドボード、まん丸なコート掛けなどが空間に温かみを生み、大理石を多用したバスルームも快適だ。素材のクオリティと配慮の行き届いたディテールに、オーナー夫妻のこだわりが見られる。パリ市内のレストランがすべてクローズしているいま、宿泊客が食事を客室でとれるように各部屋にビストロチェアとテーブルを設置。ここで1階のカフェレストランで用意される夕食を味わえるのだ。レストランが再開したら? 客室内の椅子とテーブルのその後の運命はいまのところ未定だという。
客室は各フロアに5室で、それぞれタイプが異なる。このコンフォートルームは窓の魅力を室内で満喫できるように、オープンバスルームという造り。利用時はカーテンで仕切れる。オテル・デュ・サンティエは客室のランクに関わらず、バスタブを備えた部屋が少なくないので、日本人にはうれしいホテルだ。photo:Philippe Garcia
左:室料は通常200ユーロ〜。photo:Bastien Rossi 右:いまの時期、各客室にビストロチェアとテーブルをセット。photo:Mariko Omura
左:大理石のバスルーム。ベルガモット、シダーなどが優しく香るシャンプーやボディミルク。MAWによるホテルのオリジナルの香りだ。photo:Bastien Rossi 右:木製家具を担当したのはAtelier La Serre。Photo:Antoine Cadeau
ホテルの朝食室でもある、ケール広場に面した1階のカフェ。メニューに並ぶのは子牛の煮込みなどビストロ料理だ。現在はテイクアウトのみ。photo:Bastien Rossi
réalisation : MARIKO OMURA