アルベール2世大公のはとこ、公園で遺体となって発見……IT業界での活躍も期待された29歳の素顔とは?
10月26日(月)、モナコのラルヴォット地区近くの公園で、アントワーヌ・ド・マッシーが遺体で発見された。モナコ公室の遠縁にあたる彼は29歳で、テクノロジー業界での活躍が期待されていた。
まだ29歳という若さだった。アルベール2世大公のはとこにあたるアントワーヌ・ド・マッシーが亡くなったが、死をめぐる詳しい状況は明らかになっていない。同氏の遺体は10月26日(月)、モナコのラルヴォット地区近くにある海沿いの公園で発見された。日曜日の正午以降、アントワーヌと連絡が取れなくなっていたため、家族は月曜日、遺体が発見される数時間前に当局へ届け出ていた。遺体の発見を受け、家族の不安は大きな衝撃へと変わった。モナコの検察当局は直ちに捜査を開始し、死因の特定を進めている。
その後、捜査は拡大され、事件が起きる数時間前に公園で彼と一緒にいるところを目撃されていた男性の身柄確保に向けた捜査が進められた。この男性はモナコ在住のウクライナ国籍者である。現時点では、この男性に疑いの目が向けられているものの、検察官は「事故の可能性も排除されていない」と述べている。アルベール2世大公のはとこにあたる彼は、10月25日の夜、ナイトクラブから千鳥足で出てくるところを目撃されていたという。モナコ公室はすぐさま反応した。10月26日(月)に発表された声明で、アルベール2世大公とシャルレーヌ公妃は、この悲劇に対する深い「悲しみ」を表明した。
1997年1月15日生まれのアントワーヌ・ド・マッシーは、クリスチャン・ド・マッシー男爵とセシル・ジェラバルの息子である。祖母は、アルベール2世大公の父であるレーニエ3世の姉、モナコのアントワネット公女その人だ。地元紙『モナコ・マタン』によると、29歳のアントワーヌは、優れたアスリートを輩出する一家で育った。曾祖父にあたるアントニー・ノゲは、1929年4月、モナコ公ルイ2世の支援を受けてモナコ・グランプリを創設した。この大会はF1カレンダーに欠かせない一大イベントとなり、現在ではルイス・ハミルトンやシャルル・ルクレールをはじめとするトップドライバーたちがサーキットで競い合っている。
テニス選手としての挫折
アントワーヌ・ド・マッシーが祖父の弁護士アレクサンドル=アテナーズ(通称アレコ)・ノゲから受け継いだもの、それは何よりもテニスへの情熱だった。祖父もまた、ヨーロッパのテニスツアーやデビスカップでモナコ公国を代表して活躍した選手だった。祖父の足跡を追うように、アントワーヌは11歳で一般的な学校教育を離れ、フロリダでスポーツと学業を両立させる専門的なプログラムに進んだ。父クリスチャンがアルベール2世大公からワシントンの大使館への赴任を命じられたため、一家はそろってフロリダに移り住んでいた。アントワーヌが4歳のとき、初めてテニスラケットを手渡したのもアルベール2世大公だった。大公は彼をモナコ公国のテニスコートに連れて行き、練習にも付き添っていた。
フロリダ州ブレイデントンにある名門「ニック・ボロテリー・テニス・アカデミー」で、アントワーヌは当初、順調なスタートを切った。2010年には、ボーリューで開催されたジュニア・オープンで優勝したのを皮切りに、バージニア州アーリントンの「ペンタゴン・シティ・ジュニア・オープン(14歳以下部門)」、さらに同年11月の「ケイスリー・マイアミ・チャンピオンシップ」でも優勝を果たした。翌年には、2016年のオリンピック出場を目標に掲げるまでになった。しかし、残念ながらその夢がかなうことはなかった。その理由は、いまも明らかになっていない。
テクノロジー業界でのキャリア
アントワーヌ・ド・マッシーは、わずか14歳で、もうひとつのつらい出来事を経験している。アルベール2世大公とシャルレーヌ公妃の民事婚が行われた当日、モナコのレーニエ3世大通りで5人の男から激しい暴行を受け、財布と携帯電話を奪われたのだ。その後、米国でプロテニスの道から離れ、マイアミにあるフロリダ国際大学で国際関係学を学んだ。フランス語、英語、スペイン語の3カ国語を操るアントワーヌは、やがて起業の道へ進み、テクノロジー分野を専門とするようになった。モナコに戻った彼は、2021年、地元の商店やモナコ国内の事業者向けアプリ「Instant Tech」を共同設立した。
控えめで目立つことは好まなかった
モナコ公室の一員でありながら、謙虚で控えめな起業家だったアントワーヌ・ド・マッシーは、決して人々の注目を集めようとはしなかった。その人柄を物語るのが、インスタグラムのアカウントだ。フォロワーはわずか1280人で、投稿した写真も3枚だけだった。最後の投稿は、夏に船のデッキで撮影されたもので、2021年のものだった。アントワーヌが参加していたのは、モナコ公室の主要な行事に限られていた。2025年11月19日には、モナコの「ナショナル・デー(建国記念日)」の祝賀行事の一環として執り行われた感謝のミサとテ・デウム(賛歌)の式典に出席している。葬儀の日程は、現時点ではまだ発表されていない。
From madameFIGARO.fr
※この記事は、フランスの新聞社「Le Figaro」グループが発行する「madame.lefigaro.fr」で掲載されたものの翻訳版です。データや研究結果はすべてオリジナル記事によるものです。
- text: Solene Delinger (madame.lefigaro.fr)
- translation: Hanae Yamaguchi