転職と天職 ー 陶芸作家マティルド・マルタンのうつわ作り。
特集
料理人からソムリエへ。ソムリエから陶芸作家へ。マティルド・マルタンの人生は、ひとつのキャリアで終わらない。現在彼女が情熱を注ぎ、生業としているのはセラミック。始めて4年に満たないものの、彼女が提案するシンプルなうつわにはすでにコアなファンがいる。
マティルド・マルタン。パリ近郊、美しい自然光が差し込むアトリエにて。
素焼きや自然な色調の彼女の陶器には、光の効果が重要な役割を果たす。
マティルドが陶芸に親しみ始めたのは7歳の頃。それはデッサンやダンスなどと同様に子どもの習い事のひとつだったが、これだけは時期によっては少し離れることがあっても趣味としてずっと続けていたことだという。リセの後、彼女は大学では美術史を専攻した。
「それは文化全般を知りたい、知識を得たいということで。古代文明からいまの時代にいたるまでの芸術史を学び、あらゆるムーブメントを学び、とても興味深かった。でもセオリーばかり。ただ学ぶだけというのは私には向いてない、自分の手で何かしたいという必要を感じて、2年で大学を辞めました」
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情熱は料理からワインへ、そしてワインから……。
そしてガストロノミーの世界へ。専門学校で料理を学んだ後、彼女はロンドンへ向かった。
「日本料理店で1年働きました。学校で学んだのはフランス料理だったのだけど(笑)。『KOYA』という家庭料理店で、うどんを作っていました。フランス料理を学ぶことは非常におもしろかったけど、日本料理はまったく異なります。日本料理では私たちの身体に大切な素材を用いていて、とても厳格なプロセスも好き。それに健全で……同じくらい気に入ったのはその美意識。シンプルで美しい。シンプルだから美しい。これは私の人生、私のキャリアにおいて重要なことなんです」
和食を作るうち、徐々にワインへと興味が移行していった。それも自然派ワインに。今度は学校ではなく、ソムリエやブドウ栽培者たちから彼女は多くを学ぶ。畑にも随分と足を運んだ。化学物質無縁の栽培者たちの職人仕事による100%ナチュラルで、少量生産のワイン。
「学ぶうちに、あるところで料理よりワインへの興味が勝ることになって。私の場合、常にこのように動いていくのですね。あれこれやってみようと思って……。ロンドンではレストランのワインリストを作り上げる仕事から始め、そしてソムリエとして働きました。パリでも2年、ソムリエを。何がきっかけかはわからないけれど、その間に再びセラミックに取り組み始めたんです。きっと手仕事が自分に不足してる、って感じたのでしょうね。子どもの時に陶芸が気に入ったのは、具体的なものを自分の手で作り出すこと、結果が出ること、していることの当時者であること。オーガニックで、陶器作りはとても満足のゆくことです」
花とうつわの新しい関係。
仕事の合間に時間ができるや共同アトリエに向かい、陶器作りに励んだ。作って、作って……そうするうちに今度はワインより陶芸へと情熱が移り、趣味として陶芸を再開してから半年後、ソムリエの仕事を辞めることに。
「正気の沙汰じゃない、何考えてるの……と心の中で思ういっぽうで、いまこれをしなければ、と感じたからです。でも、これが最後の職かどうかはわかりませんよ。というのも、人生にたったひとつのキャリアというようには、私は思ってないから。あれこれいろいろなことに手を触れるたちなので……。でもいまはとても快適で、仕事を変える気はありません(笑)」
陶芸家ではルーシー・リーの仕事に興味があるが、ブランクーシ、バーバラ・ヘップワースの彫刻、それに写真や絵画も彼女にインスピレーションを与える。
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芸術的な職人仕事が感じられる陶器を。
現在のパリ近郊にあるアトリエは彼女ひとりのスペース。彼女は機械回しのろくろを使わず、すべての工程を手作業する。
「当時作っていたのも、いま作っているのと似ています。たとえば、セラミックに転向して最初に作った白い素焼きの花器。知り合いのレストランにずっと貸していたのを、先日引き取ったところですが、いま私が作る花器にとても近い。こうしてあらためて眺めてみると、当時以上に興味深いものに自分には思えます。シンプルで素朴なのは私のスタイルだけど、これは特に何かをするために探した結果ではなく、素材に対峙した私からごく自然に生まれたもの。私のスタイル、それは私自身なんです」
マットな釉薬で焼いた花器。
陶器に専念し、インスタグラムで作品を紹介し始めたら、マレ地区で花屋「Castor-Fleuriste(カストール・フルーリスト)」を営むルイ=ジェロー・カストールからコンタクトがあった。ちょうど彼もアートディーラーから花屋に転身した時期だった。
「私の陶芸作家の初期のキャリアにおいて、彼は大変重要な人物です。彼と出会ったおかげで、アートオブジェクトではなく花のためのうつわ作りの欲を得たのですから。アトリエに彼が来て私の花器を見て、あれこれ話をして……そのまま購入する場合もあれば、もう少しこれの大きいのを、というふうに、いまもずっとコラボレーションを続けています。私は花の知識はまったくなく、また花器を作る時も、そこに生けられる花をイメージするということもありません。仕上がりを見た時に“ぴたりと調子が合ってる”と感じられる花器には、あらゆるブーケをあしらうことができると思います」
「カストールとの出会い、これは私にとって大きな幸運でした」とマティルドは語る。
カストールが睡蓮に選んだのは、チューブ状の花器。photo:Castor-Fleuriste
花屋のCastor-Fleuriste(14, rue Debelleyme 75003 Paris)。ヴァージル・アブロー、クリストフ・ルメール、ガイア・レポシなどファッション界にもカストールの花のファンが大勢いる。photo : Castor-Fleuriste
彼は店でマティルドの花器に花を生けるだけでなく、販売も行う。パリ9区で作家の陶器を扱うブティック「Nous Paris」では、花器と食器を扱っている。マティルドはお皿やボウル、最近はマグも、というように食卓の陶器も手がけていて、彼女のうつわで食事ができる店もある。たとえば11区のレストラン「Jones」。年頭にオープンしたプラスチックゼロホテルの「Hoy」内のヴィーガンレストラン「MESA」でも、使用する一部は彼女の陶器だそうだ。ヨーロッパ、アメリカ、サウジアラビアなどフランス以外の国のレストランからも注文を受けた。
現在準備しているのはイタリアのアグリツーリズムの宿屋用の食器である。彼女に声をかけるとは、オーガニック繋がりの的を得たセレクションである。和食にも似合う彼女の食器……さて、パリではどこの日本食レストランが一番乗りするだろうか。
「中国、韓国、日本……アジア諸国の食器も私のインスピレーション源です。フォルムの点でどれもユニークで、私が素晴らしいと思うのはテクニックそして正確さ。私が創作する食器は、入念に仕上げられてありつつも手で作ったことが見えることを意識しています。オブジェを手に取った時に、機械生産ではなく誰か人間が作ったものだと理解されること、芸術的な職人仕事が見えることを望んでいます」
手作りのうつわなので、一点ずつ微妙に異なる。photo:Nous Paris
マティルドの花器、そして食器を販売するブティックNous Paris(19, rue Clauzel 75009 Paris) では、実際に作品を手にとれるのがうれしい。写真はInstagram @nous_parisより。
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土と向かい合い、フォルムが生まれる。
「セラミックにはたくさんの可能性があります。窯で焼くにしてもガス、電気、薪があり、釉薬の仕事も……。テクニックにしても世界中に多数あります。常に学び、常に改善してゆくというのがおもしろい。前へと導くのは私自身。たとえば、先にお話しした白い素焼きの花器。現在していることと一貫性があるといっても、この3年半の間に私が学んでいったこと、理解したことなどがいまのうつわにはプラスされているのです」
陶器の素材は砂岩である。彼女が興味を持っているのは石の持つニュートラルなトーンで、触感はすべすべではなく、ごつごつしていて土っぽいこと。それにいちばん合致する素材が砂岩なのだ。地方によっていろいろな色調が砂岩にはあるが、カオリンに富んでいて白っぽさが出るブルゴーニュ産の砂岩を彼女は使用している。新しいことを学ぶこと、試してみることが好きだというマティルド。すべて独学である。
小皿21ユーロ〜。
「陶器の仕事で私を興奮させるのはフォルムです。これはいまも昔も変わりません。これが最も重要なこと。釉薬に興味がわいたのは、一年くらい前のことです。おそらくフォルムから次の段階に移れる時が来たと感じたからでしょうね。フォルムを作り上げることがスムーズになったことで、ほかのことにも時間を割けるようになった……。釉薬は既成のものは使用せず、自分で配合しています。窯の温度を違えることで、釉薬のエナメル効果も異なります。窯はとにかくたくさんの可能性を秘めた信じられない化学そのもので、それを探求しないのは残念。窯を開いて、美しい色が出た時大きな満足感があります。工程ではうまくゆかない部分もあるけれど、年月とともに、うまくいくこといかないことというのは見えてくるもので、エラーの数は減ります……でも、エラーからも学ぶことはたくさんあります」
毎週土曜にワークショップを開催している。
「ストックを持たず、事前予約制で制作することにしました。エシカルだし、注文を受けてから作る方が興味深いので。それに使い手にとっても、3〜6週間待ったことで別の価値がプラスされると思います」。オーダーは彼女のサイトにて。
マット、艶っぽい光沢、あるいは輝きと仕上がりもいろいろに、ニュートラルなトーンはキープしつつ、あれこれ試したいと思っている。アトリエの片隅には、どことなく箸置きを思わせる複数の小さな長方形の陶片が。料理人の夫がいつか店を開く時に備え、実験的に作っているインテリア用の砂岩のタイルだそうだ。いずれ室内建築家とも仕事をしてみたいとも思うマティルドだが、目下おおいに関心を寄せているのは韓国で手作りされるアンギーという巨大な壺。これは韓国まで出かけて行き、そのテクニックを実地で学びたいと考えているほどだ。
「始めた当時は、直感に従って作業をしていたので仕事時間は決まっていませんでした。最初の頃やっかいだったのは、インスピレーションが湧かない時もあれば、いままさに!というような時は帰宅したくなくって……でも、いまは昨年生まれた小さな子どもがいるので、アトリエで過ごすのはオフィス勤めのような時間帯です。しっかりと予定をリストして、自分を枠にはめこんで規律正しく作業しています。ひとつ仕上げるのに3〜6週間かかるので、時間をオーガナイズすることはとても大切なんです」
こう語るマティルドの目は、アトリエの壁に貼られた日程表へと。そこには色違いのペンでびっしりと細かい書き込みがなされていた。
www.mathildemartinceramic.com
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réalisation : MARIKO OMURA