2つの美術館で同時に開催される『ピカソ-ロダン』展。

PARIS DECO

ユニークで見逃せない展覧会がパリで開催される。フランス芸術界の2大巨匠であるパブロ・ピカソ(1881〜1973年)とオーギュスト・ロダン(1840〜1917年)のそれぞれのパリの美術館が共同で『ピカソ-ロダン』展を企画したのだ。ふたりの巨匠を巡るひとつの展覧会が2カ所で、という珍しい展覧会には絵画、彫刻、デッサン、陶器、写真……合計500点の作品が展示されている。ピカソ美術館にピカソとロダンの作品、ロダン美術館にもピカソとロダンの作品。ほとんどが2つの美術館の所蔵品というから、パリゆえに実現できた驚くほど贅沢な展覧会といえる。

210223_pdw01.jpg

展覧会のポスターに並べて使われているのはこの2作品。左:オーギュスト・ロダン『考える人』 © musée Rodin - photo Hervé Lewandowski 右:パブロ・ピカソ『読書する大水浴女』(1937年2月18日) Photo ©RMN-Grand Palais / Mathieu Rabeau, © Succession Picasso 2021

両者が活躍した時代はずれるものの、同時代のほかのアーティストとは異なる新しい方法を試し、芸術界にモダニティをもたらしたという共通項のあるふたりの巨匠。会場ではふたりの作品が常に対話するように展示されているが、これはピカソがロダンの何を取り入れたかということより、ロダンの作品とピカソのさまざまな時代における作品に見られる意味深い類似の観察、創造との関係がふたりにおいて同じであることに注目することを趣旨としているので、知っているそれぞれの作品を新たな視線で見直す機会だ。

ところでこのふたりは実際に会ったことがあるのだろうか、は気になるところでは? ピカソの伝記を書いた美術史家によると、ある画家が甥の洗礼祝いを1906年にバトー・ラヴォワールで開催した時に、ロダンもピカソも招待したそうだ。もっとも、実際にふたりがここで会ったかどうか証拠も証言もない。

ピカソ美術館あるいはロダン美術館、どちらを先に見るかは鑑賞者の自由だ。あいにくと、フランスの美術館がいつ再開できるかはいまのところ未定。でも会期は来年の1月2日までなので、それまでに安心して海外旅行ができるようになることを期待しよう。

---fadeinpager---

ピカソ美術館の『ピカソ-ロダン』展

210322_IMG_0066.jpg

ピカソ美術館でロダンの『考える人』に出会うとは!!!! photo:Mariko Omura

ピカソ美術館ではふたりのクリエイションのプロセスにポイントが置かれて構成されている。最初に来場者を出迎えるのは、1901年のピカソの自画像とロダンの代表作のひとつである『バルザック記念像』(1891〜98年)だ。バルザックの人物および作品に魅了されていた両名。会場の2階ではバルザックをテーマにひと部屋設け、ロダンによる裸のバルザック像、ピカソによるバルザックの小説を彷彿させる作品なども紹介している。

210322_IMG_0180.jpg

来場者を出迎えるピカソの自画像とロダンのバルザック記念像。photo:Mariko Omura

展示の最初の部屋は「アルマ館におけるロダン展」。パブロ・ピカソが初めてパリを訪れた1900年、世界万博で街は賑わい、そしてその会場に近いアルマ館でオーギュスト・ロダン展が開催されていた。『ピカソ-ロダン』展はここから始まる。ピカソも訪れたであろうとされる会場が再現され、ロダンがピカソに与えた衝撃を来場者も感じられる次第だ。次いで、「ピカソのロダン時代」へと。ロダンがこの時期の若い芸術家たちに与えた影響は大きく、ピカソもバルセロナのアトリエにロダンを特集する美術誌から切り取った『考える人』の写真を飾っていたほどだ。ピカソの初の彫刻作品『座る女』は1902年に制作されている。

210322_IMG_0041.jpg

始まりは1900年、アルマ館のロダン展。photo:Mariko Omura

身体の彫刻を解体し、再構築し……時代も場所も異なれどふたりにとってアトリエは素材やフォルムにおいて種々の実験を試みる場所だったことが明かさるのが、次の「フォルムの実験室としてのアトリエ」の部屋だ。これに続いて、ふたりのアトリエがそれぞれ再現されている。白い空間のアトリエで彼らが試みたアッサンブラージュ、リサイクル、シリーズといった創造過程への挑戦については上階で具体的に展開される。

210323_pdw02.jpg

左: ムードンに1895年にアトリエを構えたロダン。光に恵まれた白い空間の雰囲気が再現された。 右:ブラッサイの撮影した写真が残されている、ノルマンディー地方のボワジュループのピカソのアトリエ。1930年から36年まで、ここで制作した。パリから離れた仕事場は、妻オルガの目を逃れて愛人と密会するのにも好都合だったようだ。photos:Mariko Omura

---fadeinpager---

1階から2階へと移動する際、ロダンの巨大な『考える人』像に迎えられる。これはこの展覧会のために、ロダン美術館から貸与された石膏像だ。2階では、ふたりに共通するテーマが、「未完成」「シリーズ」「バルザック」「収集の実践」「ビオモーフィズム」「アッサンブラージュ」「空間との関わり」の順に展開する。

210323_pdw03.jpg

左:「未完成」をテーマにした部屋。「作品を仕上げるというのは、作品を殺して命を奪うようなものだ」と語ったピカソ。素材の表現力に作品の魂を見いだすのはロダンも同様で、使った道具の跡も、創作過程に起きたアクシデントもそのままふたりは残していた。 右:「ビオモーフィズム」の部屋では、生命がインスピレーション源のピカソの絵画とロダンの彫刻を展示。photos:Mariko Omura

210322_IMG_0085.jpg

ふたりとも熱中型で、ひとつのテーマをシリーズで展開する仕事の進め方をした。ロダンによるクレマンソーの4つの頭像も会場に展示されている。photo:Mariko Omura

210323_pdw04.jpg

両者がコレクションした品を一室にまとめて展示する「収集の実践」の部屋。ロダンもピカソも揃って所蔵していたのは、ルノワールの絵画だ。photos:Mariko Omura

210322_IMG_0133.jpg

「アッサンブラージュ」。異なる素材を寄せ集めて制作したふたりの作品をコラージュも含めて展示。両者とも制作に用いた素材が豊かで、拾い物のようなリサイクル素材も含まれている。photo:Mariko Omura

210322_IMG_0157.jpg

「空間との関わり」の部屋から。横並びで展示されている、空間を押し分けて進む聖ジャン・バティスト像(中)、ピカソの『羊を抱く男』像(右)。これらは動きを空間に感じさせるキネティックな視覚効果を取り入れていて、公共スペースのための作品のコードを打ち破るものだった。photo:Mariko Omura

『Picasso-Rodin』展
開催 美術館再開以降〜2022年1月2日
Musée national Picasso-Paris
5, rue de Thorigny
75003 Paris
www .museepicassoparis.fr

---fadeinpager---

ロダン美術館の『ピカソ-ロダン』展

210322_IMG_0190.jpg

ロダン美術館ではまずロダンとピカソの彫刻に迎えられる。横から眺めると、『考える人』、アンヴァリッド(廃兵院)、エッフェル塔が背景だ。photo: Mariko Omura

ロダン美術館の会場では両者に共通するテーマ別に構成され、作品を多数対峙させている。ロダンの彫刻に親しむのが難しいという人にも、ピカソの作品との関わりを介しての鑑賞なのでなじみやすいだろう。また、これまであまり公開されることのなかった作品の展示もあり、多くの発見を楽しめる展覧会だ。

「自然との関わり」「現実との新しい関わり」 

エントランスの通路の左側では「自然との関わり」をテーマに展示されている。ふたりの観察眼を刺激し、好奇心をかきたて、創作の過程に取り込まれた自然。ふたりが自然を発見し、驚かされ、それを創作の源としていたことが展示作品からよく理解できる。通路の右側のテーマは「現実との新しい関わり」。1880年以降、ロダンはありのままを写実することより表現主義へと。ピカソもまた新しい形での人物表現法を求めた画家である。ふたりによる多くの“顔”が通路に並べられている。

210322_IMG_0240 2.jpg

ロダンは柊の枝(左)、ピカソは蝶々(右)。限りある命の美しさを作品にとりこんだ。photo:Mariko Omura

210326_paris_01.jpg

ロダン美術館の展覧会で最初に目に飛び込むのは、この2作品。左はピカソの『ラ・セレスティーナ』(1904年)、角膜剥離の女とサブタイトルされる作品だ。右はロダンの『ジャンヌ・ドゥ・フィエンヌの頭部』(1887年頃)。代表作『カレー市民』の中のひとりである。

「プリミティブへの迂回」

20世紀の初頭、両者は古典期以前の様式に興味を引かれる。ロダンは古代ギリシャ、エジプトの芸術に、ピカソはイベリア半島およびアフリカの古代芸術に。彼らはこうした興味により当時の因習を打ち破り、新しい形式の発見へ導かれたのだ。

---fadeinpager---

「地獄門- ゲルニカ」

ピカソの『ゲルニカ』のタピスリーとロダンの『地獄門』の石膏が対峙する一室。後世の芸術家に多大なる影響を与えた2作品はどちらもサイズは規格外の大きさで、そしてどちらも恐怖、苦悶、残忍性が埋め尽くしている。炎に包まれた身体、耐え難さに歪む顔、不安定な人体、涙する女……。『地獄門』は1900年、『ゲルニカ』は37年の世界万博でそれぞれ最初に発表されていて、両者とも制作過程が写真、映像で記録に残されているという点でも共通だ。

210323_pdw05.jpg

『ゲルニカ』のタピスリーと『地獄門』の石膏が向かい合う部屋。ピカソの『ゲルニカ』はマドリードに行かないと見られないが、展覧会場を出たらロダンの『地獄門』を庭で見ることを忘れないように。photo:Mariko Omura

210322_IMG_0208.jpg

ともに泣く女がライトモチーフ。photo:Mariko Omura

「身体とムーヴメント」

ロダンもピカソも素材や表現法を変えて、人間の身体の表現を追求した。静止であれ、動きであれ、両者の作品には人体の思いもかけないポジションが見られる。ロダンがダンスにインスパイアされた作品の点数は多く、2018年にはロダン美術館で『ロダンとダンス』展が開催されたほど。コンテンポラリーダンスや民族舞踏に、彼は踊る身体、アナトミーへの興味をかきたてられたのだ。小さな展示空間だが、作品が放つダイナミックなエネルギーに満たされている。

210322_IMG_0260.jpg

中央はピカソの『ブルーのアクロパット』(1929年11月)、その右はロダンの『ダンスの動き』(1911年)。photo:Mariko Omura

「エロスと身体の変容」

女性の身体への飽くなき崇拝もピカソとロダンに共通して言えることだ。さらにその発展として抱擁する男女も、ふたりの創作欲を大きく刺激。抱き合う男女の姿を大胆で意外なポジションへと彼らは発展させている。出口近くの一角は、セクシュアリティの激化として、ミノタウロスにインスピレーションを得たふたりの作品の展示。

210322_IMG_0290.jpg

会場ではピカソの『接吻』(1969年)とロダンの『接吻』(1885年頃)を並置。展覧会のカタログの表紙にもロダンの『接吻』の男女の顔をクローズアップして、この2作品を使用している。photo:Mariko Omura

210323_pdw06.jpg

左は『イリス、神の使者』(1895年)、右は『アイ・アム・ビューティフル』(1886年)。ロダンの彫刻はコンテンポラリーダンスの振り付け家たちの大いなるインスピレーション源といえそうだ。photos:Mariko Omura

210322_IMG_0302 2.jpg

ロダン美術館での展覧会を締めくるミノタウロスのコーナー。photo:Mariko Omura

『Picasso-Rodin』展
開催 美術館再開以降〜2022年1月2日
Musée Rodin
77, rue de Varenne
75007 Paris

réalisation : MARIKO OMURA

RELATED CONTENTS

BRAND SPECIAL

    BRAND NEWS

      • NEW
      • WEEKLY RANKING
      SEE MORE

      RECOMMENDED

      WHAT'S NEW

      LATEST BLOG

      FIGARO Japon

      FIGARO Japon

      madameFIGARO.jpではサイトの最新情報をはじめ、雑誌「フィガロジャポン」最新号のご案内などの情報を毎月5日と20日にメールマガジンでお届けいたします。

      フィガロジャポン madame FIGARO.jp Error Page - 404

      Page Not FoundWe Couldn't Find That Page

      このページはご利用いただけません。
      リンクに問題があるか、ページが削除された可能性があります。