68歳で急逝したカトリーヌ・ランジェ。「アーティストの血」を継ぐ3人が選んだ芸術の道とは。

Culture

9月15日(火)、68歳で亡くなったフランスのポップ・ロック・グループ「レ・リタ・ミツコ」のアイコン、カトリーヌ・ランジェ。フレッド・シシャンとの間には、3人の子どもがいる。3人はそれぞれ、芸術の世界で自らの道を選び歩んでいる。

2007年、テレビ番組「ヴィヴマン・ディマンシュ」の収録に参加するレ・リタ・ミツコのフレッド・シシャンとカトリーヌ・ランジェ
2007年5月2日、シャルル・アズナブールを特集した番組「ヴィヴマン・ディマンシュ」の収録に参加したレ・リタ・ミツコのフレッド・シシャンとカトリーヌ・ランジェ。photography: Bertrand Rindoff Petroff / Getty Images

カトリーヌとシシャンにとって、音楽は長い間、日常生活の一部だった。カトリーヌ・ランジェがフレッド・シシャンと出会ったのは1979年、マルク・Oとジュヌヴィエーヴ・エルヴェによるミュージカル「Flashes rouges(フラッシュ・ルージュ)」に出演していたときのことだった。だが彼女は、この出会いが自らの人生を変えることになるとは、まだ知る由もなかった。ギタリストのシシャンは、彼女に舞台を離れ、ふたりで自分たちのグループを結成しようと持ちかけた。ふたりはまず「レ・スプラッツ」を結成。その後、「レ・リタ・ミツコ」として活動し、1984年には「マルシア・バイラ」のヒットで成功を収めることになる。

同じ1984年、カトリーヌ・ランジェは初めて母親となった。1984年にジンジャーが生まれ、1990年にシモーヌ、1992年にラウルが誕生した。ふたりはその後、家族生活と音楽活動を両立させながら歩んでいたが、2007年11月28日、フレッド・シシャンが死去した。そして19年後の2026年、カトリーヌ・ランジェも68歳でこの世を去った。3人の子どもたちは、AFPに送った声明で母親の死を公表し、9月14日夜、急性のがんにより亡くなったことを明らかにした。

ジンジャー・ローマン、家族の中で女優の道を選んだ娘

1984年3月1日生まれのジンジャーは、両親とは異なり、音楽ではなく映画の道を選んだ。スタジオ・ピグマリオンで演技を学んだ後、ジンジャー・ローマンを芸名とし、映画やテレビで数々の役を演じている。2010年にはイジルド・ル・ベスコ監督の『Bas-fonds』に出演し、その後、ジャン=ポール・ルーヴ監督の『愛しき人生のつくりかた』(2014年)、『Voir du pays』(2016年)、『オーケストラ・クラス』(2017年)にも出演した。また、Canal+のドラマ「Le Bureau des légendes」シーズン2では、3話にわたってヴィオレット役を演じ、ドラマ「Chérif」の1エピソードにも出演している。女優としては、2017年にマノン・サロー演出の舞台「Ça coule de source」にも出演した。さらに、レ・リタ・ミツコが制作したミュージックビデオのひとつ、「Même si」にも登場している。3人きょうだいの長女であるジンジャーは、妹と弟とは異なり、音楽を主な活動にすることはなかった。現在も映画、テレビ、舞台の世界でキャリアを続けている。

1994年、カサブランカのコンサートで演奏するレ・リタ・ミツコのカトリーヌ・ランジェとフレッド・シシャン
1994年6月20日、カサブランカで行われたコンサートでのレ・リタ・ミツコのカトリーヌ・ランジェとフレッド・シシャン。
photography: Cecile TREAL / Gamma-Rapho via Getty Images

シモーヌ・ランジェ、グラフィックデザインから歌の世界へ

1990年生まれのシモーヌ・ランジェは、まずブリュッセルのラ・カンブルで美術とグラフィックデザインを学び、その後、音楽の道へ進んだ。2024年、「ミュージック ウェーブ」のインタビューで、彼女はこう語っている。「もともと私はグラフィックデザイナーで、イラストレーターでもあります。イメージに関する勉強をしていました。」その後、彼女の人生に音楽が加わった。きっかけとなったのは、2013年に兄のラウルとジョゼフ・デルマによって結成されたロックバンド「ミニュイ」である。彼女はクレム・オーベールやタンギー・トリュエと共に、バンドのリードボーカルを務めた。2015年に初のEPをリリースした後、グループは2017年の「ヴィクトワール・ド・ラ・ミュージック」賞で新人賞部門にノミネートされ、2018年にはアルバム「Vertigo」を発表した。母親と驚くほどよく似た容姿を持つ彼女は、音楽の道に進む決断についてラジオ局「フランス・アンテール」で尋ねられ、シンプルに次のように答えた。「アーティストの家系に生まれたなら、その道にすべてを捧げるか、あるいはまったくやらないかのどちらかよ。」「ミニュイ」での活動を数年続けた後、彼女はソロ活動を開始した。2023年には「Dance」をリリースし、翌年にはEP「Intentionnel」を発表。それ以来、音楽やビジュアルアートなど、多岐にわたるプロジェクトを展開している。2025年にはシングル「Bouche en feu」をリリースした。

父と同じくギタリストのラウル・シシャン

1992年生まれのラウル・シシャンは、父フレッド・シシャンと同じくギターの道を選んだ。ミニュイを結成するずっと前から、自身のバンド「Raoul and The Crazy Dog」などで活動していた。2007年に肝臓がんで亡くなった父との比較は、当然のように避けられないものとなった。父の死後、ラウルは母親のステージに同行するようになる。2019年、レ・リタ・ミツコの結成40周年を記念して、ラウルは姉妹のシモーヌとともにミニュイのメンバーとして、パリのフィルハーモニーで開催された公演「Les Amitsouko」に出演し、カトリーヌ・ランジェと共演した。この公演では、グループが複数のアーティストとともに、レ・リタ・ミツコの世界観をテーマにした一連のコンサートに出演した。

2020年、第35回ヴィクトワール・ド・ラ・ミュージック授賞式に息子ラウル・シシャンと共演するカトリーヌ・ランジェ
カトリーヌ・ランジェと息子のラウル・シシャンが、2020年2月14日、ブローニュ=ビヤンクールのラ・セーヌ・ミュジカルで開催された第35回「ヴィクトワール・ド・ラ・ミュージック」授賞式で共演した。photography: Stephane Cardinale – Corbis / Corbis via Getty Images

カトリーヌ・ランジェとフレッド・シシャンはすでに亡くなった。だが、彼らの3人の子どもたちは、それぞれ独自の分野で芸術活動を続けている。歩む道は三者三様だが、3人には、音楽と舞台に囲まれて育ったという共通の原点がある。

From madameFIGARO.fr

※この記事は、フランスの新聞社「Le Figaro」グループが発行する「madame.lefigaro.fr」で掲載されたものの翻訳版です。データや研究結果はすべてオリジナル記事によるものです。

  • text: Lovelly Ndinga Ikobo (madame.lefigaro.fr)
  • translation: Hanae Yamaguchi