是枝裕和監督にインタビュー!『箱の中の羊』で描く、AI時代における人間性とは。

Culture

文・立田敦子

是枝裕和監督のカンヌ国際映画祭への出品は、『箱の中の羊』で通算10回目、コンペティション部門への選出は8回目となる。1995年に『幻の光』でヴェネチア国際映画祭金のオゼッラ賞を受賞して以降、世界的な評価を得てきた是枝監督だが、とりわけカンヌとの結びつきは深い。『誰も知らない』では柳楽優弥が史上最年少で最優秀男優賞を受賞し、『そして父になる』では審査員賞、『万引き家族』ではパルムドールを獲得。近年も『ベイビー・ブローカー』『怪物』と、コンペ常連として存在感を放ち続けている。家族という制度の脆さや、血縁を超えて結ばれる関係性を繊細に描いてきた是枝監督が、新作『箱の中の羊』で挑んだのは、AIによって死者を再生するという今日的なモチーフだった。

カンヌ国際映画祭にて、フォトコールに登場した是枝裕和監督。(c)KazukoWAKAYAMA

主人公は、亡くした7歳の息子・翔の記憶や会話データをもとに生成されたヒューマノイドを家に迎え入れる音々(綾瀬はるか)と健介(大悟)という夫婦。再び家族を取り戻したかのように見えた彼らの日常は、その存在が次第に自律性を帯び、夫婦それぞれと異なる関係を築き始めたことで揺らいでいく。公式記者会見で是枝監督は、中国で実際に存在する死者をAIで再現するサービスに触れた経験が着想のきっかけだったと語った。「生きている人間が、死者の存在を自分たちの都合で操作していいのか」という疑問から出発した本作は、単なるSFではなく人間らしさや喪失の受容を静かに問いかける作品だ。

フォトコールで笑顔を見せる是枝組。綾瀬はるかはバレンシアガのドレスを纏って。(c)KazukoWAKAYAMA

監督自ら、新たな母性像に向き合った作品。

――この作品には多層的なレイヤーがあり、受け手によってさまざまな読み取り方ができると思いますが、個人的には母性についての映画として、とても興味深く拝見しました。本作は、従来の映画における理想化された母親像への抵抗を感じました。母性は自然に備わっているものだという幻想に対して、本作はかなり批評的ですよね。音々は、いわゆる理想的な母親としては描かれていない。そのリアリティがとても印象的でした。母親に対する幻想を打ち砕こうという意図はありましたか?

是枝 はい。僕が『そして父になる』をやった時に突きつけられた問いのひとつでもあったから、それにやっぱり応えていかないといけないなと思った。肝に銘じているんです。いろんな形でそれはやろうと。

――具体的にいうと?

是枝 『そして父になる』を撮った後のインタビューで、自分の実感としてなんですけど、子どもができた時にもうちょっと自分の中に父親、父性みたいなものが自然と芽生えるのかと思ったけれど、全然芽生えなかったという話をしたんです。その時に、母親はそうじゃないんですけど、という言い方をしてしまった。目の前にいた人間に急に母性が出てきたような話をした時に、インタビューが終わった後、ある女性が来て「いま母性が女性に生まれつきあるような言い方をされましたけれども、そんなことはない。それは男性の幻想で、あなたが父性を感じなかったのと同じように自分の中に母性を感じなくて苦しんでいる女性もたくさんいるということをわかってください」と言われた。それで、確かにと思って。それは僕が自分の狭い経験の中から発言していたことで、そのことに傷ついた人はたくさんいるなと思ったんです。それを反映させる形で『万引き家族』にも少しそういう要素を出しましたし、今回もかなりストレートに。根っこには母親との関係もありますし、それももうひとつの柱としてやろうと思っていました。

夫婦が亡き息子の姿をしたヒューマノイドと暮らし始める物語。Ⓒ2026 フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

――綾瀬はるかさんとは、どのようにこのテーマについて話されたのですか?

是枝 大事なところだったので、プロットの段階で綾瀬さんと相談しました。綾瀬さんに読んでもらった時に「私は母親との関係がすごく良好で、最初に読んだ時になんでこの人はこんなに母親のことを嫌っているんだろうとわからなかった」と言っていて。それで周りの同世代の友人たちに話をしたら、母親との関係をこじらせている人がすごく多かったそうなんです。なので「あ、これは特殊なことじゃないんだなってわかって、すごく良かったです」と言っていました。それも踏まえた上で、母子関係がどうこじれていくのかをきちんとふたりで話し合いながら書いていきました。

人間関係における言葉の重要性を描く。

――本作では、言葉もひとつのポイントになっています。音々は子どもの頃、母親に「お母さんをやめる」と言われたことがトラウマになっているわけですよね。言えなかったこと、言いたかったこと、言ってしまったこと。人間関係における言葉の重要性に関してはどうお考えですか?

是枝 そうなんですよね。健介は言えなかったことで苦しんでいて、音々は言ってしまったことで苦しんでいる。ヒューマノイドを迎え入れるか、入れないか、事故なのか、事件なのかもそうですが、ふたりの中での認識はずっとずれている。その一点をとっても、まったく違う目で息子を見ているということは考えていました。だからそういう意味で、言葉をどう乗り越えていくかということは大事な要素でした。

ヒューマノイドを迎え入れ、やがて本当の息子のように接していく。Ⓒ2026 フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

――健介はヒューマノイドを家に迎えることに最初はそれほど積極的ではなかったと思いますが、最後に健介が「でも謝れたから、よかったよ」と言う場面があります。あの言葉がとても響きました。亡くなった人に対して言いたかったことを抱えているという状況は、本作を撮る上で大きなポイントになったのでしょうか?

是枝 ポイントにはなりました。それは僕がやっぱり父親に言いたかったことがあるから。誰でもありますよね、そういうことって。それは大きな軸のひとつでした。最初はそこまでで終わっていたんですよ、話は。もう少しヒューマノイドを返すのを先に延ばして、3人で暮らしていこうかというところで終わっている話だった、最初のプロットは。ただそれで終わってしまうと、ちょっと死者が都合よすぎるなと思ったんです。生きている人にとって。謝れなかったことが謝れたとか、それがゴールではないなと思った。家族、家の中の話で閉じてしまうし。そこはゴールではない。もう一回、きちんと手放すプロセスを描くべきだと思ったので、そこから後半を書き直したのがいまの脚本という感じです。

――撮影をしながら脚本を書き直したのですか?

是枝 クランクインの前に、一応そこまでは直していました。ディテールはまだ詰めていなかったので、撮りながらいろいろ重ねていったところはあります。

ガラスと木が結婚のメタファーに。

――後半で印象的なのが森のイメージです。あの場所は死者の世界であると同時に、人間とは異なる知性のネットワークのようにも感じられました。

是枝 死者が帰る場所として、森を考えました。それから木が連帯して持っている知性のあり方と、AIがもし独自の社会を作った時に連携していくあり方が、すごく似ているなと思ったんです。木についての本をけっこう読んでいるんですが、木には知性があるということがかなり科学的に証明されてきているんですよ。それがすごくおもしろかった。森や木の存在は、この映画の中でとても大事なイメージになっています。

――夫婦ふたりのキャラクターを意図的に対比されていたように思います。妻はクリーンで硬質な印象ですが、夫は大悟さんの方言を活かして少し粗野な感じを出していますよね。

是枝 大悟さんの方言は、島言葉と岡山弁と大阪弁が混じっているんです。今回はガラスと木というのがポイントのひとつでした。異質なものが同居する、ということ。家もガラスと木で、風呂場だけがヒノキなんです。風呂場は工務店を経営している夫が作った空間で、他の部分は建築家の妻の設計。建築家の西沢立衛さんの本の中に「建築の基本は、異質なものをどうやって協調、調和させるか。それが大変難しいし、おもしろい」ということが書かれていた。それを読んだ時、僕の映画の作り方、スタッフィングやキャスティングの時の基本とすごく似ているなと思ったんです。

――ある意味、それは結婚にも同じことが言えますね。この夫婦を木とガラスとして考えられた。

是枝 そう。結婚にも同じことが言えますね。ガラスと木。

建築家の妻と工務店を経営する夫。ふたりのヒューマノイドの受け止め方は異なる。Ⓒ2026 フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

――あの家は、ふたりの結婚のメタファーにもなっていますね。

是枝 そのつもりです。ただ当初は、あそこまで特徴的な家が見つかるとは予想していなかったので、あの家を見つけた時、ロケでいけると思いました。

――『星の王子さま』がスノードームによって強調されていますね。本作には、目には見えないけれど、確かに存在しているものへの眼差しが流れているように感じます。水やりのシーンも印象的でした。

是枝 水やりのシーンを指摘されたのは初めてですね。これも実は西沢さんの本から来ているんですが、建築にとっていちばん大切なのは目に見えないところだ、と書いてあったことが心に残っていて。脚本をどんな順番で発想していったのかは覚えていないですが、この言葉が大きかったのは間違いないです。見えないものに気づけないヒューマノイドと人間の話から始めようと思っていたので、そこが建築とリンクしていくといいなと思っていました。

――箱の中という考え方は家であり、自らの自己規定やトラウマに閉じ込められているという意味でもあるのですね。

是枝 どちらもあります。まず絵本から始めて『星の王子さま』の要素を縦軸で引っ張っていた時に、形を変えようと思ってスノードームを持っていたことを思い出したんです。パリの『星の王子さま』の専門店で買ったものがずっと家にあった。アンドロイドの翔がスノードームという箱から王子を外へ出す話と、彼自身があの家から外へ出る話を重ねようと思いました。

――グリーフケアに関しては、余貴美子さん演じる音々の母が言及しますが、本作を作るにあたってリサーチをされましたか?

是枝 具体的にはしていないですね。一時期キューブラー=ロスの本を読んで、自分の中にある5段階のグリーフの階段をどう登るかということを考えていた時期があったので、その時の知識がベースになっています。身近でそういう人を見ていた時にも、多少の違いはあるけれど確実にその段階を踏んでいく。脚本を書く上でもすごく参考になりました。人間の変化を書こうと思った時に、あの本はとても参考になった。

監督はAIという存在をどう捉えるのか。

――ちなみに、AIにはどの程度興味があるのでしょうか。

是枝 ないように見えましたか(笑)?

――是枝初のSF映画という見え方が先行していましたが、実際にはテクノロジーそのものより人間の感情や喪失を描いた作品だと感じました。監督ご自身は、AIという存在をどのように捉えているのでしょうか。

是枝 それを言われると、ちょっと痛いところがあるんですけど(笑)。中国のニュースに触れた時に興味があったのは、AIというよりは死者が蘇るというところだったんです。いま考えると、ですけど。今回はヒューマノイドを先端で研究されている方に何人かお会いして取材したり、本を読んだりしてリサーチしました。でもその結果、映画で描かれているほどロボット工学は進化しないと思ったんです。良かったなと思いました。ロボット工学の研究者からすると、ここまで人間に近づけるモチベーションがないと言う。限られた予算とか研究者の数で考えると、何か強い動機がないと無理だと言われて、なるほどと思いました。

――いまのところ、AIは既存のものからしか学べず創造はできないという段階だと思いますが、AIは是枝さんにとってどんな存在ですか?

是枝 実は今回、初めてChatGPTに脚本を読んでもらったんです。一度も使ったことがないのに、こんな映画を作ってはいけないなと思ったから、プロデューサーと相談して初稿を読ませました。すぐに返事が来てすごく褒めてくれた。「ただ主人公のお母さんの人物造形をもう少し深くすると、より主人公が立体的に見えてくると思います」みたいなアドバイスもしてくる。でも正論しか言わない。僕は映画制作時には、監督助手という素人に近い荒削りの人に、自由に意見を言わせているんです。その意見がすごく役に立つんです。そういう意見は、どういう家庭に育ったとか、どういう体験をしてきたとか、その人なりの背景から出てきたアイデアなんです。そういう個人的なものでしか作品を動かせないんですよ。それと僕の映画の作り方で言うと、脚本はあくまでもベースで、役者とスタッフと僕の中であれこれしながら現場で生まれてくるものがとても大切なんです。今回もいちばんおもしろかったのが、施設に送る写真を選ぶところ。脚本には子どもの写真を選ぶとしか書いていない。だけど、その写真の中で綾瀬さんが子どもと水遊びをして笑っている。本当に楽しかったんだよね、きっと。それを見ている大悟さんの顔を見ていたら、あ、この男は子どもじゃなくて妻を見ているなと思ったわけです。きっと失われてしまったこの笑顔が、この写真に閉じ込められている。だからこの男はヒューマノイドを受け入れようとしているんだというふうに、僕がもともと書いたのとは違う何かがそのシーンで見えてきた。それで大悟さんに「脚本と違うんですけど、綾瀬さんの画像をちょっと大きくしてください」と変更して、あのシーンが生まれた。そういうのが楽しいというか、それがクリエイション。AIにはそういうことはできないでしょう。だから僕の映画制作の現場における大切なものは、かなりAIから遠いところにあるなと感じました。余談ですが、プロデューサーが「この映画が完成した時に、映画祭はどこがいいと思いますか?」とChatGPTに聞いたら、「カンヌ映画祭のある視点部門がいいと思います」と答えてきた。それでプロデューサーが「監督は是枝なんですけど」と返したら、「コンペで間違いなしです」って。相当いい加減。だから、あまり当てにしないようにしています(笑)。

子どもを亡くした夫婦を演じる綾瀬はるかと大悟(千鳥)。Ⓒ2026 フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.
問い合わせ先

『箱の中の羊』
⚫︎監督・脚本・編集/是枝裕和
⚫︎出演/綾瀬はるか、大悟(千鳥)、桒木里夢、清野菜名、寛一郎、余貴美子、田中泯
⚫︎2026年、日本映画 ⚫︎125分
⚫︎配給/東宝、ギャガ ⚫︎5月29日より、全国にて公開
https://gaga.ne.jp/hakononakanohitsuji/

>>立田敦子のカンヌ国際映画祭レポート2026

立田 敦子

映画ジャーナリスト

映画ジャーナリスト/評論家/モデレーター/コンサルタント 
雑誌、新聞、ウェッブサイトなどの多数メディアに映画批評、映画祭レポート、インタビューを寄稿。トークイベントにやメディア出演も。著書に『おしゃれも人生も映画から』(共著/中央公論新社)。ほかゴールデン・グローブ賞インターナショナル・ヴォーター。エンターテイメントメディア「Fan’s Voice」主宰。
  • editing: Momoko Suzuki