恋リア出演経験もあるビジネスウーマン! 英国の新ファーストレディ、マリー=フランス・ファン・ヘールの軌跡。

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英国の新首相アンディ・バーナムは、これから25年来の妻マリー=フランス・ファン・ヘールとともにダウニング街10番地で暮らすことになる。彼女は、家族を襲った深い悲劇を乗り越えてきた女性でもある。

2010年5月7日、マリー=フランス・ファン・ヘールとアンディ・バーナム。photography: Alamy/ABACA

イギリス国民がマリー=フランス・ファン・ヘールの顔を初めて知ったのは、ダウニング街10番地の前でも、7月20日に英国首相となったアンディ・バーナムの隣でもなかった。1990年代初頭、オランダ出身の若き女子学生だった彼女は、当時イギリスで最も人気を集めていた恋愛バラエティ番組「Blind Date(ブラインド・デート)」に出演した。シラ・ブラックが司会を務めたこの伝説的な番組は、かつてフランスで人気を博した番組「Tournez manège !」のような内容で、毎週何百万人もの視聴者を集めていた。当時、ニュース専門局のスカイニュースによると、マリーはすでにアンディと交際していたものの、ふたりの関係はまだ始まったばかりで、お互いを唯一の交際相手とするような段階ではなかった。家族や親しい友人から「フランキー」の愛称で親しまれていた彼女は、そこで恋愛番組への出演に挑戦することを決意する。

英スカイニュースは、「1992年、ベルボトムパンツにボトルグリーンのジャケットを身にまとい、ブロンドのボブヘアに黄色いヘアバンドを合わせた彼女は、サリー州出身のウィル・ハリスという男性をデート相手に選び、ジブラルタルへのバカンスに出かけた」と伝えている。しかし、この旅をきっかけに恋愛へ発展することはなかった。一方で、アンディとの関係はその後、一度も途切れることはなかった。彼は後年、『タイムズ』紙の取材で当時を振り返り、「あの出来事が、私たちの関係をより強いものにしたのだと思う」と語っている。あのテレビ出演から30年以上が経ったいまも、マリーは人生のパートナーとしてアンディの隣に立ち続けている。そしていま、自ら望んできたようには決して見えなかった役割、つまり英国のファーストレディという新たな立場を、夫とともに、そして夫を支えながら担おうとしている。

「キャンパスでいちばん人気の女の子」

ふたりの物語は1989年、ケンブリッジ大学フィッツウィリアム・カレッジで始まった。当時、アンディ・バーナムはリバプール出身の学生で、政治に情熱を注ぎ、すでに労働党の活動にも携わっていた。一方、マリー=フランス・ファン・ヘールはオランダで生まれ、母国とベルギーで育ち、マーケティングとコミュニケーションを学んでいた。複数の言語を操り、自立した女性だった彼女は、たちまち同級生たちの注目を集め、その中には若きアンディの視線もあった。スカイニュースによると、友人たちは彼女を「キャンパスでいちばん人気の女の子」と評しており、学生パーティでも講義室でも同じように自然体で、どんな場にも溶け込める存在だったという。それから何年も後、ケンブリッジ時代で最高の思い出は何かと尋ねられたアンディは、ユーモアを交えて「将来の妻と出会えたことですね」と答えている。一方、ふたりの当時の指導教員だったピーター・ノーランは、マリーについて「非常に優秀な学生」だったと振り返るとともに、その後のふたりについては、文学や国際問題をめぐって何時間も議論を交わす「いつも一緒の、切っても切れないカップル」だったと回想している。

アンディ・バーナムが政治家としての道を思い描いていた一方で、マリー=フランス・ファン・ヘールはまったく異なるキャリアを歩んだ。ケンブリッジ大学卒業後、彼女はまず、イギリスの衛星放送大手BSkyBでキャリアをスタートさせた。その数年後には、ブランド戦略とコミュニケーションを専門とする自身のコンサルティング会社MVHマーケティングを設立する。『タイムズ』紙によると、この会社は複数の顧客企業を支援した後、2011年に解散した。

しかし、この経験が彼女の歩みを止めることはなかった。ほどなくして彼女は、スポーツや文化、大手企業を横断するキャンペーンで知られるロンドンの広告・コミュニケーション会社Heavenlyに加わる。『タイムズ』紙によると、同社では戦略部門の幹部職を務め、HSBCやイングランド・ラグビー、BBCなどを主要顧客としてコンサルティングを手がけたという。このように、マリーは、多くの政治家の配偶者とは対照的に、夫のキャリアを優先するために自身の仕事を中断することは一度もなかった。一方、アンディが労働党内で着実に地位を高めていくなか、マリーはインフラ事業やエネルギー転換の分野を専門とするようになった。その後、マンチェスターの電気自動車向け充電ステーション網の大部分を整備・開発する企業Iduna Infrastructureでマーケティング・ディレクターに就任。現在もその職に就いている。

家族を襲った試練

ふたりの歩みは、公の場での活躍だけでなく、家族にまつわる深い試練にも彩られてきた。アンディ・バーナムとマリー=フランス・ファン・ヘールは、それぞれのキャリアを築く一方で、家庭も育んでいった。2000年3月には長男ジミーが誕生。その後、長女ロージー、次女アニーが生まれ、家族は5人となった。BBCによると、アンディは当時を振り返り、ユーモアを交えてこう語っている。「妻が初めて妊娠したときは、本当に衝撃でした。最初に頭に浮かんだのは、『大変だ、結婚しなきゃ』ということでした。」

しかし、まもなくマリーは、それよりもはるかに過酷な知らせに直面することになる。2000年代半ば、彼女は乳がんを発症するリスクが高いことで知られるBRCA1遺伝子の変異を保有していることが判明した。この知らせは、彼女の人生を襲った最も大きな悲劇のひとつを改めて思い起こさせるものだった。2007年、妹のクレアは乳がんのため、わずか39歳でこの世を去った。8歳にも満たない4人の子どもを残しての早すぎる死だった。その悲しみが癒えないうちに、今度は母親のベアが同じく乳がんと診断され、さらに姉妹の長女ルイーズにも同じ診断が下された。

2026年6月19日、娘のロージーとともに姿を見せたマリー=フランス・ファン・ヘールとアンディ・バーナム。photography: Byrne Peter/PA Photos/ABACA

相次ぐ悲劇に直面したマリー=フランス・ファン・ヘールは、2010年に大きな決断を下す。予防のために両側の乳房を切除する「予防的両側乳房切除術」を受けることを選んだのだ。アンディ・バーナムは、この困難な時期について『ミラー』紙の取材で次のように語っている。「私たちは、何が起こり得るのかを誰よりもよく分かっていました。だから、この試練を乗り越える道を見つける必要があったんです。この決断をしたことで落ち込むどころか、むしろ肩の荷が下りました。ずっと心にのしかかっていた恐怖が晴れたような気持ちでした。」

その後、マリー=フランス・ファン・ヘールは、自身が強い思いを寄せるさまざまな活動に力を注いでいる。彼女はキャンサー・リサーチUKの寄付者として支援を続けるとともに、同団体が主催するチャリティーランイベント「レース・フォー・ライフ」にも定期的に参加している。さらに、プラン・インターナショナルUKの理事を務めるほか、グレート・オーモンド・ストリート病院、マリー・キュリー、アルツハイマーズ・ソサエティなど、複数の慈善団体を支援している。

From madameFIGARO.fr

※この記事は、フランスの新聞社「Le Figaro」グループが発行する「madame.lefigaro.fr」で掲載されたものの翻訳版です。データや研究結果はすべてオリジナル記事によるものです。

  • text: Léa Mabilon (madame.lefigaro.fr)
  • translation: Hanae Yamaguchi