【小説紹介】映画化も話題!『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』が問いかける、老後の人間関係と友情の行方。
Culture 2025.03.18
老いと死を提示する、シニカルながら優しい小説。
老後をひとりで過ごす人が増える現代、私たちは「友達」に何を求めるのか?『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』は、がんを患った友人に「最期を見守ってほしい」と頼まれた主人公が、老いと人間関係の現実に向き合う小説だ。巨匠ペドロ・アルモドバルによる映画化も話題の本作が、人生の終わりに直面する私たちに投げかけるものとは?
文:ひらりさ/文筆家
『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』

35歳の節目に「私たちって友達?」というZINEを出した。自分の友達(だと思っている人)をゲストに、それぞれの友達観を聞くという内容だ。生涯独身の可能性が高くなってきた私にとって、"友達"は人生の一大テーマである。社会全体にとっても重みは増しているだろう。晩年を独りで過ごす人は加速度的に増えている。老後、一人ではどうにもならないことが起きたとき、助けになってくれる相手はいるだろうか。いたとして、どこまで頼っていいのだろう?
本書は、究極の友達小説である。語り手の「わたし」は、がんで闘病中の友人を見舞っている。知り合って数十年の仲だが没交渉だった期間が長く、親友というわけではない。ある日、彼女が頼み事をしてくる。安楽死を決意したので、同居して最期を見守っていてほしいというのだ。しかもそのタイミングは彼女が決めるという。
「それで思ったのは、と友人は言う。いまのわたしにそれほど近しくない人を探すべきだってこと」
巨匠ペドロ・アルモドバルによる映画化も話題の本書。映画が安楽死をめぐる二人の交流を主軸としたのに対して、原作は、「わたし」が見聞きする、老いと人間関係にまつわる様々な視点の挿話にも尺が割かれている。
「自分が老いていくのを見るより辛い唯一のことは、自分が愛した人たちが老いていくのを見ることだ」
筆者は、老いを受け入れろとは要求してこない。老いと、その先にある死の否応なさやしんどさを、ありのまま提示してくる。シニカルだが、優しい。
老いを考えるとき、自分が助けてもらうことばかり考えていたことに気づいた。求められたとき手を差し伸べることのできる人間として老いるには、どうしたらいいか。そちらに思考をめぐらせることで、体のなかに、これからの人生に立ち向かうための気力がたまっている。そんな小説だ。
1989年、東京都生まれ。オタク女性ユニット、劇団雌猫としての編著書に『だから私はメイクする』(柏書房刊)、自著に『沼で溺れてみたけれど』(講談社刊)、『それでも女をやっていく』(ワニブックス刊)など。
*「フィガロジャポン」2025年4月号より抜粋