ウィリアム王子とキャサリン妃、20年の愛の物語。
Culture 2021.04.30
大学で初めて視線を交わしてから20年。キャサリン妃とウィリアム王子は結婚10周年を迎えた。2000年代、2010年代、2020年代を通してメディアが最も注目してきた王家のラブストーリーを振り返る。
スコットランド、セントアンドルーズ大学で若い時代を共に過ごした、キャサリン・ミドルトンとウィリアム王子。 photo : Abaca
始まりは2001年、王家の公式声明だった。「ウィリアム王子はこの新学期より、セント・アンドルーズ大学に入学します」
王家のメンバーは歴史的に、オックスフォード大学かケンブリッジ大学で高等教育を受けるのが常だった。だが、母であるダイアナ妃がなくなってからずっと過剰なメディアの目にさらされてきたウィリアム王子は、150年の伝統を破り、スコットランドの静けさを選んだのだ。
とはいえその計画は見事に失敗してしまう。というのもこの声明が、セント・アンドルーズ大学に、前代未聞の入学希望ブームを引き起こしたからだ。しかも、その大多数が女性の入学希望者。
そして、その中には、もともとエディンバラ大学の入学候補生だったキャサリン・ミドルトンという女性がいた。
2001年から2004年:ビッグ・ウィリーズとベビキンス
ゆえに、ウィリアム王子がキャサリンと出会ったのは、良家の子女を引き合わせるダンスパーティでもなければ、クリケットのトーナメント会場でもなかった。
2001年の新学期、彼は19歳で、公式的には、女性と付き合った経験はほぼゼロに等しかった。一方のキャサリンは、引っ込み思案な女性。彼女のファーストキスは14歳の時(お相手はウッディ・ウェブスター)ということだが、ウィルトシャー州マルボロ・カレッジの高校では、スターだった妹のピッパの陰に隠れた存在だった。うわさによれば、彼女は生涯の相手に出会うまで処女を守ると決めていたとか。
ある日、学校で演劇の舞台に立ったケイト・ミドルトンを見た占い師が、彼女は「非常にお金持ちの王子様と」結婚するだろうと予言したという。
キャサリンとウィリアムは、こうしてセント・アンドルーズ大学で、アート史を学ぶことになった。そう、もちろん、王家はウィリアム王子の専攻も公表していたのだ。
大学生活では、ウィリアム王子は、自分が部屋に入ると周囲が一瞬のうちに静まり返ることも、修正液を借りようとすると女生徒たちが顔を赤らめることも気にしないよう努めていた。キャサリンはといえば、ジョギングの直後、朝食にショートパンツ姿で現れるようなことはあっても、王子に無関心な顔を装っていた。
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きっかけは、よく知られている。2002年3月27日、チャリティファッションショー「Don’t Walk」がセント・アンドルーズ・ベイ・ホテルで開催された時のこと。「引っ込み思案」なキャサリンは、ミス「セント・サルヴェイター」(ふたりが所属していた学生寮の名前)に選ばれており、この日、トランスペアレントなレースのミニドレスでステージを歩いた。
伝説によると、この時、最前列に座っていたウィリアムは「ワオ! ケイト、いかしてる!」と思わず口にしたとか。また、この日の夜にウィリアムは初めてキャサリンにキスをしたが、彼女は驚いて王子を押し返したとも言われている。
2002年秋、額に金髪が残っていた頃、王子は大学の男子寮を出て、大きなロフトを3人の仲間とシェアする暮らしを始めた。ゴルフ場に近いこのロフトは防弾ガラスの窓と爆弾防止扉つき。寝室は別とはいえ、ロフトをシェアするこの3人の中に、キャサリンがいた。
たちまち、ふたりのルームメートの間に愛が生まれた、とうわさが流れるが、バッキンガム宮殿もクラレンス・ハウスも、特に反応しなかった。キャサリンはお金持ちではあったが、「ただの」パーティ用品企業経営者の娘に過ぎず、貴族の血を受け継いでいなかったからだ。
ラブストーリーは、しかし、2004年の冬に公式なものとなる。22歳の若き恋人たちが、スイスのクロスターズスキー場で目撃されたのだ。この時から、彼女は彼をビッグ・ウィリーズと呼び、彼女はベビキンスと呼ばれることになる。
2005年〜2007年:キャサリンの暗黒時代
バルモラル城の滞在、ハイグローヴ(チャールズ皇太子の田舎の住まい)での非常に重要なガーデンパーティ、そしてサンドリンガムでのロイヤルファミリーとの狩猟。ふたりは最初のこの3年間を、パパラッチに囲まれて過ごした。
外から見れば、何もかもがうまくいき、メディアはすぐにもプロポーズか、と予測した。だが内幕を見れば、ウィリアムがサンドハースト王立陸軍士官学校(英国陸軍の士官を養成する)に入学し、週末も基地に残ってパーティ三昧、と決まったときから、カップルの仲は急降下していた。
さらにその上、キャサリン・ミドルトンは、2005年4月9日のチャールズ皇太子とカミラ・パーカー=ボウルズの結婚式にも招待されなかった。ベビキンスはないがしろにされ、メディアは、彼女に新しいあだ名、ウェイティ・ケイティ(辛抱強いケイトの意味)を献上した。
外出するたびにカメラに追われ、たったひとりで、居心地の悪い思いをし、さらにいえば服装も今ひとつ。パパラッチに返す言葉も平凡そのもの。ウェイティ・ケイティは、とうとう諦めた。
メディアの圧力は重く、恋人にはいわれもなく放っておかれ、未来の王とプライベートな時間を過ごした、と自慢げに語る女子学生たちがたくさん現れた。ボーンマスのクラブでウィリアムがブラジル人女子学生に腕を回し、その胸に手をのせている写真が、すべてに終わりを告げた。
2007年4月14日、この世代で最も有望視されたカップルがついに破局、と「ザ・サン」紙が報じた。
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2007年〜2020年:ウィリアム王子のカムバック
まるで、灰の中からよみがえる不死鳥のように、数週間後に姿を現したのは全く違うキャサリンだった。スカートの丈は短くなり、トップスも華やかになった。 群がるカメラマンをいじめ返すことを覚え、運転手付きの車でさっそうと出かけるようになった。
周囲は彼女が絶望しているといったが、キャサリン・ミドルトンは、良家の若い男性や妹のピッパとともに、トレンディなレセプションや流行りのクラブに、気取った表情で出かけるようになった。
結果をごらんあれ。ウィリアム王子は後悔した。彼女を取り戻さなくては。彼女は待たせた。でも、少しだけ。
2007年6月9日、ふたりの姿が仮装パーティで目撃される。彼は警察官の制服で、キャサリンはセクシーなナーススタイルで。ウィリアム王子は彼女から目を離さなかった、と当時の目撃者は語っている。彼女を取り戻したいという願いのために。
7月1日、ダイアナ妃没後10年の機会に行われた大コンサートで、ふたりは公式にカップルとして姿を現した。ボーイズバンドのテイク・ザットがヒット曲「バック・フォー・グッド」を歌いはじめる。それは、ある男が、恋人を傷つけたことを謝り、帰ってきてと頼む、ロマンチックなバラードだ。ウィリアム王子と、白いワンピースを着たキャサリンのクローズアップ写真はグッドニュース以外の何ものでもなかった。
8月にはセイシェル諸島に旅行(ここでウィリアム王子は、すぐにではないが、とプロポーズしたと主張している)、そして2008年の王子の王立空軍入隊への出席で、ふたりの関係はさらに公に。だが、ウィリアム王子が待望のプロポーズをしたのは、それから2年経った2010年10月19日、ケニアでのことだった。
【写真】王家のファッションアイコン、キャサリン妃の着こなし。
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2010年〜2016年:世界一注目された王家の結婚式。
ふたりはともに28歳。すでにかなり揺らいでいた自由な暮らしは、婚約によって、完全に終わりを告げた。
公式写真で、キャサリン・ミドルトンは、ダイアナ・スペンサーのものだった婚約指輪をはめている。18金ホワイトゴールドに12カラットのオーバルサファイア、14個のラウンドカットのダイヤモンドをあしらった指輪だ。
クラレンス・ハウスはウィリアム王子が「ロンドンで2011年夏に、長年の恋人だったキャサリン・ミドルトンと結婚するつもり」と発表した。
世界中のメディアの注目するこの結婚式がどこで行われるかの賭けも盛り上がった。ウィリアムは、両親が結婚し、悲劇を招いたロンドンのセント・ポール大聖堂を選ぶか? あるいは英国王家の歴史的ゆりかごであるが、母ダイアナ妃の葬儀が行われた場でもあるウェストミンスター寺院を選ぶのか?
結局、2011年4月29日に結婚式が行われたのは、ウェストミンスター寺院だった。世界中が最も注目する王子の結婚式。英国王家の新生のシンボルとなり、歳をとっていく王家のイメージを輝きで彩り、「平民のプリンセス」への感動的なオマージュとなる結婚式だった。
それから10年。以来、カップルの絆の強さに疑いを挟む余地はない。ふたりはケンブリッジ公爵と公爵夫人として、英国王家の完璧な代表者だ。メディアの狂騒はハリー王子、ピッパとジェームズ・ミドルトンらの兄弟に任せておく。
2013年7月22日、長男ジョージ・オブ・ケンブリッジ王子が誕生。続いて、2015年5月2日にはシャーロット王女、2018年4月23日にはルイ王子が生まれた。
2年間、ウィリアム王子の勤務地に近いノーフォークで、メディアの喧騒から離れた生活をした後、一家は、ジョージ王子の幼稚園入学のために、ロンドンのケンジントン宮殿に戻ってきた。
このケンジントン宮殿に、ふたりは、家族の新メンバーを迎えることになった。2017年末に幸せいっぱいに家族の一員となったメーガン・マークル。だが、ハリー王子と息子のアーチーとともに、2020年、大騒ぎの後にロサンゼルスへと去って行った。
その間、ふたりの兄弟はそれぞれの住まいを持ち、意図的に距離をとっていたが、キャサリンが気にすることはなかった。大して重要なことではないのだ。
近々、王と女王になるふたりは、自分たちの王国である英国に、温かな眼差しを持って君臨するだろう。その時にはもう、ふたりをビッグ・ウィリーとベビキンスと呼ぶ人はいないはずだ。
texte : Marion Galy-Ramounot (madame.lefigaro.fr)