アラン・ドロンを虐待した疑惑で告発され、家宅捜索まで受けた"同居人"ヒロミが自ら反論。

Culture 2023.10.03

2023年7月に俳優アラン・ドロンの子どもたちからモラハラ、弱者に対する暴力、動物虐待等で告発された日本人女性のヒロミが9月28日、「ル・パリジャン」紙の取材で初めて本人自ら反論した。

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ジャン=ポール・ベルモンドの葬儀に現れたアラン・ドロンと「ヒロミ」。photography: Best Image/Aflo

2023年初夏、アラン・ドロンの3人の子どもたち、アヌーシュカ、アントニー、アラン=ファビアンの弁護士であるクリストフ・アイエラは、「ヒロミは脅したりすかしたりして、アラン・ドロンを親しい友人や家族から絶えず孤立させようとしている」と語った。同年7月5日には俳優の子どもたちがアラン・ドロンの“同居人”のヒロミに対して“モラル・ハラスメント”、“信書の隠匿”、“動物虐待”で告訴している。アラン・ドロン本人も名を連ねている。

ヒロミはこれまで、彼女の弁護士が起草した39ページの文書を検察に提出した以外の反論をしてこなかったが、今回ル・パリジャン紙の独占インタビューで沈黙を破った。「これは自分たちの父親の人生から私を追い出そうと仕組まれたことです」とヒロミは言う。そして、「私たちは愛しあっています。だからでっちあげで私を追いこもうとするしか、彼らには手立てがなかったのです。これは司法制度の悪用です。卑劣な、全くの作り話です。これまで普通のカップルとしてふるまい、みんなの前で互いに愛情を確かめ、キスしたりしていたのに」と憤慨した。そしてアラン・ドロンとは「33年にわたり親しくつきあってきた」にもかかわらず、自分を俳優の人生から追放した「残忍さ」を非難した。

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家宅捜索

一方、アラン・ドロンの長男アントニー・ドロンは7月26日に別途、単独で告発を行っている。「弱者に対する意図的な暴力」、「モラル・ハラスメント」、「弱者の虐待」、「弱者の隔離」、そしてアラン・ドロンの犬に対する「動物虐待」を理由に挙げており、シュレンヌにあるヒロミの自宅は、地元の検査当局による家宅捜索を受けた。

ル・パリジャン紙によると、検査当局はまずヒロミの事情聴取をおこなった後、家宅捜索をおこなった。事情聴取後、ヒロミは釈放された。アラン・ドロン周辺の人たちによれば、66歳のヒロミは2019年に俳優が脳卒中で倒れた後、影響力を持つようになったようだ。きっかけは彼の世話をするため同居したことだった。俳優が1971年に購入したフランスのロワレ県ドゥシーにある55ヘクタールの地所で、ふたりは一緒に暮らすようになった。もっとも当初、アラン・ドロンとの家族の関係は良好だった。

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長年の知人

現在87歳のアラン・ドロンは2021年、「TV5モンド」テレビのドキュメンタリー番組に出演し、「同居している日本人女性のヒロミは、療養中ずっと一緒にいてくれました」と語っている。実のところふたりは1990年代からの長い知り合いだ。彼女は1992年、アラン・ドロン主演、エドゥワール・ニエルマン監督の映画『カサノヴァの最後の恋』でセカンド助監督として働いていた。

また、テレビドラマシリーズ「アラン・ドロンの刑事フランク・リーヴァ」(2003年)の現場にもいたようだ。オンラインデータベースのIMDbによれば、ヒロミ・ロランは1980年代から1990年代にかけて、『3人の逃亡者/銀行ギャングは天使を連れて』(1986年)や『弁護士デュナンの衝撃』(1993年)、『不倫の公式』(1995年)等、多くのフランス映画でセカンドやサードの助監督を務めた。また、メイクアップアーティストとしても活動し、アラン・ドロンのアシスタントを務めた時期もあったそうだ。こうしてふたりは強い友情の絆で結ばれ、それは次第に愛へと変わっていった。

2021年6月、仏『イッシパリ』誌の取材に対し、俳優と親しい関係者がこんなふうに語っている。「長い間、ふたりは単なる友人でした。時が経つにつれて、ふたりの気持ちに変化が起きました。ヒロミはアランの回復にまぎれもなく貢献しただけでなく、心の平穏をもたらしたのです」と。2021年9月10日に行われたジャン=ポール・ベルモンドの葬儀にヒロミはアラン・ドロンと参列した。

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不穏な兆候

アラン・ドロンの子どもたちによれば、この2年でヒロミとアラン・ドロンの関係は悪化した。ヒロミは俳優や子どもたちに対してとげとげしい態度をとり、ののしることもあったそうだ。子どもたちを父親に会わせなかったり、俳優のやりとりを監視したり、とりわけ電話や私信に目を光らせ、郵便物も勝手に開けようとしたと言う。

アラン・ドロンを代父に持つ女優のジェラルディン・ダノンはニュース専門のBFMテレビにこう語っている。「アラン・ドロンが脳卒中で倒れた後、ヒロミという人の存在が大きくなった。直接話すのも難しくなり、メールは全て彼女を経由しなくてはならなくなった」と。

このような状況を受けて心配したアントニー・ドロンがヒロミの行動を記録しはじめたのが1年半前のことだった。

今回の騒ぎの発端は、アラン・ドロンの誕生日ランチパーティーの席で、アントニーとヒロミが口論をはじめたことだったようだ。アントニーは、父のアラン・ドロンが入院しなくてはならないほど激しく転倒したことを自分たちに黙っていたとヒロミを非難した。これに対し、ヒロミはロワレ県モンタルジの検察に、弁護士ヤシン・ブズルが起草した39ページの文書を提出し、告発に反論した。

文書ではヒロミが1990年代からアラン・ドロンと知り合いであること、20年以上前から彼の「パートナー」となり、2006年からつい最近までドゥシーの彼の家で一緒に暮らしていたことが述べられている。しかも日常的に俳優の世話をしていた。一方、「彼の子どもたちは老いた父親を日々世話していたわけではない」と文書には書かれている。今回のル・パリジャン紙面ではヒロミ側のこうした主張が繰り返された。

text: Chloé Friedmann (madame.lefigaro.fr)

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