カトリーヌ・ドヌーヴとマルチェロ・マストロヤンニ、カンヌで放映された愛の物語とは?

Culture 2024.05.22

女優とその娘キアラ・マストロヤンニは、5月21日にカンヌ国際映画祭で彼らの映画『Marcello Mio(原題)』の上映に出席する。本作では、1970年代半ばにおけるカトリーヌ・ドヌーヴとマルチェロ・マストロヤンニの甘い物語を振り返る。

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舞台裏では、ふたりの俳優の距離が縮まる。(1972年)photography: Getty Images

5月15日、彼女はフランスのトーク番組「コテュディアン」の撮影現場で、「彼には信じられないほどの魅力があった」と語った。5月21日、第77回カンヌ国際映画祭で上映されるクリストフ・オノレ監督の『Marcello Mio』に出演するカトリーヌ・ドヌーヴが、4年間のロマンスを共にし、娘キアラをもうけたマルチェロ・マストロヤンニについて語った。

この映画のために、キアラは1996年12月19日に膵臓がんで亡くなった父親の役を演じた。ヤン・バルテスのインタビューに応じたカトリーヌ・ドヌーヴは、かつてのパートナーを「聡明で、内気で、とても面白い人」だったと振り返った。キアラ・マストロヤンニは、父の 「偉大な謙虚さ」と「他人に対する好奇心」を称賛した。

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ディナー

1970年秋、ロマン・ポランスキーが企画したロンドンでのディナーから、このふたりの映画の伝説のストーリーが始まった。ゲストにはカトリーヌ・ドヌーヴとマルチェロ・マストロヤンニがいた。映画のために髪を剃ったばかりの俳優は混乱を招いた。映画『ロバと王女』(1970年)のヒロインを演じたカトリーヌ・ドヌーヴはすぐに彼に気づかなかったほどだ。しかし、ふたりは意気投合した。カトリーヌ・ドヌーヴがベルギーの週刊誌「ル・ソワール」で語っているように、食事は「楽しくて、嬉しくさえもあった」。翌年の夏、ふたりはマルコ・フェレーリ監督の『ひきしお』(1972年)の撮影中に親しくなった。フランスの週刊誌「パリ・マッチ」が公開した一連の写真では、コルシカ島とサルデーニャ島の間に位置するカヴァッロ島で親密な様子を見せた。

カトリーヌ・ドヌーヴは小麦色のブロンドで、完璧なスーツに身を包み、ジーンズ姿の交際相手をじっと見つめている。「彼らが離れたがらないという共通の意志が、この映画の主役カップルに抜擢される理由となった」と、1971年10月9日の「パリ・マッチ」に記されている。マストロヤンニは、彼の犬と一緒に無人島で生活する現代のロビンソンのような役を演じた。一方、カトリーヌ・ドヌーヴ演じる白い服を着た美しき若き女性が、彼の孤独を打ち破る。「これはロマンチックな物語です。20世紀においても、まだ愛で死ぬことができることを示しています」と彼女は語った。そしてすでに、恋愛の始まりの兆候が見られた。

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「映画の後、マルチェロは私の人生にとどまった」

カトリーヌ・ドヌーヴは写真家のデビッド・ベイリーと離婚協議中だった。一方、マルチェロ・マストロヤンニは、1950年に『欲望という名の電車』に出演した際に知り合ったイタリア人女優のフローラ・カラベラと結婚していた。1970年に別居したが、マルチェロはカトリック信者であったため、離婚はしなかった。カトリーヌ・ドヌーヴとマルチェロ・マストロヤンニは、このように恋愛には不利な環境であったにもかかわらず、次第に互いに惹かれ合っていった。カトリーヌ・ドヌーヴは映画監督ナディーヌ・トランティニャンに恋人の名前をさりげなく耳打ちした。マルチェロ・マストロヤンニは1971年の『哀しみの終るとき』でカトリーヌ・ドヌーヴの夫を演じた。「映画の後、マルチェロは私の人生にとどまった」とカトリーヌ・ドヌーヴは「ル・ソワール」に語った。

その1年後、ふたりは娘のキアラをもうけた。1951年にフローラ・カラベラとの結婚ですでにバルバラをもうけていたマルチェロにとってはふたり目の子どもだった。カトリーヌ・ドヌーヴとマルチェロ・マストロヤンニは、全部で5本の映画で共演した。1973年のカンヌ国際映画祭でも、ふたりは腕を組んでいるところを目撃されている。しかし、ふたりのロマンスはすぐに大きな障害に直面する。マルチェロ・マストロヤンニの結婚である。キアラの誕生から2年後、カトリーヌ・ドヌーヴとそのパートナーは別居した。「私たちの共同生活は障害のせいで終わりましたが......私は障害が好きではありません」とカトリーヌ・ドヌーヴは述べた。「同じ教育を受けていないこと、同じルーツを持っていないこと、同じ言語を話さないこと、そう、たくさんの障害があります......。」

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「世界一の親友」

それでも、ふたりの俳優は良好な関係を保ち、多少の言い争いはありつつも、一緒に娘を育て続けた。2020年、キアラ・マストロヤンニは雑誌「エル」のコラムで、ある大げんかを回想した。それは、彼女が10歳のときに両親の間で起きた衝突だった。彼らは映画『E.T.』(1982年)を観に映画館にいた。「最初、E.T.が森の中を追いかけられるシーンで、私は涙を流し始めると、両親は言い争い始めました」とキアラ・マストロヤンニは語った。「父は『(キアラが)あまりにもひどい様子だ』と言いました。母は『大丈夫よ!』と言って私たちは結局その場に留まりました。父は私が絶対的な悲しみの中にいるのを見るのが耐えられなかったのです。一方、母は『映画館で泣くのは普通のこと』だと確信していたようです。」

その10年後、キアラ・マストロヤンニは、自分も女優になりたいと願った。そして再び、彼女は複雑な反応に直面した。母親がパニック状態になったからだ。カトリーヌ・ドヌーヴは娘が「考古学者」になることを望んでいた。一方、父親は喜びを爆発させた。2012年4月、キアラ・マストロヤンニは『ガーディアン』紙にこう語った。「まるでファミリーレストランを経営しているかのように、私が店を継ぐと言ったのです」。このような意見の不相違もありながらも、カトリーヌ・ドヌーヴとマルチェロ・マストロヤンニは、後者が亡くなるまで親密な関係を保っていた。亡くなる1年前、彼はフランスの雑誌「ガラ」のコラムでかつての恋人の「魅力」を賞賛した。「私たちは世界一の親友であり続けた」と彼は付け加えた。元カップルは1993年のセザール賞授賞式にも一緒に出席した。女優カトリーヌ・ドヌーヴもまた、元パートナーの「素朴さ」、「茶目っ気」、「寛大さ」を称賛してやまなかった。

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【写真】カトリーヌ・ドヌーヴとマルチェロ・マストロヤンニの4年の愛

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1970年秋、カトリーヌ・ドヌーヴはロマン・ポランスキー主催の晩餐会でマルチェロ・マストロヤンニと出会った。(パリ、1970年)

photography: Getty Images

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ふたりはマルコ・フェレーリ監督の『ひきしお』の撮影現場で親しくなる。(1971年1月7日)

photography: Getty Images

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カトリーヌ・ドヌーヴは写真家のデビッド・ベイリーと離婚協議中だった。一方、マルチェロ・マストロヤンニは1950年に舞台『欲望という名の電車』に出演した際に知り合ったイタリア人女優フローラ・カラベラと結婚していた。(1971年5月2日)

photography: Getty Images

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映画『ひきしお』の撮影現場でのカトリーヌ・ドヌーヴとマルチェロ・マストロヤンニ。(1971年9月27日)

photography: Getty Images

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舞台裏では、ふたりの俳優の距離が縮まる。(1972年)

photography: Getty Images

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映画『哀しみの終るとき』の撮影現場でロマンスをスタートさせたふたりは、娘キアラを出産。(日付不明)

photography: Getty Images

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カトリーヌ・ドヌーヴとマルチェロ・マストロヤンニは全部で5本の映画で共演した。(パリ、1972年)

photography: Getty Images

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オランピアに到着したカトリーヌ・ドヌーヴとマルチェロ・マストロヤンニ。(パリ、1972年8月2日)

photography: Getty Images

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ふたりはカンヌ国際映画祭にも一緒に出席した。(1973年5月22日)

photography: Getty Images

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しかし、ふたりのロマンスはすぐに大きな障害に直面する。それは離婚を拒否したマルチェロ・マストロヤンニの結婚であった。(パリ、1973年)

photography: Getty Images

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キアラの誕生から2年後、カトリーヌ・ドヌーヴはパートナーと別れた。(パリ、1974年6月24日)

photography: Getty Images

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しかし、ふたりの仲は良好で、一緒に娘を育て続けた。セザール賞の授賞式にも一緒に出席した。(パリ、1993年3月8日)

photography: Getty Images

text: Chloé Friedmann (madame.lefigaro.fr) translation: Hanae Yamaguchi

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