【ダイアナ妃生誕65周年】世界で最も愛されたプリンセス、「伝説の写真の舞台裏」。

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7月1日に生誕65歳周年を迎えた故ダイアナ妃。1997年8月31日にパリでの自動車事故で35歳の若さで亡くなった彼女はいまも皆の心に残る、世界で最も愛されたプリンセス。

オックスフォードシャーで撮影された22歳頃のダイアナ妃。photography: Shutterstock/Aflo

常にパパラッチたちに追いかけられ、それが結果的に死の原因となってしまった悲劇の人でもある。そんな彼女が遺した中でも有名な写真の舞台裏を解説。


公務中にうたた寝する、「スリーピング・ビューティ」

絵本から抜け出して来たおとぎ話のプリンセスのように美しいダイアナ妃が、公務中に居眠りするこの写真は、まだ当時の夫、チャールズ皇太子(現国王)と結婚したばかりの1981年11月4日に撮られたもの。ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館で夫とともにガラに出席していた20歳のダイアナ妃は、イベントの最中に打とうとしたところを写真家のティム・グラハムに撮影されてしまう。これは厳格な英国王室ではあり得ない失態であり、この写真は新聞の一面に「スリーピング・ビューティ(眠れる森の美女)」とキャプション付きで掲載され、大論争を巻き起こした。

しかし実際にはこの居眠りはほんの1、2秒のものだったという。この翌日に英国王室はダイアナ妃の妊娠を発表。ロイヤルウェディングから2ヶ月後のタイミングで、すでに彼女はウィリアム王子を妊娠していた。眠気は妊娠初期の疲労が原因だったと見られている。妊娠していようがいまいが、公務は24時間休みなし。王室の生活に慣れない彼女が体力的にも精神的にも疲労困憊していたことは想像に難くない。

当時、この写真に対するイギリス国民や世界のロイヤルファンたちの反応は好意的なものが大半で、ベルビル・サスーンがデザインしたシフォンのドレスを着た可愛らしいダイアナ妃が居眠りしている姿はプリンセスもまた人間だということを示しているため、さらなる共感を呼び人気が高まった。

不貞した夫に無言でのステートメントを示した“リベンジドレス“

英語では「リベンジドレス」なる表現がある。パートナーと別れた後など、誰かを見返す為に、失った側が後悔するほどに素晴らしく見えるドレスを選んで公けの場に現れる、それがリベンジドレスの持つ意味。その発祥ともなっている世界で最も有名なリベンジドレスは、1994年6月29日にダイアナ妃がロンドンのセーペンティン・ギャラリーで開催された「ヴァニティフェア」主催のガラで纏った、このリトルブラックドレス。

オフショルダーで脚を大胆に露出した、アシンメトリーの裾。クリスティーナ・スタンボリアンがデザインしたこのドレスは、ロイヤルの服装としてはかなり思い切ったもの。実はこの日、夫のチャールズ皇太子がテレビの全国放送で、ダイアナ妃に対する長年の不貞を告白。世界中が夫の不貞を知ることになるであろうその日に、彼女は家に篭って嵐を通り過ぎるのを待つのではなく、予定通りガラに出席して、このドレスでとびきり美しい自分を見せつけることにした。英国王室のプロトコルでは禁じられていた、真っ赤なネイルを塗って。

世の中の視線が自分に向けられることを知っていたダイアナは、その機会を利用して、ファッションでチャールズと世界にステートメントを送った。もう彼女は籠の中に押し込められた鳥ではない。解放され、自由に空へ羽ばたくのだと。 ダイアナの遺したジュエリーの中でも最も有名なもののひとつ、パールとサファイアのゴージャスなチョーカーに、マノロ・ブラニクのハイヒール。エレガンスと強かさを身に付けた彼女は、もはや何も知らない世間知らずのお嬢様ではない。自立した強く美しい、洗練されたレディに生まれ変わったのだ。ちなみに当初ダイアナはこのイベントでヴァレンティノのドレスを着る予定だったのが、その情報がメディアにリークされたために直前に、3年間クローゼットで眠っていたこのドレスに切り替えたという経緯がある。このリベンジドレスは3年後にオークションで65,000ドルで落札され、その売り上げはがんおよびエイズ関連の慈善団体に寄付された。

死の1週間前に撮影された、ヨット上での孤独な水着姿

1997年8月24日に撮影されたこの写真は、ダイアナがパリでの自動車事故で亡くなる1週間前のもの。ターコイズカラーのワンピース水着を着たダイアナ妃は、ジョニカルという名の豪華ヨットの飛び込み台の端にひとりで腰掛けている。

何て孤独な写真だろう。このヨットは、当時ダイアナ妃が交際していたドディ・ファイエドの父である、実業家のモハメド・アル・ファイエドが所有していた。この写真はポルトフィーノ沖でパパラッチに撮影されたものだが、これを見るだけでも、彼女がどれだけ日々パパラッチたちに監視され、プライバシーのない生活をしていたかがわかるようだ。こんな海の沖合いに居てさえも彼女は追いかけられ、守ってくれるものは居ない。それを象徴するかのような写真。

ダイアナとドディは南仏とイタリアでのバカンス中にパパラッチに追われ続け、その写真は最低でも50万ポンドで売れたという。ふたりのロマンスは金になり、さらにダイアナが妊娠し、ふたりが婚約したという噂によって煽られていた。

この1週間後の8月31日の夜。サルデーニャからパリに移動したふたりは、パパラッチが乗るバイクに終われ、ふたりが乗っていた車はトンネル内の支柱に衝突。このとき車内にはホテル・リッツ・パリの警備長であったアンリ・ポールと、ダイアナのボディガードであるトレバー・リース=ジョーンズが乗っていた。

ドディとアンリは即死、しかし救急隊員が現場に到着したとき、ダイアナはまだ生きていたという。そして唯一シートベルトをしていたトレバーはその後も生き残った。ダイアナ妃の応急対応をした消防士は、英国紙「The Sun」に、彼女の最期の言葉は「何てことなの、何が起きたの?」だったと伝えている。その後病院に運ばれたダイアナ妃は、午前4時に死亡が確認されたが、ある専門家は「ダイアナがシートベルトをしていたならば、事故の2日後には公けの場に姿を現していただろう」と語っている。しかしダイアナの妹であるレディ・サラ・マックオーディルはのちに「ダイアナはシートベルト着用についてかなり厳格だった」と証言。そんなことからも、彼女の死についてはいまもなお、陰謀論が囁かれている。

  • text: Moyuru Sakai